マジスター

BACK NEXT 目次へ



 中庭で雪だるまを相手にストレス発散をした後、葵は校舎一階の北辺にある保健室を訪れた。いつものように鍵を使って扉を開けると、音に反応したアルヴァが振り返る。この部屋にいる時の彼は相変わらず、白衣の下はだらしない格好をしていた。

「……その姿は、一体?」

 ローブの裾やフードから水滴を滴らせている葵を見るなり、アルヴァは眉根を寄せた。雪と格闘している時は気にならなかった寒さが今になって凍みてきて、葵は全身を震わせながら答える。

「ちょ、中庭、遊……」

 口唇が意思とは無関係に震えているため、葵の科白はちゃんとした言葉になっていなかった。アルヴァはため息をつきながら席を立ち、葵の傍へと移動する。

「ソマシィオン、ヴァンティラシィオン」

 アルヴァが呪文を唱えると彼の嵌めている指輪リングが輝き出し、白煙と共に長方形の箱のような物体が室内に出現した。葵の背丈ほどの大きさがあるその物体は正面が網目状になっていて、網目には何故かリボンが結ばれている。用途不明な物体を葵がぽかんと眺めていると、アルヴァは再び呪文を唱え出した。

「アン・セシェ、グラン」

 アルヴァの命を受けて、長方形の物体が異音を立て始める。同時に網目から垂れ下がっていたリボンが動き出し、葵の頬を風が過ぎていった。扇風機のようだと思ったのも束の間、そよ風のような送風が一瞬にして突風へと変わる。熱い風が体を押し流そうとしていたので、葵は必死に風に立ち向かった。

 しばらくすると、送風は止まった。簡易なベッドを仕切るカーテンも揺らぐのをやめ、室内は無風の状態を取り戻している。先程まで雫が滴っていた葵の体も完全に乾いていたが、突風に煽られた髪が見るも無残な有り様になっていた。

「い、今の何!?」

 乱れた髪を手櫛で整えつつ、葵はアルヴァを振り返る。送風機の後ろにいたため風の影響をまったく受けていないアルヴァは平然と答えを口にした。

「召喚魔法と無属性魔法の連発。受容力キャパシティーさえ満たしていれば、こういうことも出来るようになる」

 そこまで説明して一度話を切り、アルヴァは再び呪文を唱えた。すると今度は、白煙と共に送風機が消え去る。アルヴァ曰く、召喚魔法は何処から物を出現させるのかまでは指定出来ないとのことだった。他人に召喚されたくない物には防御魔法プロテクトをかけるらしいのだが、葵には縁遠い話である。

「それで、何故あんな姿になったって?」

 この部屋での指定席であるデスク前の椅子に腰を落ち着けたアルヴァが話を戻したので、葵もベッドに座りながら中庭での出来事を説明した。葵は呆れられるかと思っていのたが、アルヴァは興味深そうな表情になって身を乗り出す。

「ユキダルマとはどういった物なんだ?」

「あ、この世界にはないんだ? えっとね……」

 口で説明するのは難しいと思った葵はローブのポケットからペンを取り出した。レイチェルに教えてもらった通りに呪文を唱え、文字ではなく雪だるまの絵を描く。空中に描かれた絵を見たアルヴァは眉根を寄せ、奇怪な形だと呟いた。

「実物が見たかったら、中庭に行けばまだあるよ」

「そうか。ちょっとここで待っていてくれ」

 アルヴァはすっくと席を立ち、その足で去って行った。取り残された葵が言われた通りに待っていると、彼は少し時間を置いてから戻って来た。

「見てきたの?」

「見物したあと破壊してきた。騒ぎになっても困るからね」

「えっ、あんなのも騒ぎになっちゃうの?」

「この世界にはない物だから仕方がない。なるべく、不必要な行動は謹んでもらいたいね」

 アルヴァにさりげなく叱責された葵はせっかくのストレス発散も虚しく、新たなストレスを募らせた。あれもダメ、これもダメと抑圧され続けたのではストレスを溜めるなという方が無理である。葵の苛立ちを察したのかどうかは定かではないが、アルヴァは口調を改めて話を変えた。

「ところで、ユキダルマは何のために作るものなんだ?」

「何のためって……ただの遊びだよ」

「意味がないのか。不可解だが興味深い」

 呟いたきり考えに沈んだアルヴァを見つめた葵は、何でもかんでも意味を持たせたがる彼の方が不可解だと思った。葵は知らなかったのだが魔法を学ぶということは世界の根幹を追求するということであり、アルヴァの姿勢はこの世界では一般的なのである。しかし葵が疑問を口にしなかったので、彼らの話はそこまで及ばなかった。

