新任教師

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 着任早々に生徒の心を掴んだロバートはその日の授業が全て終了してもまだ、教室で生徒達に取り囲まれていた。放課後に部活動を行うという習慣のないトリニスタン魔法学園では生徒は授業が終わるとすぐに下校するため、この光景は非常に稀である。そんな珍しい光景を横目に帰り支度を済ませた葵は静かに席を立ち、学園へ来た本来の目的を果たすために早々と教室を後にした。向かう先は一階の北辺にある保健室である。

(……あれ?)

 保健室の扉に手持ちの鍵を差し込んだところで、異変に直面した葵は首を傾げた。いつもならば簡単に倒れる鍵が、どういうわけかピクリとも動かない。どんなに力を込めて鍵穴を回そうとしてみても、それは変わることがなかった。

(何で開かないんだろう)

 不審に思った葵はとりあえず鍵を引き抜き、そのまま扉を開けてみることにした。『保健室』の扉が開かれるとすぐ、窓際のデスクの上に陣取っている白い物体が目につく。この部屋の主と思われるでっぷりとしたウサギは葵の顔を見るなりデスクから飛び下り、体格に似つかわしくない軽快な跳躍で彼女の傍へとやって来た。

「はーい、今日はどうされましたかぁ?」

 奇怪なウサギが急に近付いて来たので、葵は思わず数歩後退した。しかしウサギの方は葵が気味悪がっていることには構わず、舌足らずな調子で話を続ける。

「まずはお名前とぉ、クラスを教えてくださいね〜」

 このウサギにはいつかも同じことを言われたなと思いながら、葵はとりあえず身分を明らかにした。話をしている間も忙しなく飛び跳ねていたウサギは葵の名前を聞いた途端、ピタリと動きを止める。

「ミヤジマ=アオイさん、大いなるエクスペリメンターから貴方宛てのご伝言を預かっています」

 ウサギの言う『大いなるエクスペリメンター』とはアルヴァのことである。ウサギとアルヴァの関係は未だに謎だが、そのことだけは前もって知っていたので、葵は無言のまま後に続く言葉を待った。ウサギは短いヒゲをひくひくさせながら宙を仰ぎ、何かと交信でもしているかのような様子で先を続ける。

「大いなるエクスペリメンターはご不在です。以上!」

 伝言の内容があんまりなものだったので葵は開いた口がふさがらなくなってしまった。

(以上、って……)

 どこへ出掛けているのか、いつ戻って来るのか。そうした情報が何かないのかと思った葵はウサギを問い詰めてみたのだが、返ってくる答えは知らぬ存ぜぬの一点張りだった。ウサギの舌足らずな喋り方も手伝って次第にイライラしてきた葵は話を切り上げて保健室を後にする。だが廊下へ出た途端に女子の話し声が聞こえてきたので、葵は慌てて保健室へと引き返した。

「ロバート先生、ステキですわね。大人の魅力にうっとりしてしまいますわ」

「アームストロング先生に感謝しないといけませんわね。先生が腰を痛められたおかげで、わたくし達はロバート先生に巡り合えたのですもの」

「わたくし、ロバート先生にアタックいたしますわ。トリニスタン魔法学園の教師ですもの、きっとそうとうなお家柄ですわよ」

「あら。では、オリヴァー様はお諦めになるの?」

「わたくし、そのようなことは言っていませんわ。オリヴァー様もステキですもの」

 保健室の扉を隔てているので姿は見えないが、ロバートの話をしているところをみると声の主は同じクラスの少女達だろう。扉の前で息を殺していた葵は少女達の声が遠ざかるなり大きく嘆息した。

(なんだかなぁ……)

 自分がミーハーである自覚があるだけに、葵にもステキな異性のことで騒ぐ少女達の気持ちは理解することが出来る。だがトリニスタン魔法学園に通う女生徒が異性のことで騒ぐのは、それとはまた少し次元の違う話なのだ。表面や内面よりもとにかく家柄にこだわる少女達の感覚は、葵には理解出来ない代物である。そういった話を聞くたびに、葵はなんとも複雑な気分になるのだった。

「先生、かわいそう」

「私のことを言っているのなら、そうでもないと教えておこう」

 独り言のつもりで零した呟きに返事が返ってきてしまい、驚いた葵は背後を振り返ってから後ずさった。保健室の扉に強か背中をぶつけた葵を平然と見つめているのはミッドナイトブルーの瞳。噂の主がいつの間にか、そこに出現していた。

