鈍る心

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 オリヴァーとウィルと中庭で雪合戦をした翌日から葵は学校に行かなくなった。一日目は何事もなく過ぎ去ったのだが二日目になるとアルヴァが屋敷の方へ現れたので、葵はベッドの中から恨めしい視線を送る。葵の視線を受け流すように、アルヴァは苦笑して見せた。

「そのような顔をなさらないでください。こういう、約束でしたよね?」

 キングサイズのベッドの上で枕を抱いて縮こまっていた葵は観念して息を吐く。

「分かった。どんな人達が来るの?」

「……どういう意味ですか?」

 アルヴァが不可解そうに眉根を寄せたので、葵も首をひねった。

「だって、この家でハーレムつくるんでしょ?」

 葵はいたって真剣だったのだが、その言葉を聞いたアルヴァは顔を背けて笑い出した。アルヴァの反応から、ようやくからかわれたことに気がついた葵はむっつりとして閉口する。ひとしきり笑った後、アルヴァは少し寂しそうな表情を浮かべた。

「それほどまでに学園へ通うのが嫌ですか」

「嫌に決まってるじゃない。見てよ、このチリチリの髪」

 炎の直撃はかろうじて免れたものの、葵の毛先は見事なまでにチリチリになっていた。伸ばしていた髪も、こうなってしまえば切るしかない。長い髪に思い入れがあったわけではないが、これはそういう問題を遥かに超えていた。

「あの学校、おかしいよ。ちょっとマジスターと仲良くしたくらいで、何でここまでされないといけないわけ?」

 溜まりに溜まっていた鬱憤が、理性では抑えられないほど溢れ出てきた。だが泣いてしまえばイジメに屈したようで、葵は歯を食いしばって堪える。葵が懸命に激情を押し込めようとしているのを見たアルヴァは小さく息を吐いて天井を仰いだ。

「ちょっと、ではありませんよ。僕が知る限り、マジスターがあのように一般の生徒を気にかけたのはミヤジマが初めてです」

 マジスターが一般の生徒に声をかけることは、今までにも幾度かあった。しかし大抵、翌日には会話を交わした者がいたことすら忘れているのだ。マジスターと会話を交わしたばかりに尊大になり、いざという時には助けも得られず学園を去って行った女生徒が何人いたことか。マジスターにとって一般の生徒とは、その程度の存在なのである。そんな取るに足らない集団の一員でありながら、葵に対する態度だけが違う。マジスターのような男と子供をつくるために幼い頃から努力を続けてきた少女達にしてみれば、それが許せないのだとアルヴァは語った。

「一人だけならまだしも、ミヤジマの場合はキリル=エクランドを除く全員と楽しげに会話をしている姿を見られていますからね。彼女達が憤るのも無理もないことなのです」

「だからって、あんなことが許されるの? そりゃ、アルの言いつけに従わなかった私も悪いかもしれないけど、あんな風に魔法を使われたら死んじゃうよ」

「確かに、そうですね。ミヤジマは自然属性の魔法が使えませんから。今まで大怪我をしなかっただけでも奇跡的です」

 そう思っていながら、彼は静観していたのだ。葵が危機に晒されていることを承知していながら、助け舟も出さずに。今までは反発しながらもアルヴァに縋りたい気持ちがあったが、葵はもう彼を信じることが出来なくなったと感じていた。

「やっぱり、アルにとっては私がどうなろうと他人事なんだね。私がどうなったってどうでもいいんでしょ?」

「ミヤジマ、早合点して怒るのはやめてください。貴方は僕に頼らなければ何も出来ないのですから」

 アルヴァの言葉は、正論である。だが正論はもううんざりだと思った葵はベッドを下り、右手に嵌めている指輪を引き抜く。大理石の床に落ちた指輪が、カツンと小さな音を立てた。指輪は落下の衝撃で床の上を転がっていく。それが動きを止めるまで目で追っていたアルヴァは、顔を上げて葵を見据えた。

 アルヴァは無表情のままであり、レイチェル似の端正な顔にはどのような感情も表れていない。葵もまた、感情を面に出すこともなく視線を外す。再びベッドに戻った葵はアルヴァに背を向けて寝転がり、頭まで上掛けで覆い隠した。

「そうやって拗ねていて、何か得がありますか?」

 室内にはしばらく沈黙が流れていたが、やがてアルヴァが口火を切った。葵は答えず、ベッドの中で体を丸める。いっそのこと怒りに任せて飛び出してしまいたかったが、その後のことを考えるとアルヴァから逃げ出す勇気もなかった。惨めな思いが、胸の中で膨らんでいく。

(いやだ)

 何も言い返せず、耳を塞いで丸くなっていることしか出来ない自分が。悔しさのあまり涙が滲んできてしまったので、葵は手の甲で顔を拭った。

「ハル=ヒューイットに会えなくなっても、いいのですか?」

 アルヴァが不意に持ち出した名に、葵は皮肉な気持ちになった。彼はまだ、ハル=ヒューイットという存在が葵を繋ぎとめるものだと思っているらしい。そうしたアルヴァの真意を汲み取ってしまった葵は縮こまっているのが馬鹿らしくなり、体を起こした。

