鈍る心

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 冬月とうげつ期の終わり頃に決まって降る粉雪が、今日も舞っていた。丘の上に建つトリニスタン魔法学園は最後の雪に包まれて白く染まっている。グラウンドも校舎もまだ高く積もっている雪に覆われているが、この雪は夏月かげつ期に入るとすぐ跡形もなく消え去っていくのだ。そんな儚い雪が降りしきる静寂の中、学園の校舎内では力任せに扉を開ける者の姿があった。

「……やあ」

 室内にいた金髪の青年が、乱暴にドアを開けて侵入して来た生徒に声を投げた。白衣姿の彼はトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校医を勤めるアルヴァ=アロースミスである。そして保健室のベッドにどっかりと腰を下ろしたローブ姿の少女の名は、宮島葵といった。

「今日はまた、一段と派手だね」

 葵の姿を見て、アルヴァは苦笑いを浮かべる。それもそのはずであり、葵のローブや髪は所々焼け焦げていた。尚且つ、彼女はこの凍てつく季節に全身から水を滴らせているのである。

 葵が不機嫌な表情で無言を貫いていたのでアルヴァは呪文を唱え始めた。いつかの巨大送風機が彼らの間に出現し、葵と彼女が濡らしたベッドを物凄い勢いで乾かしていく。焼け焦げたうえに風で乱れた髪を、葵はもう直すことすらしなかった。

 ハル=ヒューイットだけでなく他のマジスターとも仲良くしているという噂が広まって以来、葵は直接的な嫌がらせを受けるようになっていた。初めのうちの陰口など可愛いもので、今では魔法で狙い撃ちされる始末である。本日は炎の魔法と水の魔法をセットで食らい、葵は命からがら保健室に逃げ込んだのであった。

「とにかく、手当てをするから。ローブを脱いでこれに着替えて」

 アルヴァが差し出したのは裾の長そうなシャツであった。しかし葵は受け取らず、アルヴァを見上げることもなく一点を見据えている。髪も顔も痛みも、今の彼女にはどうでもいいことだった。

「私、この学校やめる」

 ぽつりと呟かれた葵の言葉にはどんな感情も込められていなかった。葵のこの科白は今まで幾度となく繰り返されてきたものだったが、アルヴァは眉根を寄せて空を仰ぐ。

「それは、僕のハーレムに参加してもいいということ?」

 アルヴァはわざと、葵が嫌がる言葉を選んで口にした。現在まではこの手段で事なきを得てきた彼だったが、アルヴァの予想に反して葵はあっさり頷いて見せる。

「ハーレムでも何でもつくれば?」

 何もかもがどうでもいいという気分だった葵は乱れた髪に櫛を入れることもなく一つに括った。そしてそのまま、傷の手当てもせずに保健室を立ち去っていく。アルヴァに愚痴を零してみても、腹立たしさが少しも和らがなかったからだ。

 保健室を出た後、葵は大股でエントランスホールに向かった。走って逃げることも癪だったので、廊下にたむろして笑っている生徒達に睨みを利かせながら歩く。そうしているうちに、生徒達の視線が別のところへ移っていくのを肌で感じた。主に女生徒の視線が中庭に集中していたので、葵もそちらに目を移す。雪の降り積もった中庭では、私服姿の二人組が何かをしていた。

 この学園内において私服を着ている生徒はマジスターしかいない。中庭にいるのがウィルとオリヴァーだけだと見て取った葵は、ささやかな復讐を思いついた。近寄りたくても近寄れず窓に群がっている女生徒達を尻目に、葵は堂々と中庭へと歩を踏み出す。侵入者に気付いた中庭の二人は一様に葵を見た。

「ぶっ。アオイ、その格好どうしたんだよ」

 ボロボロの葵を見てオリヴァーが声を上げて笑った。ウィルは呆れたような表情で葵を見ている。

「ひっつめ頭をしてるから誰かと思った。別人みたいだね」

 縮れた前髪ごと結い上げている葵は胸中で、気にするところはそこかと突っ込みを入れた。しかし顔はにこやかに、二人に話しかける。

「何してんの?」

 問いかけながら二人の足下に目をやった葵はギョッとした。今まで死角になっていて見えなかったが、彼らの足下には丸い雪の塊がある。それも大きさの違うものが、二つ。

「それ……どうする気?」

「これか? これは、こうやって」

 恐る恐る尋ねた葵に答えたのはオリヴァーで、彼は小さい方の塊を大きい方の塊の上に乗せた。見事、雪だるまの完成である。

「それで、これをぶつけるんだ」

 雪だるまから少し距離を取ったウィルが、掌大の雪玉を投げつけた。危うく雪玉に当たりそうになった葵とオリヴァーは揃って抗議の声を上げる。二人の元へ戻りながら、ウィルは誠意の見えない謝罪を口にした。

