本当の友達

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 トリニスタン魔法学園の校舎は敷地内のほぼ中央に位置している。校舎の南には広大なグラウンドがあり、西には一般の生徒が登下校するための魔法陣が描かれた正門が、北には葵とマジスターくらいしか使用していない裏門があった。そして校舎の東には、学園のエリート集団であるマジスターが溜まり場として使用しているドームがある。全面ガラス張りのこのドームは温室になっていて、季節に関係なく様々な花が咲き乱れているのだ。そのためこのドームは、一般的に『大空の庭シエル・ガーデン』という名で呼ばれていた。

 シエル・ガーデン内は出入口となる扉さえ設けられていない密閉された空間だが、いつも柔らかな風が吹いていた。半円形のドームは使用面積が広大なうえ全面が外の風景を映すガラス張りになっているので、風まで吹いているとなると室内にいることが嘘のように感じられる。甘い花の香りに包まれながらガーデン内を歩いている葵は、相変わらず現実離れした場所だと思いながら歩を進めていた。

 シエル・ガーデンの中程には水路に囲まれた場所があり、周囲より数段高くなっているその場所には白いテーブルとイスが置かれていた。そこは人間が花を愛でるための場所になっていて、葵はここでキリル=エクランドを除くマジスターとお茶をしたことがある。だが今は、葵とステラの他には誰もいなかった。

「どうぞ、座って」

 プライベートな空間に客人を招き入れた時のように、ステラは気軽に葵を促した。ステラが先に腰掛けたので、葵は彼女と向かい合う形で白いイスに腰を落ち着ける。

「アン・テ、アフタヌーンティー」

 ステラがイスに座ったまま指示を出すと、テーブルに置かれていたシルバーの茶器がひとりでにお茶の準備を始めた。魔法を使ってお茶を淹れること自体は珍しいことではないが、茶葉がブレンドされるのを見るのは葵にとって初めてのことである。些細なことだが彼女のこだわりを感じた葵は、優雅なことを自然にやってのけるステラに感心してしまった。

「どうしたの、アオイ?」

「あ、うん。アフタヌーンティーってブレンドするもんなんだと思って」

「午後に愉しむお茶を『アフタヌーンティー』と言うから、ブレンドティーにするかどうかは好き好きね。アオイはあまり、紅茶は飲まない?」

「そんなこともない、と思うけど……どうなんだろう」

 この世界で『お茶』と言えば紅茶が一般的なようだが、葵にはこの世界に来るまで、それほど紅茶というものに馴染みがなかった。スーパーやコンビニで売っている紅茶はたまに買うこともあったが、大好きというほどでもない。だがこの世界へ来てからは、どこへ行っても紅茶を出されるため、あまり他の飲み物を口にした記憶はない。そういった事情があるため、葵の答えはやや曖昧なものになってしまったのだった。

「私はいつも、アフタヌーンティーにはブレンドの紅茶をいただくの。けれど好みは人それぞれですものね、お口に合わなければ淹れなおすわ」

 ステラがそんなことを言い出したので、葵は慌ててカップに手を伸ばした。ソーサーから持ち上げられたティーカップはまだ十分な熱さを保っていて、湯気と共に濃密な香りが漂ってくる。琥珀色の液体をゆっくりと一口含んで、葵はカップをソーサーに戻した。

「おいしい」

「よかった! この紅茶のブレンド、私のオリジナルなの。アオイが気に入ってくれて嬉しいわ」

「オリジナル?」

「そう。オリジナルの呪文スペルよ」

 葵はステラが『オリジナルブレンドの紅茶を生み出した』ことに目を瞬かせたのだが、ステラから返ってきたのは葵の驚きから少しズレた言葉だった。ステラの発言にさらに驚かされた葵は再びまばたきを繰り返す。

「えっ? 魔法って自分でつくれるものなの?」

 教えてもらうことしか知らなかった葵にとって、それは目から鱗が落ちるような発見だった。オリジナルブレンドの紅茶を一口含んだ後、ステラはカップをソーサーに戻してから葵の疑問に答える。

