シャドウダンス

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 試着室に姿を消していた葵とステラが店内に戻るとハルは一人、隅に置いてある椅子に座って目を閉ざしていた。頭を壁に預けている彼の体からは力が抜けていて、どうやら待たされているうちに寝入ってしまったようだ。無防備なハルの寝顔があまりにも可愛く、不覚にもときめいてしまった葵は慌てて目を泳がせる。ステラはハルの寝顔まで見慣れているのか、短く嘆息しただけだった。

「ハル、起きて」

 声をかけながら手を伸ばし、ステラはハルの頬を両手で優しく包み込んだ。その体勢はまるで、そのままキスを落とすことが自然なように思える。思いがけない光景を不意に見せ付けられ、葵は自分でも驚くほど狼狽してしまった。

 当然のことながらと言えるかどうかは微妙だが、ステラは葵が考えたような行動には出なかった。彼女は片手でハルの顔を支え、空いた手で軽くハルの頬を叩く。寝ぼけ眼にステラの姿を映したハルは、半ば寝言を言うように唇を開いた。

「……ステラ?」

「お待たせ。用事は済んだから、行きましょう」

「ああ……」

 いまいち状況が掴みきれていないようだったが、ハルはステラに促された通りに立ち上がった。見送りに出てきた店員に別れを告げ、葵達は洋服店を後にする。先程のショックを引きずっている葵と寝ぼけているハルが口を開かずにいると、二人を振り返ったステラが率先して口火を切った。

「何処でお茶にしようか? アオイは行きたいお店がある?」

 ステラに話しかけられたことで我に返った葵は小さく首を振った。一時期はクラスメート達とお茶を飲んでから帰るということをしていたが、葵はこの街に詳しいわけではないのである。ハルにも希望はないようだったので、結局はステラが店を決めることになった。

「フォースアベニューカフェにしましょう。アオイ、ハル。それじゃあ、また後で」

 ひらひらと手を振るとステラは雑踏に呑み込まれていった。唐突に別れを告げられた葵はぽかんと口を開けていたが、やがて正気に戻ってハルを仰ぐ。

「ねえ、ステラはどこ行っちゃったの?」

「たぶん、サードアベニュー。ウィルを探すついでに自分も古書をあさるんじゃない?」

 ステラが単独行動に出るのもいつものことなのか、ハルの口調はずいぶんとあっさりしていた。どうやら個人主義なのはウィルだけでなく、マジスター全員に言えることのようだ。葵と同じく取り残された形のハルもまた、突然の空き時間を持て余す様子もなく歩き出す。どうしたらいいのか分からなかった葵は、ひとまずハルの後を追った。

「ハルはどこ行くの?」

「そうだな……どこ行きたい?」

 ハルが意見を求めてきたので、葵は意外な面持ちで彼の横顔を見た。しかし視線には気付かなかったようで、ハルは真っ直ぐに前を見て歩を進めている。

(わかんないなぁ、何考えてるのか)

 ハルの顔色を窺うことがバカらしく思えてきた葵は、あれこれといらぬ考えを巡らせるのをやめた。せっかく二人きりでいるのだ、今はこの時を楽しみたい。そう腹を決めた葵は口調を明るくしてハルに声をかけた。

「ハルは? どっか行きたいところがあるんじゃないの?」

「俺? 別に、ないけど」

「……じゃあ、何処に向かって歩いてるの?」

「適当」

 ハルの行動が本人の言葉通りのものだったので、葵は開いた口が塞がらなくなってしまった。葵に指摘されたことで自分の行動を考え直したのか、ハルは不意に足を止める。ハルが立ち止まったので葵も足を止めようとしたのだが、余所見をしていたため通行人に激突してしまった。

「鈍くさいな」

 通行人に頭を下げる葵を見ていたハルは、ため息まじりにそう言って彼女の手をとる。突然手を引かれた葵は呆気にとられた。

(手、手が……)

 異国情緒漂うヨーロッパ風の街並みを、ハルと二人、手をつないで歩いている。そのシチュエーションはさながらデートのようであり、意識しすぎてしまった葵は顔を上げていられなくなってしまった。

(どうしよう)

 顔が熱い。心臓も鼓動が聞こえてしまいそうなくらい、どくどくと脈打っている。自然体でいるハルの手は何の感情も表していない温度だったが、葵の手は緊張のために汗ばんできていた。それが嫌だったのか、ハルが不意に手を離す。

「あ、ご、ごめん」

 解放された手を引っ込めた葵が反射的に謝るとハルは不思議そうに首を傾げた。

「何で謝ってるの?」

「それは、えっと……」

 あなたと手を繋いだので緊張して汗ばんでしまいました。とは言えず、葵は曖昧に笑って誤魔化す。ハルは説明がないことを不可解に思っているような顔をしていたが、彼は不意にポンと手を打った。

