新任教師

BACK NEXT 目次へ



 簡易なベッドが並ぶ保健室に酷似した窓のない部屋で、その部屋の主である金髪の青年は壁際のデスクに腰かけて頬杖をついていた。デスクに横を向く形で長い脚を悠然と組んでいるその青年は、煙草の煙をくゆらせながら周囲に浮かんでいる書面に目を通している。しばらくそうしていた彼はやがて来訪者の気配に気がつき、その人物が室内に出現する前にさりげなく眼鏡を引き抜いた。

「邪魔をしたか?」

 転移魔法によって室内に出現した青年は、その部屋の主である金髪の青年――アルヴァ=アロースミスに目を向けるなり無表情のまま問いを投げかけてきた。しかし往訪相手を気遣うような言葉とは裏腹に、彼はすぐさまスプリングの固いベッドに腰を落ち着ける。明らかに長居をする様子を見せながら邪魔も何もないだろうと思ったアルヴァは小さく息を吐きながら宙を舞っている書類を片付け始めた。

「何をしていた?」

 トリニスタン魔法学園アステルダム分校の若き理事長であるロバート=エーメリーは、そのミッドナイトブルーの瞳をアルヴァの手元に固定している。内容を見せた方が話が早いと思ったアルヴァは無造作に、手にしていた書類をロバートの方へ放った。

「例の不幸な少女から聞いた内容をまとめていただけですよ」

 アルヴァが手にしていた書類には不幸な少女こと宮島葵から聞き出した異世界の情報が記されており、ロバートは興味深そうに文字を目で追った。彼が一通り書面に目を通す時間を考慮して、アルヴァは少し間を置いてから言葉を次ぐ。

「どうですか、ミヤジマ=アオイは?」

「実にいい。地味なローブに満足せず、自ら若々しさを強調した格好をしているところが特にいいね。好みのタイプだよ」

 ロバートの言い草では、若くて肌を露出している少女は全てが好みということになってしまう。それならばいっそ、彼が色気のカケラもないと嘆くトリニスタン魔法学園の制服をミニスカートに替えてしまえばいいのだ。呆れ果てたアルヴァは胸中でそう毒づいたものの、ロバートに伝えてしまえば本当に実行しそうだったため、口に出すことはしなかった。代わりに、アルヴァはまったく別のことを話題に上らせる。

「しかし、貴方がこんな所で教鞭を振るうとはね。驚きですよ」

「こんな所はなかろう。一応、この学園は私のものなのだ」

「失言でしたね。でもレベルが違いすぎるでしょう?」

 自身が所有するアステルダム分校で教壇に立ったのは初めてだが、実はロバートが教鞭を振るうこと自体は珍しいことではない。彼はトリニスタン魔法学園の本校を卒業していて、本校の卒業生には後輩の指導をする義務があるからだ。そのためロバートは普段、王都の本校で教壇に立っている身なのである。本校と分校では生徒の質が違いすぎるので、レベルが違うというアルヴァの一言にロバートは苦笑いを浮かべた。

「本校の生徒は何事に対しても貪欲ハングリーだ。いくら分校とはいえ、アステルダムの生徒には向上心がなさすぎるな」

「アステルダム分校は貴方の私財でしょう?」

「これは失言だったな」

 ロバートが朗らかに笑い飛ばしたのでアルヴァも苦笑いを浮かべた。理事長がこれでは生徒の気風も自ずと緩やかなものになるだろう。教育的には若干の問題があるが、アルヴァは教育論には興味がなかったので苦言を呈することはしなかった。

「それにしても嘆かわしい。低年齢化の流れは止まらぬようだ」

 苦笑から一変して苦渋の表情になったロバートが唐突な科白を零したので、意味を汲み取れなかったアルヴァは軽く眉根を寄せた。

「何の話ですか」

「少女達の性育だよ。ざっと見たところ、どの学年の女子生徒も大半は初体験を済ませているようだ」

「……たった一日でそこまでチェックしたのですか」

「近頃は夜会でも手馴れた婦女子が多い。処女を探すだけでも一苦労だ」

 純潔を守っている乙女こそ最高の獲物だと言って憚らないロバートは深々と嘆きの息を吐いているが、アルヴァは逆に青い果実には興味がない。ロバートが力説していることがどうでもいい話題だったので、アルヴァは少し面倒になりながら適当な言葉を返した。

