本当の友達

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 シエル・ガーデンでステラとお茶をした翌日、授業が終わってから保健室を訪れた葵は脇目も振らず空いているベッドに直行した。やって来るなりベッドに倒れ、そのままぐったりと横たわっている葵を見たアルヴァは席を立ち、ゆっくりと彼女の傍へ歩み寄る。葵は仰向けに寝転んだまま、アルヴァに疲れた笑みを向けた。

「ステラ=カーティスを味方につけるなんて、やるじゃないか」

 アルヴァはすでに葵が疲弊している理由を知っていたようで、そんな言葉を投げかけてきた。起き上がった葵は浮かない顔をしてベッドの端に座りなおし、深くため息をつく。

「そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 ステラと友達になったのは、単に彼女が好きだったからである。だがステラと仲良くなったおかげで全校女生徒の態度が急変したことも確かであり、葵は言葉を濁すしかなかった。

 トリニスタン魔法学園の生徒にとってマジスターは絶対的な存在である。それは彼らの容姿や財力もさることながら、魔力の違いによる影響が大きい。普通に考えれば玉の輿を狙う女生徒達にとってステラは邪魔な存在だが、葵のように力づくでどうこう出来る相手ではないのだ。また他のマジスターとも仲がいいため、彼らの印象を悪くしないためにはステラに媚びるしかない。よって、彼女達はステラに従う他ないのだった。ただ強制的な上下関係に思えても圧制感はあまりなく、どちらかというとステラは、トリニスタン魔法学園に通う女生徒にとって憧れの存在のようだった。

 ステラと友達になるということは全校女生徒を牽制することになるだけでなく、全校男子を味方につけたことにもなる。そのおかげで今まで葵に無関心だった男子生徒達まで媚びてくるようになったのだ。そんな風に学園が一変してしまったため、葵はいらぬ疲労をすることになったのだった。

「何もされないのは助かるけど、色んな人が話しかけてくるからうざい。私の機嫌とってマジスターに近付きたいっていうのがミエミエなんだよね」

 昨日、葵を階段の上から突き落としたシルヴィアでさえ、引きつった笑みを顔に張り付けながら話しかけてきたのだ。これでは生徒達の変わり身の早さに呆れるなと言う方が無理だろう。

「それだけマジスターの影響力が大きいということだよ」

 アルヴァがアイスティーをくれたので、葵はありがたく受け取って一息に干した。空いたグラスを枕もとの台に置いてから、葵は改めてアルヴァを見る。

「ねえ、アル」

「何だ?」

「また文字、教えてくれない?」

 葵の申し出に驚いたのか、デスクに戻ってイスに座ろうとしていたアルヴァは一瞬動きを止めた。椅子の位置をわざわざ振り返って確かめた後、アルヴァはしっかりと腰を落ち着けてから葵を見据える。

「また、急だね。何か心境の変化でもあった?」

「まあ……ちょっとね」

「ミヤジマが自分から学ぶ気になってくれて嬉しいよ。何なら、家まで行って教えてあげようか?」

「……それはいい。授業が終わったら来るから、ここで教えて」

「了解。それで、どうして急に学ぼうという気になったんだ?」

 一度は流した話題を蒸し返され、葵は苦笑いを浮かべた。出来れば流したままで終わらせたかったのだが、葵は仕方なくアルヴァの問いに答える。

「ステラがカッコイイと思ったから」

「ステラ=カーティス?」

「うん。何かに一生懸命な姿って、いいなって思って」

「ああ……ステラ=カーティスは探求の徒だからね」

 ステラの人となりをそれなりに知っているらしく、アルヴァは得心したように頷いた。『探求の徒』の意味が分からなかった葵は微かに眉根を寄せる。葵の細微な変化を見逃さなかったアルヴァは饒舌気味に説明を加えた。

「模範的な生徒、ということだよ。彼女の場合は魔法開発もしているから、すでに生徒の域を超えているけどね」

「あ、そうそう。魔法って自分でつくれるものなんだってね」

「ミヤジマにも出来るよ。使える使えないは別にしても、文字を学べばオリジナルの呪文スペルを生みだすことは出来るから」

「そうなんだ? 使えないのに新しい魔法がつくれるって、なんか不思議だね」

 もともとパズルなどの細かな作業が好きな葵は言葉の組み合わせ次第で魔法を生みだすことが出来ると聞いてワクワクしてきた。これは、魔法を使えなくても文字を学ぶ意味がありそうである。そこで昨日の出来事を思い出した葵はアルヴァにその話をしてみることにした。