「あんたの顔見てたら思い出した。ちょっと、こっち」

 ハルは再び葵の手を引き、今度は目的地がある確かな足取りで歩き出した。ドレスを買った洋服店など華やかな店が並ぶ大通りを外れ、ハルは迷路のように入り組んでいる脇道を躊躇いもなく進んでいく。そうして辿り着いたのは不思議な通りだった。大通りとは違ってショーウインドウのある店はないが、通りの両側には看板が連なっている。どうやら商店街のようだったが、そこは葵の知る生活感が溢れる商店街とはまったく別のものだった。

「なに、ここ?」

 その通りでは持ち主のいない靴が石畳の上でダンスを披露していたり、ぬいぐるみや人形が店番をしていたり、蛇のような光が足元を駆け抜けていったりと、目新しい光景に溢れていた。葵がぽかんと口を開けていると、ハルは『フィフスストリート』であることだけを告げて歩き出す。もう手は離れていたので、葵は呆然と周囲を見回しながらハルの後を追った。

(うわぁ……何だろう、この空気)

 魔法が刻まれた物がひとりでに動く場面は何度も見ているが、葵が今までに目にしてきたモノはどれも機械的だった。だがこの通りでは、魔法が息衝いている。決められたルールもなく自在に動き回る物や光を見ていると、葵の心は初めての高揚に満たされた。

「面白い?」

 ハルが尋ねてきたので葵は瞳を輝かせながら頷いた。葵は体全体から『楽しい』という空気を発しており、それを見たハルが微かに眉根を寄せる。

「さっきも思ったけど、あんたって本当に大袈裟だよな。無属性魔法なんて珍しいものじゃないのに驚いたり、喜んだり」

「だってこの通り、ステキだもん」

 『ファンタジーの世界みたいで』という言葉は呑み込み、葵はハルに苦笑を向けた。葵が何故苦笑したのか解らなかったらしく、ハルは小さく首を傾げる。あまり深入りされると余計なことを喋ってしまいそうだったので、葵はさっさと話題を変えた。

「そういえば、何か用事があったんじゃないの?」

「ああ、そうだった」

 葵に言われて思い出したようで、ハルは再び通りを歩き出した。その彼が一軒の店に入って行ったので葵も後を追う。先程の洋服店に比べると随分と手狭な店内には所狭しとアクセサリーが並べられていた。指輪やネックレスなどを見ると心躍るのが女の子の性分であり、葵も例に漏れず目を輝かせる。

「うわぁ、かわいい」

 歓喜の声を上げた葵は店内にある様々なアクセサリーを見て回った。指輪やネックレスの他にイヤリングやブレスレットなどもあったが、それら全てに鉱石が嵌めこまれている。シルバーやゴールドだけのデザインはなく、ちょっとした違和感を覚えた葵は首をひねった。

(あれ? これって、もしかして……)

 指輪を見ていた葵はふと、右手を持ち上げて中指に視線を落とした。そこにはアルヴァから渡されたカルサイトの指輪があり、冷たい輝きを放っている。店内にある指輪はどれもデザインがよく似ており、葵はここがただのアクセサリー店ではないことを認識した。

魔法道具マジックアイテムかぁ。それでハル、このお店に入ったんだ)

 よくよく考えてみればハルはアクセサリーの類を身につけていない。魔法道具である指輪すらしていない彼がただのアクセサリーを見に来るなどおかしな話なのだ。そのことに気付いた葵はハルが一緒だったことを思い出し、店内を見回した。

(あ、あれ?)

 狭い店内は見通しも良いが、ハルの姿はない。焦った葵が慌てて店を出ると、ハルは店の壁に背を預けて路上に座り込んでいた。

「……何してんの?」

 葵が問うと、ハルは待っていたのだと言う。声くらいかけてくれればいいのにと思いながら、葵はハルが立ち上がる様子を眺めていた。立ち上がって汚れを払ったハルはポケットに手を突っ込み、そこから取り出したものを葵の目前に掲げて見せる。その動作が何を意味するのか解らなかった葵は目を瞬かせた。

「何?」

「あげる」

「えっ、何で?」

「あんたに何かあげるのに理由がいるの?」

 ハルは平然と、答えになっていない答えを口にした。あ然としてしまった葵は真っ白になった頭を振り、ハルの方へ手を差し出す。葵の掌に落ちてきたものは細かな鉱石が散りばめられたブレスレットだった。

 ハルの態度から察するに、このプレゼントはただの気まぐれだ。さっきの科白も葵が特別だと言っているわけではない。そのことを承知していながら、それでも、眩暈がするほど嬉しかった。泣きそうになった葵は慌ててブレスレットから顔を上げる。

「ありがとう。大事にする」

「……あんたって、ほんと大袈裟だな」

 魔法道具一つで葵がこれほど喜ぶとは思っていなかったのだろう、ハルは呆れたような表情をした。だがその直後には笑みを見せてくれる。ハルの笑顔に引き込まれそうになった葵は胸中で重症だと呟き、さりげなく彼から目を逸らした。






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