メイドがやって来た

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 薄雲一つない天空に、その夜はオレンジがかった黄色い二月が浮かんでいた。季節は間もなく夏月かげつ期の中頃にさしかかろうとしていて、そのために月の色合いが橙色を増しているのである。そんな岩黄いわぎの月の二十七日、外が夜だろうが昼だろうが無関係な窓のない部屋に、その青年は一人きりでいた。簡易なベッドが並ぶ保健室に酷似した部屋で壁に向かって据え置かれているデスクを前に腰を下ろしている金髪の青年は、名をアルヴァ=アロースミスという。

 アルヴァが愛用しているデスクの上には所狭しと書類が広げられている。普段は着用していない眼鏡をかけているアルヴァは、その書類の隅々にまでくまなく目を通していた。しかしそこに書かれている内容は彼が好ましく思うものではなく、椅子の背もたれに体を預けたアルヴァは小休止のために引き出しから煙草を取り出す。ため息と共に煙を吐き出したアルヴァは眼鏡を外そうとして、ふと、その指を止めた。誰かが魔法を使った気配を感じ取ったアルヴァは椅子ごと体を回転させ、背後を振り返る。その直後、転移魔法に伴う光が室内に立ち上った。

 一瞬の発光が収まった後、それまでアルヴァしかいなかった室内には端整な顔立ちをした青年が姿を現していた。明るいブラウンの髪に鮮やかなミッドナイトブルーの瞳を持つ彼は夜の時分らしく燕尾服を纏っていて、それを華麗に着こなしている。深夜の来訪者は知己であったものの、久しぶりに見る顔にアルヴァは微かに眉根を寄せた。

「そうしているとレイチェルに生き写しだな」

 唐突な来訪を訝るアルヴァとは裏腹に、青年は彼の顔を見るなり楽しげな笑みを口元に上らせた。指摘されて初めて眼鏡をかけたままでいることに気がついたアルヴァはデスクの上にある灰皿で煙草を揉み消した後、さりげなく眼鏡を引き抜く。眼鏡を裸のままデスクの上に置いてから、アルヴァは改めて来訪者に視線を移した。

「ご多忙のはずの貴方が、一体何の用があってお戻りになったのです。理事長?」

 夜の正装である燕尾服に身を包んでいる青年は名をロバート=エーメリーという。彼はアステルダム公国を治めるエーメリー公爵の子息であり、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の若き理事長でもある。しかし理事長とは名ばかりで、ロバートはある理由から学園を不在にしていることがほとんどだった。学園の運営を一任された身でありながら下手をすると一年中留守にしっぱなしの彼は、しかしアルヴァの皮肉にも余裕の笑みを浮かべてみせる。

「なに、興味深い話を耳にしたものでな。居ても立ってもいられず夜会を抜け出してきたというわけだ」

「夜会を抜け出してきた? あなたが?」

 夜会こそ最高の狩場だと言って憚らないロバートがこの時分、据え膳を食わずにアルヴァの元を訪れたと言うのである。これは、只事ではない。そう直感したアルヴァは警戒を強めたのだが、ロバートはすぐさま彼が一番触れて欲しくないと思っていた話題に言及した。

「アロースミスの名を使って我がアステルダム分校に生徒を一人、編入させたらしいな」

 ミッドナイトブルーのロバートの瞳が、興味を湛えながら真っ直ぐにアルヴァを射抜く。取り繕う言葉すら返せないでいるアルヴァに向かって、ロバートは爵位を持つ身らしい上質の笑みを浮かべて見せた。

「アル、その少女は何者だ」

 アロースミスの名を使って学園に編入させた者が少女であることまで知られてしまっている今、アルヴァにはもう隠し事をする必要性が感じられなくなっていた。椅子の背もたれに体重を預け、アルヴァは仕方なく髪を掻きあげる。

「知りたければデスクの上の書類を勝手に読んでくれ」

 アルヴァが投げやりな態度に出ても、ロバートの楽しそうな表情は変わることがなかった。ロバートは彼のような者が使用するにはスプリングの硬すぎる簡易なベッドに腰を落ち着け、アルヴァの方を指差して呪文を唱え出す。『アン・ヴォレ、ドゥ・リュイ・コンテニュ』という呪文がロバートの口から零れ落ちてすぐ、アルヴァの背後にあった書類から盗まれた文字がふわりと宙を舞った。紙面を離れ、空中を漂った文字はロバートの目前で整列し、ある文章を形作る。

「これは……っ!」

 しばらく文面に集中していたロバートが、不意に声を震わせた。驚愕混じりに歓喜の表情を浮かべているロバートを見て、アルヴァは小さくため息をつく。

「盗んだものはちゃんと元通りにしておいてくださいよ」

「悠長なことを言っている場合か。これは一大事だぞ」

「解ってるよ。だから君にも報せなかったんじゃないか」

「問題はそこだ!」

 声を荒らげたロバートに人差し指を突きつけられたので、アルヴァはとりあえず閉口した。真っ直ぐにアルヴァを見つめているロバートは、腹の虫がおさまらないといった表情で発言を続ける。

「これほど重要かつ、非常に興味をそそられる大問題に首を突っ込んでおきながら、それを何故私に報せてくれなかったのだ」

「……好きで首を突っ込んだわけじゃないんだけどね」

 だから報せたくなかったのだと、アルヴァは胸中で小さくぼやいた。すっかり好奇心に駆られているロバートは年甲斐もなく瞳を輝かせていて、まるで少年のような顔つきになっている。悪いクセが顔を覗かせ始めたと思ったアルヴァは嘆息したが、こうなってはもう誰にもロバートを止めることは出来ない。そのことを知っているアルヴァが沈黙していると、ロバートは興味津々といった様子で問いを重ねてきた。

「それで、その不幸な少女マルシャンス・フィーユはどのような人物なのだ?」

「てんで子供だよ。あまりにも青すぎて、まだまだ収穫には向かないね」

「収穫前でなければ味がない。熟れすぎた果実は胸焼けをおこすからな」

「いいかげん大人になりなよ、ロバート」

「君こそ、だ。甘すぎる果汁ばかり口にしていないで清冽な青さを知るべきだよ」

「意見が合わないね」

「ああ。昔から好みは合わなかったな」

 だからこそ友人でいられるのだと、彼らが考えたかどうかは定かではない。しかし彼らはトリニスタン魔法学園に学生として通っていた頃からの付き合いであり、お互いに親しげな笑みを浮かべた。

「私が何を考えているのかなどお見通しなのだろう? 邪魔をするなよ、アル?」

「アステルダム分校は貴方の私財だ、お好きになさればいいのです。それに、貴方が企てようとしている計画は僕にとってもメリットがある」

「ほう。どんなメリットだ?」

「それは貴方には無関係なこと。その問いに答える代わりに一つ、貴方が最も喜ぶ情報をお教えしましょう」

 そこで一度言葉を切り、アルヴァは真顔に戻った。ロバートも真面目な表情で話を聞こうとしているので、それを見たアルヴァは不敵な笑みを浮かべる。

「不幸な少女は処女バージンですよ、まず間違いなく」

 アルヴァからとっておきの情報を得たロバートはこれ以上ないというくらい嬉しそうな顔をして、あからさまに拳を握り締めたのだった。






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