シャドウダンス

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「髪、切ったんだね。短いのもカワイイけど、アオイの髪ってブラウンじゃなかったっけ? どんな魔法を使ったの?」

 再会の挨拶もそこそこに、ユアンは矢継ぎ早に問いを重ねた。まだ予期せぬ再会を引きずっている葵は返事をすることも出来ず、ユアンを指差したまま動きを止めている。葵から反応が返ってこないのでユアンは小さくため息をついた。

「久しぶりに会ったっていうのに再会のキスもしてくれないの?」

「キ……っ、誰がするか!!」

「じゃあ、いいよ。僕がするから」

 葵と目線を合わせるために中空を漂っていたユアンは言うが早いか、葵の頬に軽くキスを落とした。それは口唇が触れるだけの挨拶だったのだが日常的にキスなどしない葵は悲鳴を上げてユアンを押し退ける。空中では踏ん張りが利かないのでユアンは流されるように後退したが、彼は悠々と空中で回転して体勢を立て直した。

「ひどいなぁ。そんなに思いっきり嫌がらなくてもいいじゃないか」

「何しに来たのよ!!」

 わめき散らす葵とは対照的にユアンは平然としたまま床に足を着く。そして彼は葵の問いに答える代わりに何もない空中に向かって手を差し伸べたのだった。

「アン・エスペース・クペ」

 ユアンが呪文を唱えると、彼の手は徐々に何もない空間に吸い込まれるかのように消えて行った。だが以前にハルが同じことをしているのを目撃しているので葵に驚きはない。ただ、ユアンが何故急にそんなことを始めたのか疑問は残った。

「何してるの?」

「これはね、五次元に置いてある物を……」

「それは知ってる。そうじゃなくて、何を出そうとしてるのって訊いてるの」

「知ってる? 何で?」

 右手首から先を消したまま、ユアンは目を瞬かせて葵を振り向いた。葵は簡略に、同じ魔法を目にしたことがあることをユアンに告げる。しかし簡単な説明ではユアンは納得せず、誰がその魔法を使っていたのかと問いかけてきた。ユアンもアルヴァと同じく『探求の徒』であるようで、葵は少々うんざりしながら答える。

「ここの学校のマジスターだよ」

「へえぇ。マジスターと仲良くなれたんだ? すごいね」

「仲良くってほどでもないし、すごくもないよ」

 マジスターと関わったせいで散々な目に遭っている葵はそれ以上話を続けようという気になれず、閉口した。そこでちょうど探し物が見付かったらしく、ユアンの手が少しずつ異次元から現れ始める。その手が完全に元に戻った時、葵は驚きに目を見張った。

「それ……!」

「やっぱりアオイのものだった? 僕らが初めて会った雪原で見つけたんだよ」

「私の鞄!!」

 狂喜した葵はユアンの手から鞄をひったくり、急いで中身を確認する。教科書やノートは持ち歩かないため物はあまり入っていないが、携帯電話や財布、ポーチなどの見慣れた私物を目にして葵は嬉しくなった。

(そうだ、ケータイ)

 一縷の望みに縋り、葵は携帯電話の電源をオンにした。ディスプレイに加藤大輝の待ち受け画像が現れ、久々に彼の顔を見ることが出来た葵は再び狂喜する。だが喜んでばかりもいられないので葵はさっそくリダイヤルを押して、向こうの友人である弥也に電話をかけてみた。しかし無情にも、コール音さえ聞こえてこない。解っていたことではあるが、葵は肩を落とした。

「何してるの、アオイ?」

 この世界には電話というものがないので、首を傾げているユアンには携帯電話の用途が解らないのだろう。また質問攻めにされては堪らないと思った葵は笑って誤魔化しながら、散らかした私物を再び鞄にしまった。

「どこにあったの、これ?」

 葵が問うとユアンは雪の中から見つけてきたのだと言った。雪の中に埋もれていて携帯電話が無事だったのは奇跡的である。通話はダメだったが、これで加藤大輝の顔を見ることは出来るのだから、葵はそれだけでも良しと思った。

「さっきの男、アオイの恋人?」

「さっきの男? って、この人のこと?」

 ユアンが妙なことを言い出したので鞄から携帯電話を取り出した葵はディスプレイを掲げて見せた。携帯電話の画面を覗き込んだユアンが頷いたので、葵は思わず吹き出す。

「まっさかぁ。この人はね、私なんかの手が届く人じゃないの」

 自分の発言をキッカケに、葵の脳裏には何故かハル=ヒューイットの姿が蘇っていた。途端に浮かれた気分が萎えてしまい、葵は携帯電話を畳んで鞄にしまう。それから改めて、眉根を寄せているユアンを振り返った。