「少し、ミヤジマの世界の話を聞かせてほしい。ミヤジマのいた場所はどんな世界なんだ?」

「どんなって……」

 答えに窮した葵は眉根を寄せて天井を仰いだ。アルヴァはすでに、葵がいた世界に魔法がないことを知っている。ならば他に何を話せばいいのか思案した葵は、この世界と大きく異なる点を見つけてアルヴァに視線を戻した。

「この世界は月が二つあるけど、私がいた世界では一つだったよ」

「へえ。単色の月しか浮かばないというわけか」

「タンショク?」

「色が、一つ。何色の月?」

「ああ、単色ね。でも白っぽかったり黄色だったり、赤く見えることもあるよ」

「ほう、月は一つなのに色味が変わると? 何故?」

 葵のいた世界で月の色が変わるのは、大気の状態によって瞳に映る色彩が変化するためである。だが彼女にはそこまで説明するだけの知識がなかった。葵が口ごもっているとアルヴァが話題を変えたので、話は暦のことへと移っていく。

「この世界では一ヶ月が三十日って決まってるんでしょ? でも私がいた世界では三十一日の月もあって、閏年なんてのもあったよ」

 一年を三百六十五日とすることや、四年に一度、一年を三百六十六日とする閏年があることを説明するとアルヴァは難しい表情をして空を仰いだ。計算でもしているのかと思った葵は、しばし閉口して待つ。頭の整理がついたのか、アルヴァは再び葵を見た。

「何故、ウルウドシというものが存在するんだ?」

「いや、そこまではちょっと……」

 解らないと葵が言うと、アルヴァはスッキリしないという表情をした。しかし葵にはそれ以上の説明は無理だったので、別の話題を振る。

「そういえば私がいた世界では一週間の区切りもあったけど、この世界ではないみたいだね」

 葵が曜日について説明すると、アルヴァは再び考えこんでしまった。しかし今度は、さほど間を置かずに口火を切る。

「月と日はないが、あとの火・水・木・金・土は魔法の属性と同じだ。奇妙な合致だね」

 アルヴァは釈然としない様子で独白を零していたが、葵はそれほど不自然なことだとは思わなかった。曜日とは七曜が守護する日のことであり、昔は宗教的なものだったのである。火や水などは根源的な要素であり、そういったものが様々な場面で使用されることに葵は違和感を抱かなかったのだ。だがこの世界と葵がいた世界を繋ぐような奇妙な合致だと言われれば、それもまた頷ける。

「ちなみに一日を区切る単位もあったよ。一日が二十四時間で、一時間は六十分、一分は六十秒」

「なんて綿密な世界だ」

 理解が追いつかなくなってしまったのかアルヴァは頭を抱えて唸り出した。葵はどちらの世界も体験しているので理解も早いが、一方の世界しか知らないアルヴァの想像力では言葉が足りない部分を補えないのも仕方のないことである。

「アルもいつか来てみたら? 別の世界の人を呼べちゃうくらいなんだから、こっちから別の世界に行くことも出来るんじゃないの?」

 葵が思いつきで放った一言をきっかけに、アルヴァは真顔に戻った。アルヴァにじっと見つめられた葵は、その視線に何か含みがあるような気がして眉をひそめる。

「何?」

「……いや、何でもない」

「ふうん? あ、でもさ、私がいた世界にこっちの世界の人が来ると魔法はどうなるんだろう? あっちの世界で魔法なんか使ったら大騒ぎになるよ」

「ふむ。面白い問題提起だ」

 アルヴァは再び探求者の顔つきになり、考えを巡らせているようだった。会話が途切れたので、葵はアルヴァが来たらどうなるかと想像を巡らせてみる。

 ポットがひとりでにお茶を入れたり、指から火が出るなど、まるでマジックである。だがタネもシカケもないことが分かれば必ず騒ぎになり、毎日のようにテレビで騒がれること請け合いだ。ましてアルヴァは美形なので、『イケメン魔道士来る!』のようなタイトルをつけられてもてはやされるかもしれない。そこまで考えたところで葵は堪えきれずに吹き出した。

「……ミヤジマ?」

「な、何でもない」

 とは言ってみたものの、葵は笑いを収めることが出来ずに腹を抱えて笑った。ひとしきり笑い転げた後、うっすらと目尻に浮かんだ涙を拭う。アルヴァが不審そうな表情をしたままだったので、葵はこの部屋へ来た本来の目的を切り出すことにした。

「家まで送ってくれない?」

 秘色の月は一年で最も雪の多い期間であり、葵がアルヴァに送ってくれと頼み込むのも幾度目かのことである。すでに日常茶飯事となりつつあったがアルヴァは特に嫌な顔をするでもなく頷いたのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2009 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system