「私たちが何気なく使っている魔法も先人達が試行錯誤の末に生み出したものよ。そう考えれば私やアオイが新しい魔法を生み出したとしても不思議はないでしょう?」

 葵は頷き返しながらも、ステラの凄さを改めて感じていた。彼女は簡単なことのように言うが、新たなものを生みだすためには閃きのセンスと知識が必要なのだ。オリジナルの魔法を作り出せる者は魔法の根幹を熟知している、ということなのだ。魔法の根幹、それは自然と人間を結ぶ呪文を構成する文字である。

(すごいなぁ……)

 ステラは同列のように扱ってくれたが自身が魔法を使うことの出来ない葵が新たな魔法を考案するなど夢のまた夢である。だがステラの『学び』に対する姿勢をカッコイイと思った葵は密かに、今までおざなりにしてきたことをやってみようかという気になっていた。テレビもゲームもないこの世界では、幸か不幸か時間は有り余っているのだ。

 シエル・ガーデンで他愛のない話をしながらゆっくりとした時間を楽しんでいると、不意にステラが花園の方へ顔を傾けた。つられた葵も、何事かと視線を移す。するとそこにはいつの間に出現したのか、私服姿の四人の少年の姿があった。彼らがこちらに向かって来ていたので葵は慌てて席を立つ。

「どうしたの、アオイ?」

 ステラがキョトンとした表情で尋ねてくるので反射的に逃げようとしていた葵は苦笑いをした。もう、マジスターから逃げてもどうにもならないのだ。

 マジスターの一員らしく、ステラは笑顔で少年達を迎えた。知り合いには違いないが、どう声をかけていいのか分からなかった葵は沈黙を保っている。誰よりも先に口火を切ったのは黒髪の少年――キリル=エクランド――で、彼は葵を指差しながらステラに問いかけた。

「この女、何?」

「彼女はミヤジマ=アオイ。さっきお友達になったの」

 キリルとステラが話をしている横で赤髪の少年――ウィル=ヴィンス――が葵に視線を送りながら小さく肩を竦めて見せた。ウィルに同調するように、茶髪の少年――オリヴァー=バベッジ――も苦笑いを浮かべている。ウィルとオリヴァーは互いに顔を見合わせた後、再び葵に視線を注いだ。

「やっぱり覚えてなかったね」

 声をかけてきたのはウィルである。キリルに見事なまでに忘れ去られている葵は覚えていられても困ると思い、ウィルに苦笑を返した。

「何の話だよ」

 自身が話題に上っていることを察したようで、キリルが不機嫌そうにウィルを睨む。ウィルが素知らぬ顔で目を逸らすと、キリルの怒りは葵に向けられた。真っ向から鋭いまなざしを向けられた葵は反射的に体を震わせる。自身でも無自覚だったのだが、殴られた恐怖と痛みが密やかに尾を引いていたようだった。

「こんな所まで入り込みやがって、図々しいんだよ。部外者は出てけ」

 キリルの語気は険しく、それまで和やかだったシエル・ガーデンに張り詰めた空気が漂った。突然敵意を向けられた葵はあ然としていたが、やがて沸々と怒りがこみ上げてきた。

(何でそこまで言われなきゃいけないのよ)

 このドームは確かに、マジスターの領域であるのかもしれない。だがキリル一人のための場所ではなく、葵はマジスターであるステラに誘われてここへ来たのだ。そう言い返そうかとも思ったのだがキリルの目は冷たく、葵は反撃に出る前に怯んでしまった。

「キル、言いすぎ」

 険悪な沈黙を破ったのはどこか間延びしたハルの声だった。諌められたことが癪だったのか、キリルは葵から視線を転じてハルを見る。

「何だよ、ハル。お前、この女を庇うのか?」

「庇うも何も、今のはキルが悪いでしょ」

 ハルが応えるより先にウィルが口を挟んだので、キリルは再び彼を睨んだ。オリヴァーまでもがハルの意見に同意したことで、その場に不穏な空気が流れる。喧嘩になりそうだと察したのか、それまで静観していたステラが彼らの間に割って入った。

