本当の友達

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「ソマシィオン、グランクッション!」

 第三者の声が静かな校内に響き渡った直後、葵は何か柔らかいものの上に落下した。しかし柔らかいものごと階段を下る羽目になり、踊り場でぐったりと体を横たえる。何が起きたのか分からずに、天井を見つめていた葵は目を瞬かせた。

「しばらく留守にしている間にアステルダム分校も品位が落ちたものね」

「す、ステラ様!?」

 頭上でそんな会話が聞こえた後、複数の足音が遠ざかって行った。葵は下敷きにしている柔らかいものの上で体を起こし、まだぼんやりしている頭を軽く振る。静けさを取り戻した校内では階段を下る一つの足音だけが耳についた。反射的に階上を仰いだ葵は、ゆっくりとした足取りでこちらへ来る人物に目を留めて嘆息する。平凡な家庭に生まれたことを初めて嘆きたくなるほど、その少女は別世界の者の空気を纏っていた。

「あなた、大丈夫? どこか打たなかった?」

 手を差し伸べてもらったものの、少女に見入っていた葵は反応を示すことが出来なかった。長いブロンドの髪が目を引く少女はトリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏っているが、明らかに他の生徒達とは違う。ぼんやりとヘーゼル色をした瞳を見つめていた葵はやがて、彼女の唇が動いていることに気がついてハッとした。

「えっ? 何?」

 とっさに口をついて出た言葉は、到底初対面の者に向ける科白ではなかった。葵は自分の過ちを察して慌てて口をつぐんだが、少女は気にした風もなく柔らかく微笑む。

「その様子なら大丈夫そうね。間に合って良かったわ」

 そう言った後、少女は葵を指差して『イル・ルヴィヤン』と呟いた。その直後、葵の下敷きになっていた巨大なクッションが音もなく消え失せる。素足が冷たい床に触れて初めて、葵はあのクッションが少女の魔法によって出現したことに思いを及ばせたのだった。

「ありがとう」

 助けてくれた少女に、葵は改めてお礼を言った。葵に合わせてしゃがみ込んでいた少女は裾を払って立ち上がり、まだへたりこんでいる葵に手を差し伸べる。少女に手を引いてもらって立ち上がった後、葵もスカートを払った。

「私、ステラ=カーティス。貴方のお名前は?」

「あ、宮島葵です」

 問いに答える形で名乗った後、葵は引っかかるものを感じて首を傾げた。しかしすぐ、ステラという名がマジスターと結びついて、葵は驚きながら少女に視線を戻す。

(この子が、ステラ……)

 葵はまじまじと、人形のようなバランス美を思わせるステラを観察した。華奢な体にふんわりとした長い髪が柔らかな印象を抱かせるが、彼女の面にはそうした雰囲気に反する意思の強さが表れている。きつい感じではないが、その強さが彼女を『特別』にしているようである。半ば見惚れながら葵がそんなことを考えていると、ステラが難しい表情をしながら口を開いた。

「ミヤジマ=アオイ……不思議な響きがあるお名前ね」

 この世界では日本人の名前に馴染みがないようで、ステラも例によって眉をひそめている。その反応の後にどんな質問が来るか承知している葵は思わず身構えたが、ステラは葵の考えとはまったく別のことを口にした。

「制服を着ていないけれど、ミヤジマはこの学園の生徒?」

「……一応、そうかな」

 素直に認めるのにはまだ抵抗があったので、葵は『一応』という単語を付け足してしまった。葵の返答が煮え切らないものだったためか、ステラは目を瞬かせている。その件について深く突っ込まれないうちに話題を変えようと思った葵は、今度は自ら問いを投げかけた。