「せ、先生……いつからそこに?」

「つい今しがただよ。それで、その『可哀想』はやはり私に向けられたものなのか?」

「えっと……それは、その……」

 どう説明をしていいのか困り果てた葵は言葉を濁しながら視線を泳がせた。しかしロバートは、葵の反応を意に介する風もなく淡々と言葉を続ける。

「ミヤジマ=アオイ。君が何故そう感じたのか、私に教えてくれないか?」

「いや、そう言われましても……」

「君の言葉でいい。私に、君の思いを聞かせてくれ」

 なんだか迫られているようだと思いながら、葵は仕方なく『可哀想』と発言するに至った経緯を説明することにした。

「さっきの、廊下で女の子達が話してたこと聞いてたんですよね?」

「ああ。聞いていた」

「あれって、先生のことが好きだからって意味じゃないじゃないですか。だから、そんな家柄とかだけで好きとか言われても、言われる側にしたらたまらないだろうなって思って……」

「彼女達の気持ちは愛ではないと、そう言いたいのか?」

「まあ、平たく言えば……」

 そういうことになるのではないかと、葵はごにょごにょとした調子で答えた。ロバートはそこで一度言葉を切ったが、しばらくの沈黙の後、柔らかな笑みを葵に向ける。

「ミヤジマ=アオイ、君は純粋なのだね」

 ストレートな科白を投げかけられることに慣れていない葵はロバートの一言に赤面してしまった。自分でも何を照れているのか分からぬまま、葵は恥ずかしさのあまり目を伏せる。それでも思いはあふれ出してきて、葵は俯き加減のまま言葉を続けた。

「ひとを好きになる気持ちって、家柄がどうとか、そんなんじゃないと思うんです」

 葵も初めは外見に惹かれて、ハル=ヒューイットという少年を好きになった。だが彼への気持ちが恋心に変わる頃には芸能人のような外見よりも何気ない優しさや、ステラを想う一途な気持ちといった内面に強く惹かれていた。その想いには相手の家柄や将来の裕福な暮らしなど、そういった邪念は一切含まれていなかったように思う。そうした混じり気のない気持ちこそが恋愛なのだという意識があるだけに、ことさらトリニスタン魔法学園の生徒達とは仲良くなれないのかもしれないと、葵は今さらながらにそんなことを思った。

(っていうか、初対面に近い人に何話してるの)

 暴走気味に本音を吐露してしまった自分につっこみを入れつつも、葵は今までに感じたことのない爽快感を覚えていた。思えばこの世界へ連れて来られてから、誰かとまともに恋愛の話をしたのはこれが初めてである。その話し相手が何故、彼だったのか。目線を上げてロバートの顔を見た葵は何となくその理由が分かったような気がした。にこやかに他人の話に耳を傾けてくれるロバートが、きっと聞き上手なのだ。

「すいません、急に変な話して」

「聞かせてくれと言ったのは私だ。構わないよ」

「ところで先生、保健室に何か用事があったんじゃないんですか?」

「ああ、この場所には用事はない。私は君を探しに来たのだ」

「えっ、何ですか?」

「先日、二年A一組を受け持つにあたって生徒の成績に目を通した。学年的に見れば平均的なクラスだが、その中に一人だけ抜きん出て成績の悪い生徒がいてな」

「……私、ですね」

「その通りだ。ミヤジマ=アオイ、私は君に補習を受けることをお勧めする」

「補習、ですか……」

 補習も何も基礎が出来ていないのだからどうしようもない。そう思った葵は苦笑いを浮かべた。しかしすぐ、それもいいかもしれないと思い直して表情を改める。

「先生が教えてくれるんですか?」

「ああ。私が君を導こう」

「それなら、やります。あ、でも……それじゃ特別扱いになっちゃいますね」

 ロバートはすでに二年A一組の女子の心を鷲掴みにしている。そんな中で一人だけ特別扱いを受ければ、マジスターの時の二の舞になることは火を見るより明らかだ。またあの陰湿な嫌がらせが再開されるのかと思った途端、意欲に燃えていた葵は意気消沈した。着任したばかりのロバートは先の出来事を知るはずもないのだが、彼は葵の憂慮を察したように力強く頷いて見せる。

「補習は放課後、四階の特別教室で行う。隠匿の魔法を併用すれば誰かに見咎められることはまずない」

 ロバートの口調がまるで『安心していい』と言っているようだったので葵は不思議に感じて首を傾げた。

「どうして、そんなに良くしてくれるんですか?」

「持てる知識を生徒に教授するのが教師の使命だからだ」

 ロバートの一言は力強く、今まで頼る者のいなかった葵の胸に重く響いた。少し感動してしまった葵は頭を下げ、ロバートに了承を伝える。そして翌日から補習を開始することで話がまとまった後、葵はロバートに別れを告げて帰宅の途についたのだった。






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