「雪だるまに当てるの、間違ってるから。本当はこうやって遊ぶんだよ!」

 足下にある雪をすくい上げた葵は掌でそれを丸め、手近にいたオリヴァーめがけて投げつけた。距離が近かったこともあり、雪玉が命中したオリヴァーはよろめく。それを見たウィルが葵の真似をし、中庭では雪合戦が始まった。

 ささやかな復讐を誓って中庭に出た葵自身はいつの間にかすっかり忘れていたのだが、楽しげにマジスターと遊ぶ姿は女生徒達の確かな怒りを買っていた。そんなこととは知らず、葵は久しぶりの雪合戦に全力投球で臨んだ。ひとしきり雪玉を投げ合うと、燃え尽きた葵は雪の上に寝転がる。それを真似てオリヴァーとウィルも雪の上に倒れた。

「何これ。すっげー楽しい」

 雪合戦がよほど楽しかったのか、オリヴァーはまだ笑っている。同志を得た葵は嬉しくなって、オリヴァーの方へ体を傾けた。

「でしょ? 雪合戦って燃えるんだよねー」

「へえ。この遊び、ユキガッセンっていうんだ?」

 ウィルが話に入ってきたので、葵は寝転がったまま彼の方に体を傾ける。

「雪玉を使った闘いなんだよ。真剣勝負じゃなきゃ面白くないよね」

「というか、あの時の変な女はアオイだったんだ?」

 転がったまま顔だけ傾けてきたウィルが真顔だったので、葵はまずいことを口走ったと気がついた。彼女は追及されないうちに逃げようと体を起こしたのだが、オリヴァーの笑い声がウィルとの会話を途切れさせる。

「『変な女』って大抵アオイのことだな。ハルが言ってた変な女もアオイのことだったし」

「うん、アオイって変だよね」

 追及は免れたものの、ウィルの一言で葵は複雑な気分になった。しかし悲しく思う暇もなく、絡みつくような視線を感じた葵は周囲を見回してみる。すると校舎の窓という窓に女生徒の姿があり、じっとりとした視線が中庭に集中していた。

(うわっ、怖い)

 当初の目的をすっかり忘れていた葵は寒さにではなく体を震わせる。いくら今日で学園を辞めるとはいえ、帰り道に襲われでもしたら事だ。アルヴァに送ってもらおうと思った葵は雪を払って立ち上がった。

「あれ? もう行くの?」

 葵が立ち上がったのを見てウィルも上体を起こす。オリヴァーも体を起こし、お茶でも飲まないかと葵を誘った。温暖なシエル・ガーデンへの招待はありがたいことだったが、あの場所へ行くとハルがいるかもしれない。今はとても顔を合わせられる状態ではなかったので、葵は無言で首を振った。

 葵が立ち去ろうとすると急に、校内から歓声が上がった。それも女子ばかりの甲高い悲鳴であり、何事かと思った葵は周囲に視線を走らせる。すると二階の窓が開いていて、そこから二人の少年が中庭に向かって顔を出していた。

「うるせえ。黙れ」

 黒髪の少年が一声上げると、それまで騒ぎ立てていた生徒達は示し合わせたかのように一斉に口をつぐんだ。だが女生徒達の熱い視線は私服姿の少年達に集中している。静寂の中、窓から身を乗り出している黒髪の少年が中庭の二人に向かって声を投げた。

「お前ら、何やってんだよ」

「キル」

 ウィルが黒髪の少年の名を呟き、中庭から手を振った。二階の校舎からそれに応えたのは黒髪の少年ではなく、その隣にいる栗毛の少年である。二階を見上げていた葵はハルと目が合ったような気がして、慌てて校舎内に引き返した。

(嫌だ、また……)

 ハルには何故か、いつもみっともない姿ばかりを目撃される。ひっつめ頭を解いた葵は縮れてしまった髪で顔を隠し、俯いたまま保健室へと向かった。






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