「ステラってマジスターでしょ? 他の人達は私服なのに、何でステラだけ制服なの?」

「何故学園に制服が存在するか、ミヤジマは知っている?」

 答えの代わりに問いを返されたので葵は首をひねった。小さく微笑んで見せた後、ステラは説明を始める。

「魔法を学ぶことは自然を理解しようとすることと同じ。自然を学ぶためには人間の心も自然に近い方がいいの。ゆったりしたローブは自然の限り無い包容力を表していると言われているわ。白は潔白だけど、何色にでも染まることが出来る。若い心と似ているのよ。つまり、学生にぴったりの色彩ということね」

「え、えっと……」

 何気ない問いかけが小難しい話に発展してしまい、よく分からなかった葵は困惑した。ステラは理解を求めようとはせず、葵に合わせてゆっくりとした調子で言葉を次ぐ。

「私は魔法を学ぶ身としてトリニスタン魔法学園の理念に賛同しているの。だから制服を着ているというわけ」

 それはつまり、ステラは校則をちゃんと知っていて、なおかつその校則に賛成しているということだ。そう察した葵は深く納得し、同時に、ステラのことをカッコイイなと思った。

(校則なんて髪染めるなとか理不尽なものだと思ってたけど、違うんだなぁ)

 久しぶりに生活指導の教諭の顔を思い出した葵は懐かしくなりながら口元を緩めた。葵は控えめなブラウンだったので嫌味を言われる程度だったが、金髪や明るい茶色に染めていた生徒はよく校則違反だと叱られていたものだ。だが規則には、規則を定めるに至った理由がある。ステラにそう教えられた葵はこの世界へ来た時になくしてしまった鞄に入っていたはずの、一度もまともに読んだことがない校則が書かれた生徒手帳のことを思い出していた。

(向こうに戻ったら読んでみようかな)

 そう思ったのも束の間、自分の性格を省みた葵は明日には忘れていそうだと胸中で呟いた。

「ミヤジマは何故、制服を着ないの?」

 ステラに問いかけられ、葵はギクッとした。葵の些細な変化を見逃さなかったようで、ステラはさかさずフォローを入れる。

「咎めているのではないから、誤解しないでね」

「あ、うん……」

「さっきの質問は単なる私の興味だから。答えたくなかったら答えなくてもいいわ」

「いや、あの、暑いから……なんだけど」

 他の理由がないこともなかったが、葵が高校の制服を着用している一番の理由はここにある。そんな答えが返ってくるとは思っていなかったようで、ステラは瞠目した。その直後、彼女は声を上げて笑い出す。

「すごく合理的! だけど面白いわ、ミヤジマ」

 笑いすぎて涙が滲んでしまったのか、ステラは目尻を指で拭っている。そんなステラを見つめていた葵は、この人好きだなと強く思った。

(飾らない……ありのままだ)

 初対面であってもそう感じられるほど、ステラには堅苦しさがない。言葉の端々から真面目な性格なのだということが見て取れるが、彼女には押し付けがましさが微塵も感じられなかった。包容力とはこういうことを言うのかと、そう思った葵は密かに嘆息する。

(ハルが好きになるの、分かるよ)

 分かってしまっては敵前逃亡も同じだが、葵には敗北感すらなかった。単純にステラのことを好きになってしまった葵は作らない笑みを浮かべる。

「ミヤジマっていうの、ファミリーネームなんだ。アオイの方で呼んでくれると嬉しいな」

「そうなの? ファミリーネームが先にくるなんて、ますます不思議」

「その辺は詳しく説明出来ないんだけど、いつか教えられそうだったら教えるよ」

「残念。でもアオイがそう言うのなら無理には聞けないわね」

「私もステラって呼んでもいい? っていうか、もう呼んでるけど」

「もちろん! お友達になりましょう、アオイ」

 ステラから差し出された手を見て、葵は編入当初のことを思い出していた。お嬢様ぶって自分を偽っていた葵に、ココ達もそう言って手を差し伸べてきたのだ。あの時は『お友達』という響きがひどく空々しかったが、今は嬉しい気持ちしかない。

「こちらこそ、よろしく」

 葵は笑顔で、ステラの細い手をしっかりと握り返した。






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