「私がハルのこと好きだって、まだ思ってたの?」

 葵が自嘲気味な笑いを浮かべてもアルヴァの表情は動かない。彼はただ、淡々と問いかけてきた。

「では、嫌いなのですか?」

「嫌いじゃないよ。でも、アルが思ってるような『好き』じゃない」

 身ばかりか心まで飾り立てる学園において、マジスターは等身大の態度で接してくれた。他の生徒達とは違うそういった部分に、葵は惹かれただけである。そして、何よりも……。

「ハルには彼女がいるんでしょ? 好きになったって意味ないじゃん」

 葵の言葉を聞いたアルヴァは怪訝そうに眉根を寄せた。彼は天井を仰いで何事かを考えている様子だったが、しばらくすると葵に視線を戻して口火を切る。

「誰に何を聞かされたのか知りませんが、ハル=ヒューイットを含め、マジスターには恋人などいませんよ」

 予想外の科白を聞かされる羽目になった葵は目を瞬かせた。ただ、と前置きし、アルヴァは言葉を次ぐ。

「ハル=ヒューイットに思い人がいることは広く知られています」

「ハルの片思い、なの?」

 ハルに相手がいると聞かされた時、葵は直感的に恋人の存在を悟った。それは実際にハルの態度を見ていて思ったことだったのだが、実情が片思いとは思いもよらない事態である。葵があ然としていると、アルヴァは無感動のまま問いの答えを口にした。

「あくまで噂ですから、実際に彼らがどういった関係なのかまでは僕も知りません。興味もないですからね」

「あ、そう」

「ミヤジマ、ハル=ヒューイットに恋人がいると思ったから自棄になっていたのですか?」

 アルヴァが呆れたように言うので葵は慌てて否定した。だが自棄になっていたわけじゃないと力説したところでアルヴァはまったく信じていないようである。どれだけ取り繕ってみても空々しさが拭えなかったので葵はアルヴァの説得を諦めた。代わりに、ある考えが頭をよぎったので眉をひそめる。

「ハルに好きな人がいるの知ってて、何で玉の輿狙えとか言えちゃうわけ?」

 やはりアルヴァは不誠実だと感じた葵は嫌な顔をしたが、アルヴァは平然と切り返した。

「確かに玉の輿を狙ってみたらどうかとも提案しましたが、その際の相手が誰とは言っていませんよ? ミヤジマ、いい加減に認めたらどうです?」

 アルヴァの不誠実さをなじるつもりが、悪あがきは醜いとまで言われてしまった。頭の片隅ではアルヴァの言うことも一理あると思いながらも手中に嵌められたことに対する憤りが勝り、葵はつんと顔を背けた。

「余計なお世話だよ。それに、ハルのこともどうだっていいよ」

 口ではそう言いつつも、葵の脳裏にはハルの姿が蘇っていた。彼のバイオリンを聞きたくて時計塔に通ったこと、キリルに殴られて動けなかった時に助けてくれたこと、シエル・ガーデンでウィルやオリヴァーとも一緒にお茶を飲んだこと、そうした思い出が目まぐるしくフラッシュバックしていく。

 学園を去るということは、マジスターとの接点もなくなるということである。両者を天秤にかけたとき迷いが生じないと言えば嘘になるが、もう学校へ行きたくないという気持ちも強かったので葵には黙り込むことしか出来なかった。

「ミヤジマが嫌だと言うのなら、仕方ありませんね」

 しばらくの沈黙の後、ついにアルヴァが折れた。葵はホッとしたような寂しいような、複雑な思いでアルヴァを見上げる。葵の視線を受けたアルヴァはふと、薄いカーテンが引かれている窓に目をやった。

「そういえば、今日で冬月期も終わりですね」

 アルヴァの独白は、それまでの話題をぶった切るようなものであった。唐突に無関係な話を始めたアルヴァを訝った葵は眉根を寄せる。

「それが、何?」

「冬月期の終わり……つまり、秘色の月三十日の夜には学園で夏月期を迎える儀式が行われるのです。せっかくですし、最後に見ておきませんか?」

 脈絡のない話題に関する真意はすぐに明かされたものの、夏を迎える儀式というものが想像出来なかった葵は首を傾げた。

「儀式って何するの?」

「マジスターが大掛かりな魔法を使うのですよ。各地にあるトリニスタン魔法学園で一斉に行われる風習で、とても大規模なものです」

 アルヴァに補足をしてもらってもイメージの湧かなかった葵は曖昧に頷いた。だがマジスターが話題に上ったことで、微かな期待が葵の胸を弾ませる。

(……最後なら、いいか)

 学園へ行くのは気が進まなかったが最後に一目、彼を見ることが出来るのなら。そう思った葵はアルヴァに了承を伝え、ベッドから抜け出して鏡の前に向かった。






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