メイドがやって来た

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 岩黄いわぎの月の三十日は休息日であると同時に月末の市が開かれる日であり、中世ヨーロッパ風の佇まいが印象的なパンテノン市街は人でごったがえしていた。この街には大通りが七つほどあるのだが、この日はそれら全てが露店商の仕事場となる。売りに出されているものは多種多様で、掘り出し物を探す者にとっては宝の山のような場所なのだが、あまりの人出に酔ってしまった葵は早々と雑踏を抜け出していた。フォースアベニューカフェで腰を落ち着けた葵はこの店自慢のハーブティーをアイスで注文し、フリルがあしらわれた胸元を軽くはためかせながらストローに口をつけている。足元に柄の短い日傘を置いてくつろいでいる彼女はメイドに無理矢理着替えさせられたため、淡い水色のドレス姿だった。

(お腹、苦しい)

 ドレスはウエストを絞ったデザインのため、ただ着ているだけで圧迫感がある。普段はラフな服装ばかり好んでしている葵にとって、これは拷問に近いものがあった。

(しかも暑いし)

 下着が透けないようにデザインされているドレスは布地からして厚く、とても夏に着るような代物ではなかったが、それでも不思議と汗だくにはならない程度の快適さを保っていた。だがそれは極力動かないようにしている場合の話であり、ドレスで人混みを歩き回ればやはり暑さを感じる。葵は普段、丈の短いスカートに薄手のワイシャツといった出で立ちで動き回っているため、そもそも動きにくいドレス自体を不便に感じてしまうのだ。加えて日除けにと渡された傘が、人混みではジャマで仕方なかった。

(これならまだローブの方がマシだよ)

 トリニスタン魔法学園の制服である白いローブも露出が少ないので暑いことは暑いのだが、動きやすい分、あちらの方がまだ機能的だ。愚痴を言い合う相手もいないので胸中で一人ぼやいていた葵はストローを口から離し、大きくため息をついた。

(……なんか、つまんない)

 人混みの中に紛れていても、屋敷に一人でいても、考えることは同じだった。このフォースアベニューカフェには友人との楽しい思い出があるだけに、余計に孤独を感じてしまうのかもしれない。

 ステラに出会うまで、葵はあまり孤独を実感したことがなかった。感傷に浸っている暇がなかったと言ってしまえばそれまでだが、それでも、今ほど一人がつまらなく感じることはなかったように思う。孤独が辛くなってしまったのは一時でも楽しい時間を過ごしてしまったからだ。

(ステラ……弥也やや……)

 ステラは二月が浮かぶこの世界でできた初めての友人であり、弥也は葵が元いた世界で親しくしていた友人である。この場に彼女達のどちらかがいてくれくればいいのにと考えてしまった葵は感傷を振り切るために小さく頭を振った。いつまでも沈んでいては彼女達と過ごしたかけがえのない日々さえ色褪せてしまうような、そんな気がしたからだ。

(アルの所にでも行こうかな……)

 そんなことを考えてみたものの、葵はすぐに自分の発案を実現不可能だと察した。この格好でアルヴァと会う気にはなれないため、そうなると一度、屋敷へ戻らなければならない。わざわざ着替えをしてから休日の学園へ出掛けるとなれば当然、クレアが怪しむだろう。百歩譲ってドレス姿のまま会いに行こうにも、この格好で長距離を歩くのは考えるまでもなく無理だ。

(……もうちょっと見物してから帰ろうかな)

 最終的にそういった結論に達した葵はカードで支払いを済ませ、重い足取りでカフェを後にした。だが高級感漂うカフェを一歩でも出ると途端に快適さは失われ、すぐにフォースアベニューの雑踏に呑み込まれることになる。人々の熱気が堪らず、葵は小道へと避難することにした。

 中世ヨーロッパ風の建造物が立ち並ぶパンテノンの街は思いのほか入り組んでいて、大通りアベニューから外れる際は気をつけていないと迷子になりやすい。しかしそんなことに気を回す余裕もなく、葵はひたすら人気のない場所を求めて歩を進めてしまった。おかしいと思って足を止めた時には、もう遅い。すっかり道に迷ってしまった葵は途方に暮れながら辺りを見回した。望み通り人気のない場所へと辿り着いたものの、あまり日当たりが良くない裏通りには人っ子一人見当たらない。下手に動けば深みにはまりそうだと思った葵は、しばしその場で考えを巡らせることにした。

 葵の頭にまず浮かんだのはカーナビゲーションにも匹敵する最強の道しるべ、地図だった。しかし小声で呪文を唱えてみたものの、右手の中指に嵌めているカルサイトの指輪は反応を示さない。腕を持ち上げて指輪を覗き込んだ葵はあることに気がついて、さらに途方に暮れた。

 この世界の生まれではない葵が魔法を使うには誰かの魔力を借りる必要がある。常時指に嵌めているカルサイトの指輪にはアルヴァの魔力がこめられているのだが、この指輪は常に魔力を消費している代物で、定期的な補充を受けなければならないのだ。三日に一度という魔力の補充を、葵はすでに一週間ほど怠っている。魔法が使えないということはつまり、指輪に蓄えられていた魔力が空になってしまったという表れだった。

(……どうしよう)

 困ってしまった葵はとりあえず魔法に頼ることを諦め、次なる手段を考えてみることにした。その結果、葵は手にしていた日傘を地面と垂直に立ててみる。柄に置いた手を離すと、日傘はバランスを崩して地面に倒れこんだ。

(よし、あっちに行こう)

 一か八かのカケに出た葵は日傘を拾い上げ、再び歩き出す。すると角を曲がってすぐ、何かが足元を通過していったので驚いて後ずさってしまった。

(あっ……!)

