シャドウダンス

BACK NEXT 目次へ



 岩黄いわぎの月の十日は魔法を学ぶ者にとって特別な場所であるトリニスタン魔法学園の本校が王都に設立された、記念すべき日である。そのためこの日は王都にある本校を初め、各地に散在する全ての分校で創立祭が執り行われる。創立祭の内容は生徒代表であるマジスターが決めるため学園によってやや趣が異なるのだが、パンテノンという街にあるアステルダム分校では夜会形式の盛大なパーティーが開催されていた。その会場である夜の学園は魔法の光によってライトアップされており、月下に幻想的な佇まいを誇っている。メイン会場はこの日のためにマジスターが解放したシエル・ガーデンなのだが、葵は一人、明かりも人気もない校舎の廊下をひたひたと歩いていた。

 寂しい校舎内を一人きりで移動していた葵は目的地である一階の北辺に辿り着くと、あるドアの前で歩みを止めた。扉から明かりが漏れている様子もないが、いつもの流れで閉ざされた扉を開けてみる。すると『部屋』には明かりが灯っており、窓のない壁際には見知った人物の姿があった。

「……その頬、どうした?」

 侵入者の気配に振り向いたアルヴァは葵の顔を見るなり眉をひそめた。彼がそう問いかけるのも当然のことであり、葵は頬にガーゼを当てている。加えて彼女は華やかな夜にもかかわらず、いつもと同じく高校の制服姿であった。

「また殴られたの」

 むっつりとした調子で答えた葵は簡易ベッドにどっかりと腰を下ろした。短い髪を気にする以前に頬が腫れていてはドレスアップしようという気も起こらない。そのためステラとの約束も放り出し、葵は人目を避けながら直接アルヴァの元へ来たのだった。

「また、ということはキリル=エクランドか。えらく気に入られたものだね」

 平然とした口調で応えながらアルヴァは席を立つ。白衣を脱ぎ始めた彼を葵は恨めしい思いで睨み付けた。

「もとはといえばアルが悪い。アルが勝手に転移させるからこんなことになったんだよ。おかげでせっかく買ったドレスも着られないし、ステラとの約束も破っちゃったんだから」

「いいじゃないか。ミヤジマはもともと、パーティーには行きたくなかったんだろう?」

「それは、そうだけど……」

 確かに、パーティーには乗り気ではなかった。ステラとの約束を破ったのも、ひどい顔を見られたくないという葵のワガママである。だが痛い思いをしたのは間違いなくアルヴァのせいなのだ。やはり泣き寝入りをするのはおかしいと思った葵はアルヴァに文句を言おうとしたのだが、彼女はそこで初めてある異変に気がついた。

「……何してんの、アル?」

「何って、着替えだよ。ストリップでもしているように見えるか?」

「ストリップって……」

 アルヴァが真顔で冗談を言うので葵は呆れ返って言葉を詰まらせた。アルヴァはというと、葵の反応など意に介さず着替えを続けている。白衣から黒の上着に着替えたアルヴァはシャツの裾をきちんとしまい、白のネクタイを締めて髪まで整え出した。普段は無造作に流されているアルヴァの前髪が後ろへ撫で付けられていく様を見ていた葵は次第に落ち着かない気分になっていった。

(う、うわ、別人みたい)

 いつも目にしているだらしない姿が嘘のように着飾ったアルヴァは気品に溢れている。平素は髪で隠れている耳が見えるだけでも随分と印象が変わるものだ。思わず見惚れてしまった葵は初めてアルヴァを見た時の気持ちを思い出してドギマギしてしまった。

「ミヤジマ……」

 葵を呼びながら振り向いたアルヴァは言葉を続けようとしていた雰囲気があったものの、閉口した。葵を捉えているアルヴァの視線が上へ下へと忙しなく動く。何を見られているのか分からなかった葵は体を隠すようにしながら身を引いた。

「な、何?」

「みすぼらしい格好だけど、まあ、仕方がない。ミヤジマが好んでそういう格好をしているのだと、ちゃんと説明しておいてくれよ」

 服装が少し変わったくらいで中身までが変わるわけではない。改めてそう実感した葵の鼓動は正直に静まった。興醒めした葵が不服を露わにしてもアルヴァは構うことなく歩き出す。だが彼はドアを背に葵を振り返った。

「ミヤジマ、いつまでそんな所にいるつもりだ」

 アルヴァに「行くぞ」と言われたものの、葵は腹立たしい気分だったのでぷいっと顔を背けた。

「シエル・ガーデンに行くなら一人でどーぞ」

「今夜はワガママに付き合っている暇はない。どうしても嫌だと言うのなら、会場のど真ん中に強制転移させるぞ」

 さぞや目立つだろうなと、アルヴァは言う。その光景を想像してみた葵は青褪めて立ち上がった。

「行くよ。行けばいいんでしょ!」

「そう、僕の後に着いて来ればいい」

 今夜のアルヴァはいつになく傲慢である。遅れると本当に転移させられそうだと思った葵は慌てて部屋を出た。アルヴァはすでに暗い廊下を歩き出しており、後ろ手に扉を閉めた葵は小走りで後を追う。隣に並ぶのは嫌だったので葵はアルヴァの数歩後ろに陣取った。

(でも、アルが人の多いとこに行くなんて珍しい)

 夜の校舎を一緒に歩いたことならあるが、生徒のいる昼間の校内でアルヴァの姿を見かけたことはない。彼は自称校医だが妙なウサギに代役をさせるほど人前に姿を現すことを嫌っているように思える。それは何故だろうと、アルヴァの後ろ姿を見つめながら葵は思った。

