シャドウダンス

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「そういえば、今日は何するの?」

 葵はステラと約束があったので塔を訪れたのだが、その内容についてはまだ知らされていなかった。葵の問いに対し、ステラは極上の笑みで応える。

「パーティーに着ていくドレス、アオイはもう決めた?」

「……ドレス?」

「そういえば、アオイは編入生だったわね。岩黄いわぎの月の十日の夜にはね、トリニスタン魔法学園の創立祭があるの。パーティーと言っても学園内でやるのだけれど、ダンスもあるから生徒達も正装するのよ」

 葵が眉をひそめた意味を誤解したステラが、パーティーについて詳しい説明を加えてくれた。何のパーティーなのか知らなかった葵はありがたく説明を聞いていたが、そのおかげで不安も募ってしまった。ドレスなど着たことがなく、もちろん持ってもいないからである。

「私は……行かないから」

 正装してのパーティーなど場違いだと思った葵は、とっさにそう答えていた。葵の返事に瞠目したステラが口を開くより先に、彼女の背後から声が上がる。

「来ないの?」

 声を発したのは、ハルだった。オリヴァーの傍らにしゃがみこんでいるハルはじっと、葵を見上げている。不意に注視されたことに困惑した葵が答えられずにいると、彼女の返事を待たずにハルが言葉を次いだ。

「そう。せっかく、あの曲やるのに」

「あ、そっか。忘れてた」

 ハルの一言でカノンのことを思い出した葵は思わず声を上げていた。十日のパーティーで演奏されるのは独奏ではない、完全版の『カノン』である。もともと華やかな場所に気が引けていただけの葵の心は、ハルが何気なく発した言葉の前に激しく揺れ動いた。

「あの曲って何? 二人だけで分かり合ってないで教えなよ」

 そこでウィルが口を挟んだので、ハルはそちらに顔を傾けながら答える。

「ヴァリア・ヴェーテ」

「アオイはヴァリア・ヴェーテが好きなの?」

 ハルが口にした単語は曲名だったようで、それを聞いたステラが問いかけてきた。『カノン』という名前に馴染みすぎている葵にとっては曲名が違うと別物のように感じられるが、話を繋げるためにもとりあえず頷いておく。ステラも音楽が好きなようで、彼女は嬉しそうな顔をしながら『カノン』の話を続けた。

「ヴァリア・ヴェーテはパーティーで演奏するのよ。是非アオイにも聞いてもらいたいわ」

「でも私、ドレスなんて持ってないから」

「だったら買いに行きましょうよ。私もちょうど新調しようと思っていたところなの」

 それで葵を街に誘おうと思っていたのだと、ステラは言う。アルヴァに現金代わりのカードを与えられているので金銭的な問題はないのだが、それでも葵は躊躇していた。だが困惑気味の葵を置き去りに、話は進んでいく。

「僕たちも一緒に行こうよ、ハル。どこかのバカのせいで音合わせも出来ないことだし、暇だろう?」

「それなら皆で行きましょうよ。ね、ハル?」

「いいけど」

 ウィルとステラに誘われたハルは乗り気ではなさそうだったが、拒むことはしなかった。ハルの返事を得たところでウィルが立ち上がり、未だのびているオリヴァーに視線を落とす。

「このバカはほっとこう。起きるとうるさい」

「キルは?」

「キルも放っておこう。アオイと相性が悪いからね」

 ウィルはハルと話しているのだが、傍で耳を傾けている葵に対する配慮というものは特になかった。話題に上っているにもかかわらずウィルにもハルにも視線を向けられなかったが、葵は一人で苦笑する。

「行きましょう、アオイ」

 ステラが声をかけてきたので葵は真顔に戻った。ステラは先程から地面に何かを描いていたのだが、彼女の足下にはすでに小さな魔法陣が完成している。準備万端整えて誘われては断ることも出来ず、葵は大人しく魔法陣の上に立った。ステラが描いた魔法陣はちょうど四人が入れるサイズになっていて、全員が魔法陣に入ったところでステラが呪文を唱え始める。詠唱が終わると魔法陣は光を放ち、四人を一瞬にして丘の下まで運んだのだった。

「僕はサードアベニューにいるから。そっちの用が済んだらお茶しよう」

 市街へ着くなりウィルはそう言い、雑踏に紛れていった。一緒に行こうと言い出した人物が早々に単独行動をしだしたことに葵はあ然としたが、ハルとステラは慣れているのか眉一つ動かしていない。