「私が帰れる方法、見付かった?」

「ごめん、それはまだなんだ。今日はそれをアオイに届けてあげようと思って来ただけだから」

「……そっか」

 それでは、動いている加藤大輝に会えるのはまだ先の話になりそうである。しかし期待はしていなかっただけに葵は失望を感じてはいなかった。葵の態度があっさりしていたためかユアンが怪訝そうな表情になる。

「また怒られるかと思って、実はちょっと怖かったんだ」

「怒んないよ。怒っても、どうしようもないし」

「アオイ、少し変わったね」

 アルヴァに散々どやされた後では変わらざるを得なかったと言うのが正しい。そんな風に考えるようになった自分がちょっと悲しいと、葵は苦い笑みを零した。

「ところで、アルは?」

「アルは今、レイと話をしていると思うよ」

「あ、レイも来てるんだ?」

「うん。レイは僕の家庭教師だからね」

 家庭教師だからと言って常に行動を共にする必要性はないのではないかと葵は思ったが、この世界では『家庭教師』のニュアンスが違うのかもしれないと思い、追及するのはやめておいた。床に座り込んでいた葵は鞄を手にして立ち上がる。同じく立ち上がったユアンは、座るとき下敷きにしていたマントを払いながら葵に声をかけた。

「レイの所へ行くの?」

「レイにもアイサツくらいしておかないと。どこにいるの?」

「アオイはアルのこと、どう思う?」

「は?」

 葵の問いに、ユアンは答えとはまったく別の言葉を返してきた。質問の意図が解らなくて呆気に取られている葵にユアンはイタズラっぽい笑みを見せる。

「アルってカワイイ人なんだよ。アオイもそう思わない?」

「……思わない」

「何で?」

「思わないもんは思わないの。むしろユアンが何でアルのことをそう思うのか訊きたいくらいだよ」

 だいぶ年上であろうアルヴァに向かって、十歳そこそこのユアンが『可愛い』呼ばわりするのは違和感がある。葵はそう感じたのだが、ユアンはまったく気にしていないようで喜々として話を続けた。

「アオイはまだアルのことよく知らないんだね。じゃあ、行こうか」

 ユアンの発言は今までの話の流れを受けてのものなのだろうが、葵には理解不能だった。しかしユアンがさっさと歩き出してしまったので葵は仕方なく後を追う。回廊を並んで歩き出しながらユアンは楽しそうな声音で葵に声をかけた。

「レイといる時のアルを見ればちょっとは解るよ」

「……ふうん。よく解らないけど、レイといる時のアルは違うんだ?」

「アルはレイにコンプレックスを持ってるからね」

「コンプレックスぅ?」

 自信満々な態度が当たり前なのがアルヴァであり、コンプレックスという単語があまりにも似合わなかったので葵は胡散臭げにユアンの科白を繰り返した。葵の反応を見てユアンはくすくすと笑う。

「本当のアルを知ったら、きっとアオイも好きになっちゃうよ。アオイがアルを好きになってくれるといいな」

 ユアンの思惑が色々な意味で無謀だったので葵はあ然として言葉を失った。しかしすぐ、以前にも似たようなことを言われたなと思い、考えに沈む。

(ああ、そうだ。アルに同じようなこと言われたんだっけ)

 ユアンがアルヴァを好きになれと言うようにアルヴァもまた、葵にマジスターを落とせとぬかしたのである。ユアンの発言はアルヴァのそれとは少し意味合いが違うのかもしれないが、葵はこの話題にはうんざりしていた。

(なんでそう、誰かとくっつけたがるかな。この世界の人と付き合ったって意味ないのに)

 この世界の住人ではない葵は、いつか別の世界へ帰るのである。そう思いつつも葵の脳裏には栗色の髪をした少年の姿が浮かんでいた。あまり感情を表さないブラウンの瞳が、あどけない笑顔が、さりげない優しさが、苦しいほどに胸を焦がそうとしている。

(……どうしようもないのにね)

 左手首に嵌めているブレスレットを一瞥し、葵は深々とため息を吐いて腕を下ろした。






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