 見覚えのある低空飛行の光を目撃した葵は、急いでその後を追った。蛇のようにクネクネと角を曲がっていく光を夢中で追いかけているうちに見覚えのある場所に辿り着いた葵は、そこでホッと息を吐く。持ち主のいない靴が石畳でダンスを披露していたり、ヌイグルミや人形が店番をしているその通りは、以前ハルと一緒に訪れたことのある『フィフスストリート』だった。

(よかったぁ。ここからなら帰り道が分かるよ)

 見知った場所に出たことで気が緩んだ葵は、少しフィフスストリートを見て回ってから帰ることにした。ストリートには大通りアベニューのような華やかさはないものの、独特の賑わいがある。葵は洗練されたアベニューよりも魔法が息衝いていると感じられるストリートの方が好きだった。

(そういえばここ、ハルと一緒に歩いたんだっけ……)

 まだステラやハルが学園にいた頃、葵は彼女達と共にパンテノン市街へ出向いたことがある。そのとき、ウィルやステラが個人行動に出てしまっため、取り残された葵とハルはなりゆきで二人きりになったのだ。あの頃は、楽しかった。そんなことを考えてしまった葵はまた思い出に浸りきっていることに気付き、小さく頭を振った。

「うちの店に何かご用ですか?」

 不意に声をかけられたので、驚いた葵は慌てて背後を振り返る。そこにはストリートでよく見かける定型的な服装をした少年が佇んでいた。ここでいう定型的な服装というのは地味な色合いをしたズボンとジャケット、ベストにベレー帽といった出で立ちのことである。特に法律などで定められているわけではないのだが金銭的に余裕のない庶民は同じ服を着古すため、こういった格好をしていることが庶民であることの表れとなっているのだ。ちなみにトリニスタン魔法学園内でも私服でうろついているマジスター達はそれぞれに色彩の鮮やかな、奇抜なデザインの洋服を着こなしている。それと比べてしまえば、葵の前にいる少年はいかにも貧相な形をしていた。

 紙袋を抱えたまま足を止めている少年が真っ直ぐにこちらを見ているので、葵は再び背後を振り返ってみた。そうして改めて状況を確認してみれば、葵が突っ立っている場所はある家の扉の目の前である。さらには扉の上方に何やら文字が書かれた看板のようなものが掲げられていたので、葵はようやく少年の質問を理解した。

「あ〜、ごめん。何でもないの」

 少年の見た目が同年代くらいだったため、葵はクラスメートにでも話しかけるような気軽さで応えた。葵が口を開いた途端に眉根を寄せた少年は何か言いたそうな素振りを見せながら佇んでいる。少年が何故そんな表情をするのか分からなかった葵は首を傾げた。

「何?」

「いえ……何でもありません」

「ふうん? ねえ、ここって何を売ってるお店なの?」

 看板らしきものが下がっているので店だということは分かるのだが、少年の店にはアベニューで見かけるようなショーウインドウがない。店構えも普通の民家と変わりないものだったので、それが逆に葵の興味を引いたのだ。少年はハッとしたような表情をしてから無表情に戻り、それから問いの答えを口にした。

「よろしければ中をご覧になりますか?」

「うん。見たい見たい」

「では、こちらへどうぞ」

 そう言うと、少年は葵を追い越して扉の方へと近付いた。だが彼は両手に荷物を抱えているため、非常に不安定な仕種で扉に手を伸ばす。それを見た葵は反射的に行動を起こし、少年の前に道を開けた。それは葵にとってはごく自然な行動だったのだが、手を貸された側の少年は驚いたように目を瞠る。

「ありがとうございます。貴族の方のお手を煩わせてしまって、申し訳ありません」

「キゾク? ……あ〜、そういうことね」

 自分の服装を改めて見下ろした葵は、少年の不自然な態度に納得がいって一人で頷いた。おそらく葵が身につけているドレスを着るような女性は、この世界では『貴族』と呼ばれる存在なのだ。だが葵は貴族などではなく、根っからの庶民である。堅苦しいのも苦手な方だったので、葵は明るく少年に笑いかけた。

「年、いくつ?」

「十七歳ですが……それが、何か?」

「なんだ、タメじゃん。敬語なんかいらないからフツウに喋ってよ」

「ため?」

「いいからいいから。さ、行こう?」

 困惑しきっている少年の背中を押し、葵は彼に続いて店内へと進入する。木製の扉を静かに閉ざしてから改めて店内の様子を目の当たりにした葵は、思わず感嘆の息を吐いた。






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