「さすがに余裕がありますね。不幸な少女がメーンディッシュなら、他の女生徒はサイドディッシュというわけですか」

「いや、自らが理事長を勤める学園で狩りをするのはさすがにまずい」

「真面目に受け取らないで下さい。ただのジョークです」

「解っているさ」

 口ではそう言いつつも、ロバートが本当に解っているかどうかは定かではない。現に彼は、自らがアステルダム分校の理事長だということを生徒に明かしていないのである。身分を隠し、ただの教師としての振る舞いをしているのは、実は隙あらば狩りをしようと思っているからではないのか。そう疑っているアルヴァにはロバートの返答自体が胡散臭くて仕方がなかった。

「そういえば、アル。レイチェルとは会っているのか?」

 ロバートが不意に姉の名を持ち出してきたため、それまで適当に話を合わせていたアルヴァは真顔に戻って閉口した。アルヴァが即答しなかったため、ロバートはじっと彼を見つめている。だから昔の知り合いには会いたくないのだと、アルヴァは小さくため息をついてから返答を口にした。

「この間、会いましたよ」

「そうか。今度会ったら、たまには本校にも顔を出せと伝えておいてくれ。君の姉君は教授達にも生徒にも大人気だ」

「……覚えていたらな」

 口調を崩したアルヴァは気怠く髪を掻き上げ、デスクの引き出しから取り出した新たな煙草に火をつけた。口では覚えていたらと返事をしたものの、アルヴァには最初から『覚えておく気』などない。それはロバートにもすぐ伝わったようで、彼は仕方がなさそうに苦笑いを浮かべている。早くレイチェルの話から離れたかったアルヴァは自分から新たな話題を振ることにした。

「一つ言っておくが、ミヤジマ=アオイは他人の魔力を借りなければ魔法が使えない。そんな状態でどうやって補習なんかするつもりだ?」

「何だ、見ていたのか」

「ウサギの前で堂々と話をしていて、何だも何もないだろう」

「ああ、そういえばあのウサギは君の代理なのだったな」

「僕に聞かせたくない話は保健室以外の場所でしてもらいたいものだね。君があまりにもっともらしいことを言っていたから、思わず笑いそうになってしまったよ」

「持てる知識を生徒に教授するのが教師の使命、か? 間違ってはいないだろう」

「そうだね。でも君が口にするとひどく滑稽だよ、ロバート」

 アルヴァの口調が急に刺々しいものに変わったため、ロバートは弱ったような笑みを浮かべた。ロバートの笑みを見たアルヴァは熱りすぎたことを察し、口調や態度から皮肉を拭う。

「まあ、好きにするといいよ。彼女の成長は僕も望むところだから」

「焦らずにやるさ。なにしろ相手は異世界からやって来た稀有な少女だ。長く手元に置いておきたいからな」

 そこで話を切り上げたロバートは腰を上げるとすぐに転移の呪文を唱えた。新たな煙草に火をつけようとしたところで動きを止めていたアルヴァは指の間から煙草が滑り落ちたことに気付き、ハッとしてそれを受け止める。取り落とさなかったことにホッとした後、アルヴァは改めて眉根を寄せた。

(単に処女の血を求めていたわけではなかったのか)

 ロバートが邪魔をするなと言った時、アルヴァはまた悪い癖が出たのだと思った。彼の悪い癖とは、一夜限りの関係を求めて様々な女性を渡り歩くことである。彼は基本的に、一度寝所を共にした女性とは二度と男女の仲にはならない。その彼が末永く傍に置いておきたいなどと言い出したのは、アルヴァが知る限りでは今回が初めてのことだった。

(……まあ、いいか)

 ロバートが葵をもらってくれると言うのであれば、それはそれで都合がいい。そうした結論に達したアルヴァは思考することを放棄し、火をつけた煙草の煙をゆっくりと吸い込んだのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2010 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system