「そういえば、私にも転移魔法って使えるんだね。今まで使えないとばっかり思ってたから、ビックリしちゃった」

「使ったのか? 転移魔法を」

「うん、昨日ね。でも今朝、学校に来る時に使おうと思ったら出来なくなってたけど」

「それは、そうだろうね」

 アルヴァが『当然だ』と言わんばかりの表情をしているので不可解に思った葵は首をひねった。言葉にしなくとも疑問は伝わったようで、アルヴァは一つ息をついてから言葉を次ぐ。

指輪リングの魔力が空になっているから、今はどんな魔法も使えないはずだよ」

「あ、そうなんだ? でも昨日、補充したばっかりだったよね?」

「昨日の今日で何故、リングの魔力が激減したのだと思う?」

「……もしかして、転移魔法を使ったから?」

「要は、そういうことだ。ミヤジマは転移魔法を使えないわけじゃないが、使って欲しくないんだよ」

 転移魔法は魔力の消費が激しく、指輪に蓄えている微々たる魔力では使えたとしても一回が限度である。まして葵の指輪は常に魔力を消費しているような代物なので、転移魔法を使うタイミングがもう少し遅ければ魔法は発動さえしなかっただろう。そこまで説明したところでアルヴァは席を立ち、再び葵の元へ歩み寄って来た。彼が何をしに来たのか承知している葵は、無言で右手を差し出す。葵の差し出した手を受け取ったアルヴァは中指の指輪に口づけ、その後は何事もなかったかのように指定席へと戻って行った。

「せっかくだから少し、無属性魔法についての話をしようか」

「あ、聞きたい」

 魔法への興味が高まっていたこともあり、葵はアルヴァの提案を喜んで受け入れた。手短に終わる話ではないようで、アルヴァはデスクの引き出しから煙草を取り出して火をつける。吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出してから、彼は講義を開始した。

「例えば紅茶を淹れる時、僕達は呪文を唱える。ミヤジマ、アイスティーを淹れてみようか」

 アルヴァの求めに従って、葵は『アン・テ、フロワ』と呪文を唱えた。するとアルヴァのデスクに置かれていた茶器が葵の呪文に反応し、ひとりでにアイスティーを淹れ始める。グラスに注がれたアイスティーを片手に、アルヴァは説明を続けた。

「この茶器やグラスは市販のものだ。そして市販の物には大抵、用途に合わせた呪文が刻まれている。物に刻まれている呪文が魔法を使った者の呪文に反応してひとりでに動く、これが無属性魔法の大原則だ」

「へ〜、そうだったんだ」

「モノに刻まれている呪文は見せない決まりになっているからね。ミヤジマは気がつかなかったんだろう」

「何で見せないことになってるの?」

「技術保守ってやつだよ。長くなるから、この話はまたの機会にしよう。物に働く作用は、これで理解出来たか?」

「うん。大体分かったと思う」

「じゃあ次に、転移魔法だ。これも無属性魔法の一種だけど、これは相手が物じゃない。僕達が唱えた呪文は何に作用するのだと思う?」

「えっ……何だろう?」

 それまで説明を受ける側だったのが不意に答えを求められ、何も思い浮かばなかった葵は考えこんでしまった。しばらく待ってみても回答がなかったためか、アルヴァがヒントを口にする。『転移魔法を使った時の状況を思い出してみるといい』との助言を受け、葵は昨日の出来事を思い返してみた。

「あ、わかった。魔法陣だ」

「正解。転移魔法の場合、呪文は魔法陣に働く。魔法陣は魔法の発動を佑けると共に目印の役割も担っているんだ」

 例えば登校をする際には、トリニスタン魔法学園の生徒は自宅にある魔法陣から学園にある魔法陣へと魔法を使って転移する。このように、転移魔法は基本的に魔法陣を介するものなのだ。しかし例外的なものもあり、その一つが『アン・ルヴィヤン』という呪文である。これは『帰還』を意味する呪文であり、この呪文を唱えた者は予め指定されている魔法陣へと召喚・・される。『アン・ルヴィヤン』の呪文には移動するべき場所が一つしかないので、魔法を使う者が魔法陣の上に立っている必要はないとのことだった。

「へええ〜。色々、キマリがあるんだね」

 原則から外れた例外が存在するなどややこしいことには違いないが、理解出来れば面白そうな話である。そう思った葵は今聞いた内容を整理しようと頭を働かせていたのだが、ふと、アルヴァから注視されていることに気がついて眉根を寄せた。

「何?」

「今のミヤジマ、探求者のような顔をしているよ。すごく魅力的だ」

「えっ、あの、ありがと」

 アルヴァに褒められたのなど初めてのことであり、どう反応すればいいのか分からなかった葵はとりあえずお礼を言った。アルヴァは急に師匠のような顔つきになって、穏やかに笑う。