「ミヤジマ」

「えっ、何?」

 ちょうどアルヴァについて考えていた時に呼ばれたので葵は上擦った声を出した。しかしアルヴァは振り向きもせず、淡々とした調子で言葉を次ぐ。

「ここから先は話しかけないでください。話しかけていただいても応えられませんので」

 一方的にそう告げたきりアルヴァは閉口してしまった。彼の背を見ている葵にはアルヴァがどんな顔をしてそんなことを言ってのけたのか解らなかったが、どことなく緊張のような空気が漂っていたので大人しく口を噤む。そのまま一言も交わすことなく、葵とアルヴァは校舎を後にした。

 校舎を出た葵とアルヴァが向かった先はパーティーのメイン会場であるドームだった。マジスターの領域であるシエル・ガーデンは普段は立入禁止になっているが、創立記念パーティーはマジスターによって主催されているので、今日は一般の生徒にも解放されている。花々の咲き乱れている室内庭園には着飾った生徒や教師の姿があり、彼らは存分に宴を楽しんでいるようだった。だが葵とアルヴァはその中に混ざることなく、ドームの上部に巡らされた回廊を歩いている。この回廊は床以外がガラス張りになっていて、空中散歩をしているような開放感を味わうことが出来るのだ。ドレスアップした人々の目に触れないぶん楽ではあったのだが、葵は奇妙な思いを抱きながら華やかな会場を見下ろしていた。

(こんな場所、あったんだ)

 以前、マジスターに招待されてシエル・ガーデンを訪れた時、葵は物珍しさも手伝ってドーム内を一通り観察した。しかしその時は、こんな回廊など目に映らなかった。シエル・ガーデンが全面ガラス張りの構造でなければただの通路だと思うことも出来るのだが、外の風景を透かして見せているこのドームにおいては回廊が見えなかったこと自体が不自然極まりない。だがその疑問について、葵はアルヴァに答えを求めようとは思っていなかった。そういう魔法なのだということで自己解決できるくらいには、葵はこの世界に馴染んできているのである。

(でも何でここ、誰もいないんだろう)

 パーティー会場である庭園には人が溢れているものの、葵達の後にも先にも人影はない。まるで貴賓用の隠し通路だと感じた葵は疑惑を含んだまなざしでアルヴァの背を見つめた。

(ここ、マジスターの場所のはずなのに。何でアルが詳しいんだろう)

 校舎を後にしてからずっと無言でいるアルヴァは目的地がある確かな足取りで進んでいる。それは一般生徒はおろか教師でさえ立入を制限されているはずのシエル・ガーデンの構造を熟知しているということであり、葵は奇妙さを覚えずにはいられなかった。しかし話しかけるなと言われているので、葵は唇を結んだまま歩いている。先を行くアルヴァの背中からはピリピリとした緊張感が発せられていて、とても話しかけられる雰囲気ではなかったのだ。

 螺旋状にドームを上っているような回廊を進んでいると、やがてアルヴァが足を止めた。彼の視線の先に扉があることに葵も気付いており、アルヴァがドアを開ける動作を黙って見守る。中へ入れと促されたので葵は大人しく従った。

「ここで少し待っていてください」

 自身は室内に入らなかったアルヴァはそう言い残すと、静かに扉を閉ざした。室内に一人取り残された葵は急に不安になり、キョロキョロと周囲を見回す。そこはやはり貴賓用の部屋らしく、ソファなどの調度品が揃っていた。しかし葵の他には誰の姿もない。

(あ、下が見える)

 室内の壁のうち一面だけガラス張りになっていたので葵はその傍へ寄った。ドームの内側に面しているガラスからは庭園を見渡すことが出来、着飾った生徒達が談笑している姿が窺える。だが何よりも葵の目を引いたのは、花々に囲まれた特設ホールで繰り広げられているダンスだった。ただのダンスでは、ない。持ち主のいない影が大理石の床で踊っているのだ。

(何あれ? あれも魔法?)

 よくよく監察してみると列席者には影がないことが窺える。持ち主の分身である影達は踏みつけられることも形を変えることもなく、自由にダンスを楽しんでいた。壁の花にもなれない葵は一人、影絵のようなダンスを眺めながら深々と息を吐く。

(楽しそう。行けば良かったかな)

 頬が腫れてさえいなければ今頃はステラにメイクをしてもらって、可愛いドレスを着て、あの華やかな空気に混ざっていたはずなのだ。決して乗り気ではなかったのだが、こんな夜に一人でいるのは寂しい。

(……帰りたい)

 この世界は息がつまる。自然に呼吸が出来る元の世界に帰りたいと、葵は切実に思った。

「だーれだ?」

 葵の感傷を打ち砕いたのは唐突に発生した、場違いに軽い声だった。誰かの声がすると同時に視界が閉ざされていて、葵は慌てて目を覆っている手を払い除ける。苛立たしい気持ちで振り返った葵は、しかし予想外の人物を目にして呆気にとられてしまった。

「ダメだよ、アオイ。振り向く前に答えてくれなくちゃ」

 さらさらの金髪に紫色の瞳をした少年が不服そうに唇を尖らせている。ガラスに背中がぶつかるまで後退した葵は見知った少年を指差しながら声を張り上げた。

「ユアン!?」

「久しぶり。元気だった?」

 全ての元凶であるユアン=S=フロックハートは子供らしい無邪気な笑みを浮かべて、葵に向かってひらひらと手を振って見せたのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2010 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system