「私達も行きましょう」

 ステラが先頭に立って歩き出したので、葵は隣に並んだハルに疑問をぶつけた。

「サードアベニューって何?」

「三番目の大通り」

「ふうん。アベニューって大通りのことなんだ」

 葵が得心して頷くとハルが微かに眉根を寄せた。ハルの視線に気付いた葵は首を傾げながら問う。

「何?」

「あんた、変だな」

「……改まって言わないでよ」

 ハルに『変』呼ばわりされるのはいつものことであり、葵は大して気にしてもいなかった。だが今回の『変』は勝手が違うらしく、ハルが珍しく言葉を次ぐ。

「いや、そうじゃなくて……」

「ハル? アオイ?」

 ステラの呼び声がしたので、何かを言いかけていたハルは言葉を途切れさせて顔を上げた。そのまま話が流れてしまったので葵は首を傾げたままハルとステラの後を追う。先にステラに追いついたハルが何かを話したらしく、彼女は葵を振り返った。

「この街のサードアベニューはね、別名図書通りと言うの。トリニスタン魔法学園が隣接する街では珍しくないのだけれど、ここは王都に次ぐくらいの品揃えなのよ」

「へえ。じゃあ、ウィルは本を見に行ったってこと?」

「ウィルは古書の発掘が趣味だから。私も後で寄りたいわ」

 雑談しながら歩いているうちに目的地に到着したらしく、ステラはそこで話を打ち切った。ステラが足を止めた店は洋服店のようで、店の前面に設置されているディスプレーにはドレスやタキシードが飾られている。それだけでも量販店でないことは明らかで、店構えを目の当たりにした葵は気後れしてしまった。ステラはトリニスタン魔法学園の制服である白いローブ、ハルはラフな私服を着ているが、彼らは馴染みの店のように店内に進入して行く。彼らが『セレブ』であることを改めて認識した葵は居心地の悪さを覚えながら洋服店の入口をくぐった。

「これは、カーティス様にヒューイット様。いらっしゃいませ」

 来客の対応に出てきたタキシードの青年がすぐさま、ステラとハルに頭を下げる。葵には彼らがどの程度の『お金持ち』なのか見当もつかなかったが、こういった店に日常的に出入りしているようであればかなりのものなのだろう。シンプルながらも豪奢な雰囲気が漂う店内に馴染めず、葵はステラ達から少し離れた所で成り行きを見守った。

「演奏用のシンプルなドレスを一着。カラーはブラックがいいわ」

「かしこまりました。ヒューイット様も新調なさいますか?」

「俺はいい」

「左様で御座いますか。そちらの方は……」

 最初はステラ、次はハルと、それぞれの意向を窺った従業員は最後に、所在無く突っ立っている葵に視線を向けてきた。葵が何を言えばいいのか戸惑っていると、ステラがすかさずフォローを入れる。

「こちらはアオイ=ミヤジマ。彼女にはどのようなドレスが似合うと思います?」

「そうですね……ミヤジマ様も奏者でございますか?」

「いえ、彼女は来賓よ」

「それでしたら、こちらのドレスなどいかがでしょう?」

 従業員の青年はそう言い置いて、葵達を店内の奥へと誘導した。ワンフロアーの開放的な店内にはすでに完成されている洋服が並んでいる一角があり、青年はそこから一着のドレスを引き抜く。彼が選んだのはパステルミントのキャミソールドレスだった。

「ホワイトレースを重ねておりますので女性らしい、可憐なデザインとなっております。いかがでしょう?」

 青年からドレスを渡された葵は困りながらステラを振り向いた。葵の視線を受け止めたステラは柔らかく微笑んで見せる。

「アオイはきれいな黒髪だから明るい色彩のドレスが似合うと思うわ。着てみない?」

 ステラだけでなく従業員にも勧められたので、葵はドレスを持って店内の奥へと移動した。男性従業員とハルは店内に残り、ステラだけが葵に付き添う。この店の試着室は量販店で見かけるような狭いボックスではなく、十畳ほどの一部屋を丸々使用しているのでかなりの広さがあった。ドアがある以外の三面が鏡になっている室内で、葵は所在無く辺りを見回す。しかしすぐ、ステラが着替えてみせてと促したので、葵は仕方なく制服を脱ぎ始めた。柔らかい布地のドレスを頭から被り、それから肩紐に腕を通す。ステラはよく似合うと言ってくれたが、鏡に映った自分の姿を見た葵は不満に思った。

(髪、長かったらなぁ……)

 ショートヘアとアップスタイルは正面から見れば同じようにも見えるが、微妙に印象が違ってくる。髪が長ければ着こなしようがあったかもしれないが、焼け焦げた髪をスタイルもなく切り落としただけの今の姿ではドレスが似合わない。今更ではあったが葵は、遠慮もなく火球を投げつけてきた名前も知らない女生徒を恨めしく思った。

「髪、気になる?」

 少し顔をしかめただけで何を気にしているのかまで読み取られてしまい、葵はステラに苦い笑みを返した。

「うん。やっぱり、似合わないよ」

「そんなことないわ。短い髪だってセットすれば変わるもの。その辺りは私に任せて」

 当日はばっちり決めてあげると言うステラに押し切られ、このあと葵は結局、試着したドレスを購入する羽目になったのだった。






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