「何を学ぶにしても情熱は必要だからね。いいことだよ」

 そこでいったん話を終わらせ、アルヴァは唐突に話題を変えた。

「だけどミヤジマ、ステラ=カーティスとはあまり仲良くしない方がいいんじゃないの?」

「……どうして?」

「どうして、って……彼女はハル=ヒューイットの想い人じゃないか」

「ああ……」

 そのことかと、葵は胸中で呟いた。だが返す言葉はなく、葵は沈黙を守る。葵が何も言わないのでアルヴァは不可解そうな表情をした。

恋敵ライバルと親しくなってどうしようっていうんだ? それとも、そういう作戦なのか?」

「作戦って」

 ライバルだの作戦だの、考えてもみなかった単語が次々に飛び出したので葵は笑ってしまった。

「そんなこと考えてないよ。ただ、ステラが好きだと思ったから友達になっただけ」

「呑気なことを言っていると負けるよ? ただでさえミヤジマは色々劣ってるんだから」

「……さりげなく失礼なこと言わないでよ」

 そう切り替えしたものの、アルヴァの言っていることが本当のことだったので、葵には腹を立てる気さえ起らなかった。ステラは、トリニスタン魔法学園にあふれている自称『良家の子女』とは格が違うのである。そんな人物と張り合おうと思うほど、葵は自分に自信を持ってはいなかった。しかしアルヴァはまだ納得していないようで、話を続ける。

「分からないな。確かに相手は格上だけど、ミヤジマは張り合う前から諦めているように見える」

「じゃあ聞くけど、アルは私がステラに勝てるって思う?」

「今のままじゃ無理だろうね」

「そう思うならほっといてよ」

 早くにこの話題を終わらせたかった葵はふてくされた表情を作ってそっぽを向いた。アルヴァは呆れた顔をした後、顔を背けている葵に哀れみのまなざしを向ける。

「そこまで自分を卑下しなくてもいいじゃないか。ミヤジマだって磨けば光るかもしれない」

 そこでアルヴァは、何なら自分が手助けをしてもいいとまで言い出した。彼の発言はまるでステラと張り合えと言っているようなものであり、訝しく思った葵は眉をひそめながら背けていた顔を戻す。

「アルさぁ、何でそこまでステラと張り合わせたがるの? なんかアヤシイんだけど」

「失礼な。僕はただミヤジマの幸せを願っているだけだ」

「その一言が一番アヤシイ。何か隠してるでしょ?」

「ミヤジマがそこまで言うのなら、本当のことを言うよ」

 アルヴァから返ってきたのは意外にも素直な反応だった。いつもは何でも隠したがる彼が率直な態度に出ることは珍しく、かえって気味が悪くなってしまった葵は顔を強張らせる。しかし葵が身構えたことなど眼中にないようで、アルヴァは真顔のまま言葉を次いだ。

「僕がミヤジマの恋愛に口を出すのはね」

「な、何?」

「ミヤジマを愛しているんだ。だから気になるんだよ」

「うそっ!?」

「もちろん嘘だよ」

 一瞬にしてパニックに陥った葵は、そのまた一瞬後にはがっくりと脱力した。葵のバカ正直な反応を見てアルヴァは笑っている。いいようにからかわれた葵は自分の単純さを呪いたくなった。

「不可解なんだよね。傍目からでもハル=ヒューイットが好きだって分かってるのに自分ではなかなか認めようとしないし、今度は恋敵とまで仲良くなってしまっている。一体ミヤジマは何をしたいんだ?」

 ひとしきり笑った後、アルヴァは真顔に戻って真意を口にした。その一言から導き出されるアルヴァの思惑は、単に自分が抱いている疑問に答えを得たいということだけである。そんな理由でうるさく言われては堪らないと思った葵は少し憤った。

「そんなの、アルに関係ないじゃん」

「確かにそうなんだけどね。性格上、疑問はそのままにしておけないんだ」

 アルヴァはステラのことを『探求の徒』と表現したが、彼自身もよほど熱心な探求者だ。しかしそれは、アルヴァの身勝手である。答える義理がないと思った葵は側に置いてあった魔法書をひったくり、ベッドから飛び降りた。

「帰る」

「ミヤジマ、勉強は?」

「今日はもういい!」

 鼻息も荒くアルヴァを拒絶した葵は保健室を出て、後ろ手にピシャリと扉を閉めた。葵はしばらくその場にいたが、アルヴァが追って来るような気配はない。保健室のドアに背を預けた葵は高い天井を仰ぎ、重いため息をついた。

(何でいつも、こうなるかなぁ)

 今日はアルヴァと少しだけ分かり合えたような気になっていたのだが、結局はいつもの結末である。葵も怒りたくて怒っているわけではないのだが、アルヴァがふざけるからいけないのだ。

(たった一人の味方のはずなのに、相性悪いなんてサイアク)

 しかしそれは、今に始まったことではない。気分を切り替えるように頭を振って、目を開けた葵は目前に佇む人物がいることにギョッとした。






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