「私がアオイを誘ったの。ここは皆の場所ですもの、先に訊いておけばよかったわね。ごめんなさい、キル」

 ステラに正面から謝られたキリルは突然、毒気を抜かれたような表情になった。彼はステラから視線を外し、どうしたらいいのか分からないといった風に頭を掻いている。そんなキリルに笑みを向けた後、ステラは葵を振り返った。

「ごめんなさい、アオイ。キルは口が悪いけど、悪気はないの」

「えっ? あ、うん」

 反射的に頷いてしまったものの、葵は後味の悪さを感じていた。それはキリルも同じらしく、彼は嫌そうな表情をしてステラを見る。

「何だよ、その言い方。まるでオレが悪いみたいじゃないか」

「悪いのは、私。キルもアオイも悪くないわ」

 ステラがあっさりと自らの非を認めてしまったため、キリルは言い返すことも出来ずに口をつぐんだ。何とも言えない気分になった葵は密かに渋面をつくる。

(ステラって、やっぱり特別なんだなぁ)

 葵がステラと同じことをした場合、キリルは問答無用で殴りかかってくるだろう。今もステラがいなかったら、こちらの言い分など聞く耳もなく殴られていたかもしれない。そんな傍若無人な子供キリルを、ステラは簡単にあしらうことが出来るのだ。

 ふとハルに目を留めて、葵はドキッとした。ハルの視線はキリルと会話しているステラに向けられているのだが、その表情は見たこともないくらいに柔らかい。噂が単なる噂ではないと直感した葵はいたたまれない気持ちになって目を伏せた。

「……ステラ」

 葵が呼ぶとステラはキリルとの話を中断させて振り向いた。初めて教室へ行く前に幾度も練習させられた笑みを顔にはりつけ、葵は言葉を次ぐ。

「私、そろそろ帰るね」

「もう帰ってしまうの?」

「うん、ちょっと用事があるから」

「そうだったの。引き止めてごめんなさい」

「ううん、平気。じゃあね」

 ステラに軽く手を振って見せた後、葵はテーブルの上に置いていた魔法書を手にしてその場を離れた。蜜が香る花々に囲まれた歩道を直進し、移動のために描かれている魔法陣も素通りして徒歩で外を目指す。しかしどこまで進んでも出口らしきものはなく、葵は仕方なく踵を返すことにした。

 気まずくなって立ち去った場に、再び戻るのは気が重い。しかし転移魔法を使えない葵は一人でドームを出ることすら出来ないのだ。頭ではそう理解していてもやはりマジスター達の所へ戻る気にはなれず、葵は魔法陣の上で歩みを止めてしまった。戻ることも進むことも出来ず、小脇に抱えている役に立たない魔法書が無意味に重い。使えないと分かっていても呟かずにはいられず、葵は『アン・ルヴィヤン』と呪文を唱えてみた。

(あれ……?)

 急に眩しくなって瞑った目を開けた刹那、視界に映る風景は一変していた。どこまでも続いていそうだった庭園の代わりに、今は見知った屋敷が瞳に映っている。足元に目を落とすとそこには魔法陣が描かれていて、葵は眉根を寄せながら顔を上げた。

(なんだ、使えるんじゃん)

 今まで『転移魔法は使えない』と思い込んでいた葵は、その呪文を口にしてみることさえなかった。しかし実際は、こうしてドームから家への帰還に成功してしまっている。アルヴァにこのことを話そうと考えたのも束の間、どっと汗が噴き出してきて葵は急に息苦しさを覚えた。

(……あつい……)

 どういった仕組みになっているのかは分からないが、シエル・ガーデンの内部は陽光が注いでいても快適だった。だが外の空気は蒸されていて風もなく、じめじめと暑苦しい。日焼け止めが欲しいと切に思った葵は分厚い魔法書を盾にして、小走りで屋敷のエントランスへと向かったのだった。






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