本当の友達

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 冬月とうげつ期最後の月である秘色ひそくの月も終わりを迎え、世界は夏月かげつ期に入った。冬月期の間に降り積もった雪も、夏月期最初の月である岩黄いわぎの月一日には跡形もない。気温もまた、前日までの寒さが信じられないほどの上昇ぶりを見せている。そんな夏の初め、丘の上に建つトリニスタン魔法学園の保健室に酷似したある人物の部屋で、開襟の胸元をはためかせている少女がいた。

「あっつーい」

 あまりの暑さにとろけそうになりながら、宮島葵は誰に対するものでもない不満を口にした。やって来るなり冷風を吐き出している送風機の前に陣取った葵を見て、この部屋の主であるアルヴァ=アロースミスは小さく息をつく。

「ミヤジマ、そんな所に陣取るな。僕のところに風が来ないじゃないか」

 誰が魔力を消費していると思っているのだと、アルヴァは不満そうにぼやく。葵は長方形の送風機を抱いたまま、体を仰け反らせてアルヴァを見た。

「暑いなら白衣脱げばいいじゃん」

 トリニスタン魔法学園の校医であるアルヴァは、おおよそ生徒が訪れそうもない密室にこもっていながらも白衣だけはきちんと着用している。白衣の下では腹が見えそうなほどシャツのボタンを外しているというのに、何故か白衣だけは脱がないのだ。また、トリニスタン魔法学園の生徒達も冬と同じく長袖のローブを常用している。それが規則なのかは知らないが、そんな暑苦しい格好をしてわざわざ汗だくになるなど馬鹿げていると、元いた世界で常用していた制服を着崩した格好をしている葵は思っていた。

「……脱いでいいのか?」

 少し間があった後、アルヴァは真顔のまま返答を寄越した。ただ白衣を脱ぐだけで裸になるわけではないのだが、アルヴァの口調が不穏だったので葵は慌てて体勢を立て直す。そして、力一杯首を横に振った。

「やっぱ、ダメ。なんかアルが言うとやらしい」

「ミヤジマも利口になったものだな」

 何をするつもりでいたのかは分からないが、アルヴァは陰湿な笑みを浮かべて見せる。ゾッとした葵は送風機の前から離れ、大人しくベッドに腰を下ろした。

「しかし、ミヤジマが心変わりしてくれて良かったよ。転校となると住居も移さないといけないし、色々と面倒だったんだよね」

 デスクの引き出しから取り出した煙草に火をつけたアルヴァは脚を組み、いかにも面倒そうな口調でそんなことを言ってのけた。転校など初耳であり、葵は目を見張る。

「あの『仕方ない』って、そういう意味だったの?」

「どういう意味だと思っていたんだ?」

 アルヴァに問い返された葵はため息をついてから口をつぐんだ。どうやらアルヴァには初めから、葵を自由にさせる気などなかったようである。束縛されていることには嫌気がさすが、それは学校を変えたところで変わらない。それならばこの学園に残る決心をしてまだ良かったのだと、葵は自分を慰めた。

「それで、今日はどうだった?」

 現在はすでに授業が終了した放課後である。この部屋を訪れた本来の目的を思い出した葵は一日の様子をアルヴァに語った。

 全校女生徒による葵いびりは、魔法を行使しての強硬手段にまで至っている。自然属性の魔法が使えない葵には対抗する手段がないのだが、これまでは何処へ逃げても必ず発見されて嫌がらせをされたものだ。だが今日は、一度身を隠してしまえば見付かるようなこともなかった。それも偏に新しい指輪のおかげである。

「上々の仕上がりみたいだね。でも今度のリングは常に魔力を消費してる状態だから、今までより頻繁に補充しないといけないんだ」

「どのくらいのペースで?」

「三日に一度、というところかな。他の魔法を使った場合はもうちょっと早くなるね」

「わかった、気をつける」

 指輪の効果が切れたせいで、また髪の毛や制服を焼かれてはたまらない。そう思った葵は真剣な表情で頷いた。

「ところでミヤジマ、制服は?」

 アルヴァの言っている『制服』はトリニスタン魔法学園の制服である白いローブを指している。以前のローブがボロボロになってしまったのでアルヴァが新しい物を用意してくれたのだが、葵はあえて着て来なかった。わざわざ異色な高校の制服を着ているのは『もう屈しない』という覚悟の表れである。それと、もう一つ理由があった。

「あんなの暑くて着てらんないよ」

「……なるほど。確かにその格好は涼しそうだね」

 アルヴァが呆れたように言うのでムッとした葵はベッドから立ち上がった。アルヴァの目前まで歩み寄った葵は青いチェック柄のスカートの裾を掴み、気に入りのシルエットを見せるために彼の前で一周する。

