メイドがやって来た

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 扉を開けてまず目についたのは、室内のいたる所に飾られている工芸品だった。壁際に置かれた棚やテーブルの上には様々な形の工芸品が置かれていて、その全てが色とりどりのガラス細工なのだ。ガラスの冷ややかな輝きに魅入られた葵は小声で「きれい」と呟きを零した。

「これ、全部あなたが作ったの?」

 ひとしきり室内を堪能した後、葵は少年を振り返りながら尋ねた。部屋の片隅に置かれている、工芸品の飾られていない質素なテーブルに荷物を下した少年は葵の視線を受け止めて頷いて見せる。

「はい。この工房は僕と妹とで切り盛りしていますので」

 同い年なのだから敬語など不要だと言っておいたにもかかわらず、少年の言葉遣いには改まるような気配がない。誰かと気楽に喋りたかった葵は少年の態度に物足りなさを感じ、渋面をつくった。

「フツウに喋っていいってば」

「そう仰られましても、貴族の方をお相手に不遜な言葉遣いは出来ません」

「……よく分からないけど、私がいいって言ってんだからいいんじゃないかな?」

 不遜の意味が分からなかった葵は微かに眉根を寄せつつ持論を展開した。葵の強引な物言いに、少年も眉をひそめる。彼はしばらく黙っていたが、やがて根負けした様子で表情を崩した。

「変わったお嬢様だね。君みたいな貴族は見たことないよ」

 苦笑のような表情を浮かべた少年からは先程までの頑なさが消えていて、その口調も葵が思い描く『フツウ』に副ったものに変わっていた。本物のお嬢様じゃないからねと胸中で呟いた葵は、少年に好意的な笑みを向ける。

「私、アオイ。あなたの名前は?」

「ザック」

「ザックってすごいね。こんなキレイなもの作れちゃうんだ?」

 葵が再び工芸品に目をやりながら言うと、ザックは葵の反応こそが分からないというように首を傾げた。

「おかしな人だね、アオイって。アフタヌーンドレスを着てるくらいだから名家のお嬢様なんだろう?」

 貴族の屋敷に飾られるインテリアは大概、名匠と呼ばれる者達の作品である。ザックにとっては、そういった鑑賞品を見慣れているはずのお嬢様が自分の作品を褒めること自体が意外で仕方なかったのだが、本当のお嬢様ではない葵にはそうした事情が分からない。そのために、見当違いも甚だしい返答をしてしまった。

「これ、アフタヌーンドレスっていうんだ?」

「えっ、そんなことも知らずに着てたの?」

 自ら好んで動き辛いドレスを着ているわけではない。葵はそう思ったのだが、また問題発言になってしまっても困るので、本心は心の中だけに留めておいた。ザックはしばらく目を白黒させていたが、やがておかしそうに笑い出す。

「アオイって本当に変わってるね。貴族の中にもアオイみたいな人がいるなんて知らなかったよ」

 変人だと連呼され、葵は複雑な気分になってしまった。これ以上服装や貴族の話はしたくないと思い、葵は早々に話題を変える。

「ところでこれ、どうやって作ってるの?」

 葵が話題に上らせたのは室内に溢れているガラスの工芸品だった。葵の指先を辿ったザックはふと真顔に戻り、それから葵に視線を移す。

「興味あるの?」

「え? うん。作ってるとこ見たいなぁ」

「いいよ。すごく熱いけど、それでも良ければ」

「ほんと?」

 何気なく零した希望が簡単に受け入れられ、葵は興味津々に瞳を輝かせた。ちょっと待っててと言い置いたザックは葵をその場に残し、一人で奥の部屋へと姿を消す。その彼が再び姿を現した時、奥の部屋へと続く扉は葵にも解放された。

 葵が初めに通された工芸品が並ぶ部屋を抜けると、その奥は廊下になっていて、東西に道が続いていた。廊下に出るなり左手に折れたザックは、そのまま西へと歩を進めて行く。さして長くもない廊下を抜けると、その先は土がむき出しの広々とした空間になっていた。

「あれ、何?」

 赤いレンガが積み重ねられている窯のような物に目を留めた葵は対象物を指差してザックに問いかけた。葵の指先を追ったザックは彼女が関心を注いでいるものに目を留め、すぐさま説明を加えてくれる。

