予鈴と共に学園へと集まってくる白いローブ姿の生徒達は正門付近に描かれている魔法陣に出現し、そこから東にある校舎を目指す。校舎に入った生徒達はエントランスホールで分かれて、それぞれの教室へと向かっていくのだ。そして始業の鐘と共に教師がやって来るのを待つわけなのだが、この日、校舎二階にある二年A一組の教室では朝からちょっとした騒動があった。
開きっぱなしになっていた教室の扉から私服姿の少年が顔を覗かせると、教室内で思い思いに歓談していた二年A一組の生徒達は総立ちになった。女子生徒からは黄色い声が上がり、男子生徒からは貴人を迎えるような緊張した雰囲気が伝わってくる。しかし過剰な歓迎を受けた茶髪の少年は彼らの様子を気にすることもなく、つまらなさそうに背後を振り返った。
「いない。アオイ、まだ来てないみたいだな」
茶髪の少年が話しかけたのは二年A一組の生徒ではなく、連れ立ってこの場所へとやって来た赤髪の少年だった。茶髪で長身の少年は名をオリヴァー=バベッジといい、彼の後ろにいる赤髪で華奢な体躯をしている少年はウィル=ヴィンスという。彼らはトリニスタン魔法学園が誇るエリート集団マジスターの一員であり、この学園に通う女生徒にとっては高嶺の花だった。
「もうすぐ授業が始まるんでしょ?」
生徒の枠組みに囚われないマジスターには一般の生徒の日常が分からない。ウィルが手近にいた男子生徒に声をかけると、問われた男子生徒は可哀想なほど緊張した面持ちで「はい」とだけ答えた。もう用は済んだとばかりに男子生徒から視線を外したウィルは「ありがとう」の一言もなく、隣にいるオリヴァーを仰ぐ。
「今日は来ないのかもね」
「どうする? 出直すか?」
「それも面倒だから招待状を置いていこう」
オリヴァーに応えた後、ウィルは二年A一組の教室に進入して行った。オリヴァーも後に続いたため、二年A一組の教室には自然と花道が作られる。教室の中央まで来たところでウィルが不意に足を止めたため、彼の後に従っていただけのオリヴァーも同時に足を止めた。
「アオイの席はどこ?」
ウィルが不特定の生徒に向けて問いかけると、二年A一組の女生徒達は先を争うように窓際の席を指し示した。問いの答えを得たウィルはやはり礼の一言もなく、取り巻きを完全に無視しきって目的の場所へと向かう。ウィルよりワンテンポ遅れて目的地に辿り着いたオリヴァーは、彼がペンを取り出したのを見て小首を傾げた。
「何するんだ?」
「こうして書いておけば、嫌でも目につくでしょ」
呪文を唱えることなく簡易な魔法を発動させたウィルは光を放つペン先を葵の机に押し付け、直に文字を書き込んでいった。アルファベットの筆記体に似て非なるこの世界の文字が書き連ねられ、葵の机にはメッセージが刻まれていく。大して長くもないメッセージを書き終えたところでペンをしまったウィルは、机から顔を上げてオリヴァーを振り返った。
「行こうか」
「これじゃ果たし状だろ。せめて名前くらい付け足しておこうぜ」
葵の机に目を落として呆れた顔をしたオリヴァーは短く呪文を唱え、何かの魔法を発動させる。するとオリヴァーの指先が光を纏い始めた。彼はその人差し指で、ウィルが書いたメッセージの下方に自らの名を刻んでいく。そうして『署名』が終わったところで、今度こそ二人は踵を返した。
二年A一組の女生徒達はマジスターの後を追って廊下へと姿を消したが、教室に残った男子生徒達は興味を覗かせながら葵の机に集まっていった。彼らが目にしたメッセージは『放課後、
学園の敷地内にはマジスター専用の場所が幾つかあり、シエルガーデンも一般の生徒の入場が制限されている場所の一つである。ここはパーティーなどが開催される時は特別に解放されることもあるのだが、何もない平日に一般の生徒が招待されるなどということはまずない。ウィルやオリヴァーがわざわざ出向いてきたことも、葵がマジスターに特別視されていることを如実に物語っている。二年A一組の男子生徒達は、そうしたマジスターの行動に驚いているのだった。
「アオイさんって何者?」
誰もが感じていた疑問を一人の男子生徒が口にしたが、その答えはどこからも返ってこなかった。
その日、メイドのクレア=ブルームフィールドにトリニスタン魔法学園の裏門付近に描かれている魔法陣へと送ってもらった宮島葵は正門から校舎へと向かう生徒の流れが一段落してからエントランスホールに向かった。人気のなくなったエントランスホールを抜けた後、彼女がまず足を向けたのが一階の北辺にある保健室である。その目的はこの学園の校医であるアルヴァ=アロースミスに会うことだったのだが、この朝も保健室の扉にかけられている鍵は開くことがなかった。
(まだ戻って来てないんだ)
開かない扉の前で失望のため息をついた葵は校内に本鈴が鳴り響いたのを機に、二階にある自分の教室へと急ぐことにした。すでに廊下には人気がなく、もう授業が始まっているクラスもあるようだ。葵の所属する二年A一組も彼女が到着した時にはすでに授業が始まっていて、担任教師であるロバート=エーメリーが教壇に立っていた。
「遅刻だな、ミヤジマ=アオイ」
「すいません」
遅刻したことで教室中の注目を集めてしまったため、葵はロバートに謝るとそそくさと窓際の自席へ向かった。イスを引いて腰を落ち着けたところである変化に気がついて、葵は机の上を注視する。そこには、昨日までなかったはずの文字が描かれていた。
(何だろ、これ)
机の中央に何やら文字が描かれているのだが、如何せん、葵はこの世界の文字に不慣れである。そのため内容を読み取ることは出来なかったのだが、それが何かの魔法であることはすぐに察することが出来た。机の表面に浮いている文字が、淡い光を放っていたからである。
知らぬ間に記されていた魔法文字に、葵は気味の悪さを感じた。しかしそれをどうこうするより先に、視線を感じたような気がした葵は机から目を上げてみる。すると何故か教室中の視線がこちらに向いており、クラスメート達が葵の動向を窺っていた。
「どうした?」
前方の席に座っている生徒までもが振り向いて葵を見ていたので、教壇に立っていたロバートが近寄って来た。彼は葵の席の脇で立ち止まると、机の中央に描かれている魔法文字に目を落とす。文面を流し読んだらしいロバートはすぐに目を上げ、今度は葵の顔に視線を据えた。
「学園の備品に魔法をかけるのは感心しないな」
葵ではなく、この文字を描いた誰かを咎めるような独白を零した後、ロバートは机の上を手で払った。魔法文字は机に彫られているような代物ではないので、ロバートの一動で窓の外へと飛んで行く。葵には特にお咎めもなく、ロバートは何事もなかったかのように教壇へ戻って行った。
(結局、何だったんだろう)
生徒達の関心もすでに葵から離れていて、クラスメート達は一様にブラックボードを注視している。何が書いてあったのか気になるところだが誰かに尋ねるわけにもいかず、葵は気持ちの悪さを残したまま魔法書を開いたのだった。
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