「可愛いでしょ、この制服。この制服が着たくて今の高校選んだんだよ」

「それ、高等学校ハイスクールの制服だったのか。いいね、スカートが短くて」

「どこ見てんのよ!!」

 裾を広げて見せていた葵は慌てて手を離した。アルヴァはしたり顔のまま、制服姿の葵を舐めまわすように視線を這わせる。

「若々しさが強調されていて青い果実って感じだね。でも僕は熟れて甘すぎる果実の方が好きなんだ」

「何の話してんのよ、この変態!!」

 アルヴァのいやらしい視線に耐えられなくなった葵は捨て台詞を吐いた後、慌てて部屋を後にした。自分を偽らなくてもよくなったせいか、あんなことを言われても不快感は残っていない。むしろ変わらない日常が清々しくさえ感じられた。だが、晴れ晴れした気分は長く続かなかった。進行方向にたむろしている女生徒の姿が目に入り、葵は笑みを消す。

(いやな所にいるなぁ)

 一階の北辺にある保健室を出た後、葵は校舎の西側を通ってエントランスホールに向かっていた。女生徒達の集団は間もなくエントランスホールが見えてくる辺りでたむろしている。見付かったら何をされるか分からないので、葵は彼女達をやり過ごすために踵を返した。少し戻った所にある階段を三階まで上り、校舎南の廊下を東に向かって進む。二階下はちょうどエントランスホールになっていて、葵はホールの反対側へ出てから再び階段を下ろうとした。

「あら、ミヤジマさんではございませんこと?」

 背後から唐突に声をかけられたので、葵は足を止めて振り返った。名を呼ばれたことで察しはついていたが、そこにいたのはココ・シルヴィア・サリーの三人組だった。ココ達はクラスメートであり、一時は友人を演じていたこともあるが、葵がきっぱりと訣別の意志を告げて以来、彼女達も他の女生徒と同じく露骨に嫌がらせをするようになっていた。だが尻尾を巻いて逃げるのも癪なので、葵はゆっくりと歩み寄って来る彼女達を佇んだまま迎えた。

「それにしても驚きましたわね。シルヴィアさん、サリーさん?」

 三人の中央に陣取っているココが、わざとらしく驚いて見せながらシルヴィアとサリーに話を振る。シルヴィアとサリーはココの調子に合わせて大袈裟に頷いて見せた。

「わたくしも驚きましたわ。このところお姿を見かけなかったものですから、もうお辞めになったのかと思っていましたもの」

「これから退学届けを出しに行かれるのですか?」

 表現は遠まわしなものの、彼女達は葵にも理解出来るように『この学園から出て行け』と言っている。そこまで率直に嫌味を言われると傷つく暇もなく、葵は呆れてしまった。

「辞めないよ。何であんた達に言われて辞めなきゃいけないの」

 葵の反応が予想外のものだったのか、ココ達は瞠目した。作らない口調で言葉を交わすことが初めてだったので、そのことに驚いたのかもしれない。しかし彼女達はすぐ、驚きを治めて冷徹な顔を前面に押し出した。

「ミヤジマさん、貴方は本当に良家の子女ですの? とてもそうは見えませんわ」

「アオイなどというファミリーネームは聞いたこともありませんし、きっと身分を偽って入学なさったのですわよ」

 とても小声とは言い難い声音でココに耳打ちの仕種をしたシルヴィアの発言に、葵は様々な意味合いを含んだ失笑を零した。その苦笑いが癪に障ったのか、シルヴィアが顔を赤らめる。

「何ですの、その笑い方。まるでわたくしをバカにしているようで失礼ですわ」

「バカになんてしてないよ」

 軽蔑はしてるけどと、葵は胸中で付け加える。心の囁きが聞こえてしまったかのようにシルヴィアはさらに顔を赤くした。

「あなたのような落ち零れにバカにされる覚えはありませんわ! 今すぐ謝ってください!!」

 トリニスタン魔法学園に編入して以来、葵は授業でさえ自然属性の魔法を使って見せたことがない。使えないのだから仕方のないことだが、彼女達の目にはそれが『落ち零れ』として映っていたようだ。今まで口に出さなかったのは、胸焼けがするような彼女達なりの『友情』だったのだろう。上辺だけの付き合いであることなど初めから分かっていたことであり、葵は小さくため息をついた。

「やだ。あやまる理由がないもん」

「この!!」

 逆上したシルヴィアはココやサリーの制止を振り切り、葵めがけて突進して来た。魔法を使われるかもしれないとは思っていたものの突進は予想外であり、葵は迫り来るシルヴィアの姿に目を見張る。突き飛ばされた体が階段の上へ躍り出てしまってからも、葵はまだ呆然としたままだった。






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