「溶鉱炉だよ。あれでガラスを溶かして、熱いうちに形を整えるんだ」

 炉ではすでに火が燃えていて、室内の空気はカラカラに乾いていた。ザックが前もって言っていたように作業場の中はひどく熱く、厚着をしている葵は胸元をはためかせようと無意識のうちに手を伸ばす。手で自分に風を送っている葵を見て、ザックはタオルを放った。

「だから言っただろう? 熱いって」

 ありがたくタオルを受け取った葵は恨めしげな視線をザックに向けた。すでに着替えを済ませているザックは露出度の高い作業着を身に纏っていて、バンダナで髪まで上げてしまっている。涼しそうでいいなぁとザックを羨んだ葵は、わざわざドレスを選んで着替えをさせてくれたクレアを恨みたい気分になった。

「どうする? やめる?」

 ザックが体調を気遣ってくれたことは理解したものの、興味の方が先立った葵は大袈裟に首を振った。葵の態度が意固地なものだったのでザックは呆れたような顔をする。だが彼は見物人のために、わざわざイスを用意してくれた。

「ハンカチでも敷いて使いなよ」

 ザックの用意してくれたイスは、頑丈そうではあるものの箱でしかなかった。ハンカチを持ってきた覚えはなかったので、葵はホコリっぽい箱にドレス姿のまま直に腰を下ろす。さらにザックから借りたタオルを首にぶら下げたことで、彼をさらなる呆れ顔にさせてしまった。

「なんて格好してるんだ」

「いいから、早く作ってるとこ見せてよ」

 ザックの一言を軽く受け流し、葵は彼に作業を要求した。小さく肩を竦めることで了承を伝えたザックは葵に背を向け、炎を抱いている溶鉱炉へと向かう。熱源から少し離れた場所で、葵はザックの様子を見守った。

「ル・フレーム、ブリュール」

 溶鉱炉を前にしたザックが呪文を唱えると、炉の中で燃えていた炎は一息に勢いを増した。炉から溢れ出んばかりの炎がザックの髪やむき出しの二の腕を掠めていくが、彼は微動だにしない。迫力のある光景を目の当たりにした葵は驚きに目を見開いた。

(すごい……)

 煮えたぎった炎はまるで生き物のように溶鉱炉からあふれ出し、ザックを取り囲むように踊り狂っている。軍手すら嵌めていないザックは素手のまま炎と向き合い、何やら作業を始めている。しばらく炉に向かっていたザックは、やがて葵を振り返った。

「始めるよ」

 ぽかんとして眺めている葵に一声かけると、ザックは空中に浮いている赤く熱された球体を素手で加工し始めた。かなりの高温を有しているであろう球体は、ザックの指の動きによって少しずつその形を変えていく。まるで粘土でもいじっているかのように、彼はものの数分で水差しと思われるものを完成させた。

「リ=イスィクル、グラン」

 両手を作品から遠ざけるのと同時に、ザックは新たな呪文を唱えた。すると大地から迫り上がってきた氷柱が、空中に浮いている赤い水差しをあっという間に呑み込む。急速に冷やされた水差しは氷柱の中で少しずつ色合いを変えていき、やがてそれは美しいオーシャンブルーとなった。それと同時に溶解した氷が弾け飛び、ザックの周囲で踊っている炎が氷柱の残骸を一瞬にして蒸発させる。完成された作品がザックの手の中に落ちると炎も溶鉱炉へと還っていき、夢のような一時は幕を下ろした。

「……いがんでる」

 自分の作品を手にしたザックは様々な角度からそれを眺めていたのだが、やがて不満そうな表情で独白を零した。その呟きで我に返った葵は、大きく感嘆の息を吐く。

「はあぁぁぁ〜。すごいね」

「まだまだだよ」

 せっかく作った作品も気に入らないものだったらしく、ザックは無造作に水差しを放った。地面に叩きつけられた水差しは粉々に砕け、青い破片が辺りに散らばる。しかしそれらはすぐ、まるで長い間風雨に晒され続けたもののように、灰となって地面に還っていった。

「すごい汗だね」

 水差しの行く末を見守っていた葵は、ザックの声に反応して顔を上げた。刹那、葵の顔から滴った汗が胸元に落ちて染みをつくる。首から下げているタオルで慌てて顔を拭ったものの、葵はすでに全身が汗だく状態だった。

「だから熱いって言ったのに。よく最後まで見てたね」

「見てる時は気にならなかった。ほんと、魔法ってすごいねぇ」

 魔法の凄まじさを改めて実感した葵が半ば独り言のように零すと、ザックはおかしそうな笑い声を上げたのだった。






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