新任教師

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 大方の生徒がすでに帰宅の途に就いている放課後、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎は静まり返っていた。この学園の生徒が校内にいるのは授業が行われている間だけなので、平素であれば授業が終わってしばらく経っているこの時間帯、校内に人影は見受けられない。しかしこの日は、校舎最上階にある広々としたサンルームに二人の少年の姿があった。

 サンルームにいる少年のうち一人はがっしりとした体躯をしていて、ブラウンの茶髪を無造作に束ねている。もう一人の少年は華奢な体つきをしていて、真っ赤な髪色が印象的である。タイプは違えど、どちらの少年も非常に整った面立ちをしていて、彼らがその場にいるだけで華がある。そんな彼らは女生徒から絶大な人気を誇る、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のエリート集団、マジスターの一員だった。

「暇だな」

 豪奢なリクライニングチェアで長い脚を存分に伸ばしながら気怠そうな声を発した茶髪の少年は、名をオリヴァー=バベッジという。同じくリクライニングチェアでくつろぎながら魔法書を開いていた赤髪の少年は、オリヴァーの独白に目を上げないまま反応を示した。

「ハルもステラもいなくなったからね」

 赤髪の少年の名は、ウィル=ヴィンス。今この場にはいないが、彼らにキリル=エクランドという少年を加えた三人がアステルダム分校のマジスターである。先月までマジスターの一員だったハル=ヒューイットとステラ=カーティスが王都の本校に編入したため、五名制のマジスターに二名の欠員が出ていたが、今のところ補填の動きは見られなかった。

「そんなに暇ならキルのところにでも行けばいいじゃないか」

 僕はもう少しここで読書をしていくからと、ウィルの反応は素っ気ない。だがウィルの言い出したことが妙案とは思われなかったので、オリヴァーは顔をしかめただけで立ち上がろうとはしなかった。

「最近、おかしいんだよな」

「オリヴァーの頭が? 暑さにでもやられたの?」

「そうじゃねぇだろ!」

「冗談だよ」

 真顔のままさらりと毒のあるジョークを飛ばしたウィルは、そこでようやく魔法書から目を上げた。

「キルがどうかしたの?」

「ハルとステラが王都に行っちまってから、おかしいんだよ」

「寂しくて駄々こねてるだけじゃないの? 放っておきなよ」

「そういう感じじゃなくてだな……」

 オリヴァーが考えこみながら言葉を途切れさせたので、異変を察したウィルも真剣に話を聞くために魔法書を閉ざす。ハードカバーの分厚い魔法書を手元から消し去った後、ウィルは改めてオリヴァーに説明を求めた。オリヴァーの話によると、キリルがおかしくなったのは岩黄いわぎの月の二十三日……ちょうど、ステラとハルが王都へと出立した日からのことなのだという。

「ウィルが帰った後、キルに根掘り葉掘り聞かれたんだよ。ハルはアオイのことどう思ってたんだとか、ステラとアオイのこととか。挙句の果てには俺やウィルがアオイのこと好きかどうかまで訊かれてさ、参ったぜ」

「へぇ……あのキルが」

 たったそれだけの事柄でもウィルが真剣に聞き入ってしまうほど、キリルという少年は普段、他人に興味を示さないのである。例えば誰かを殴ったとして、翌日には殴った者の顔はおろか誰かを殴ったことさえも頭から消し去ってしまう、それがキリル=エクランドという人物なのだ。その彼がマジスターの仲間でもない宮島葵を気にかけること自体、おかしい。通常時であればウィルもそう応えただろうが、この時の彼は納得したように頷いて見せたのだった。

「きっかけはどうあれ、キルにもようやくアオイの異常さが解ってきたのかな」

 ウィルの穏やかならざる発言に思い当たる節があったので、オリヴァーは返す言葉もなく閉口した。ちょうどその時、校舎の影から出現した人物が裏門の方へと向かって行くのが見えたので、オリヴァーとウィルはリクライニングチェアから同時に起き上がる。全面ガラス張りのサンルームからは、トリニスタン魔法学園の生徒でありながら制服を着ていない少女が帰宅の途につこうとしている様子が具に観察出来た。

「噂をすれば、だね」

 チェックのスカートにワイシャツといった、夏にぴったりの涼しげな格好をしている黒髪の少女の名は宮島葵。彼女はいつも一般の生徒が登下校に使用している正門からではなく、主にマジスターが使用している裏門から登下校しているのだ。それもおそらくは、転移魔法を使わずに。

「……魔力が見えない」

 ガラス越しに葵の後ろ姿を凝視していたオリヴァーが、ぽつりと独白を零した。ウィルも同じことを気にしていただけに、微かに口元を歪める。魔力は普通、様々な色形で所有者の周囲を漂っている。それは固有のものなのだが葵の場合、少し前までは放出される魔力が一定に見えないよう特殊な魔法をかけていた。それだけでも大したことなのに、今度はその魔力を完全に消し去ってしまっているのである。そんなことはトリニスタン魔法学園のエリートであるマジスターはおろか、王家に認められた特別な魔法使いである魔法士にも出来るかどうか定かではない。

 オリヴァーとウィルに見つめられている中で、葵は裏門付近に描かれている魔法陣の上で立ち止まった。こちらに背を向けているので何をしているのかは見て取れないが、彼女が何かをしたことによってメイド服姿の部外者が魔法陣の上に出現する。すぐにメイドの少女が魔法を発動させたため、彼女達の姿は光に呑まれて掻き消えた。ウィルとオリヴァーは無言で成り行きを見守っていたのでサンルームには静寂が流れていたのだが、やがて室内に抑えた笑い声が響き渡る。

「ウィル?」

 唐突に笑い出したウィルに、オリヴァーが気味悪そうな顔を傾ける。ウィルは口元に笑みを残したまま、楽しそうに答えを口にした。

「調べたんだけどさ、ミヤジマなんてファミリーは貴族の中にはないんだよ。アステルダム公国だけじゃなく、大陸のどこにもね」

「一般人だって言うのか? だったら何で、トリニスタン魔法学園に通えてるんだよ?」

 トリニスタン魔法学園は学園側が厳しく生徒を選抜する王立の名門校である。実質、爵位を持つくらいの家柄でなければ入学することすらままならない。そして葵が呼び出したメイド。使用人のエキスパートであるメイドや執事は三位以上の貴族でなければ雇うことが難しい。それらの点だけでも、葵が一般人だという結論は到底下せるものではなかった。だがウィルもその程度のことは承知の上のようであり、彼は涼しい微笑みを浮かべている。

「本当に魅力的だよね、アオイは」

 ウィルがこういった物言いをする時、その発言の裏には必ず策略が潜んでいる。嫌な予感を覚えたオリヴァーは顔をしかめたままウィルを見たのだが、彼は楽しそうな表情を隠そうともしていなかった。

「ステラもいなくなったことだし、そろそろ正体を明かしてもらおうか」

 以前にオリヴァーが葵にストレートな疑問をぶつけた時、ウィルは彼の言動を抑制した。おそらくはその時から葵の謎を解き明かす計画を練る腹積もりだったのだろう。今になってようやくウィルの真意を察したオリヴァーは呆れると同時に謎解きにワクワクしてきてしまい、彼の計画に加担することを約束してしまったのだった。






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