全面がガラス張りのドームでは夏の日差しが燦々と降り注いでいて、一面に咲き誇る色とりどりの花が目に美しかった。季節を問わず様々な花が咲いているこの庭には名前がついていて、その名を『
「で、何か用?」
一刻も早くこの場を去りたかった葵はさっそく本題を切り出した。しかしオリヴァーとウィルはのらりくらりとしたまま、葵をテーブルへとつかせる。ゆっくりと花を愛でるための場所で茶器に紅茶を淹れさせてから、ようやくウィルが葵の問いに対する答えを口にした。
「ステラとハルが王都に行ってから、ろくに顔も見ていなかったからね。たまにはアオイと、ゆっくり話をしようかと思って」
「話って……何の?」
葵は一時、キリル=エクランドを除いたマジスター達と頻繁に行動を共にしていた。しかし改めて話と言われると、まったく話題が浮かんでこない。そもそも彼らが、唐突に話がしたいなどと言い出すこと自体が不穏である。言い知れぬ不可解さを抱いた葵がしかめっ面をしていると、ウィルが紅茶を一口含んでから言葉を続けた。
「ステラやハルがいなくなってから、どうも退屈でね。何か面白いことない?」
身構えた後だけに真意はそんなことかと、拍子抜けした葵はがっくりと肩を落とした。
「知らないよ、そんなの」
それしきの用事のために、いちいち騒ぎを起こされたのでは身が持たない。そう思った葵はこの機会にしっかりと釘を刺してみたのだが、ウィルは納得していない様子で言葉を次いだ。
「それはアオイが僕らの知らない魔法を使っているからだよ」
魔力を完全に隠されてしまっては人探しをするだけでも骨が折れると、ウィルは言う。彼の言っている内容にまったく身に覚えがなかった葵は首を傾げたが、やがてある事実に思い至って一人で納得した。
(そっか、指輪の魔力が切れてるからだ)
魔力は通常、十人十色の色彩と形状でもって所有者の周囲を漂っているものなのだが、この世界の生まれではない葵にはそもそも魔力というものがない。以前は指輪の力を使って魔力を有しているように装っていたのだが、現在は指輪に蓄えられていた魔力が空になってしまっているために魔法が発動していないのだ。その状態がウィル達の目には『魔力を隠す魔法を使っている』という風に映るらしい。
(魔法が使えないなんて思ってもないんだろうなぁ)
貴族ではないザックやリズでさえ軽々と魔法を使っているのだから、トリニスタン魔法学園のエリートであるマジスターにはそのような発想自体がないのだろう。魔力の件について突っ込まれると厄介なので、葵は『面白いこと』について話を膨らませることにした。
「コンバーツってゲーム、知ってる?」
「そりゃ知ってるだろ」
オリヴァーが『何を今さら』という表情で答えたので、おそらくコンバーツはポピュラーなゲームの一つなのだろう。コンバーツについて説明しなくとも話が通じることが分かったので、葵は今そのゲームにはまっていることだけを打ち明けた。
「対戦する?」
話の流れでウィルがそんなことを言い出したので、葵は慌てて首を振る。
「いいよ。まだ始めたばっかりで強くないから」
「ふうん、最近やり始めたんだ?」
「そう。だからまだ全然勝てないの」
「他のボードゲームは? ダイスとか、アブストラクトゲームとかはやらないのか?」
オリヴァーの口から未知なるゲーム名が飛び出したので葵は身を乗り出しかけたが、なんとか行動に出る前に自制した。ダイスやアブストラクトゲームがどのようなものなのか知りたい気持ちはあるのだが、それがポピュラーなゲームなのであれば彼らに質問するのはまずい。
(……クレアにでも聞こう)
疼き出したゲームへの熱意が顔を覗かせてしまう前に閉口した葵は、そうして自分の中で話を終わらせた。しかしオリヴァーとウィルは、なおもゲームの話を続ける。
「そういえば、
「ああ……確か、ユキガッセン、だったっけ?」
ウィルが同意を求めるように視線を傾けてきたので、一瞬ドキリとした葵は平静を装いながら頷いた。葵にしてみればあまり触れられたくない話題だったのだが、ウィルとオリヴァーは雪合戦の話で盛り上がっている。
「あれは雪のある冬月期じゃないと出来ない遊びだろ? だったら、夏月期じゃないと出来ない遊びもあるんじゃないか?」
「アオイ、夏期限定の遊びは何?」
「な、何で私に聞くの?」
それまで聞き役に徹していた葵はウィルから不意に話題を振られたので吃ってしまった。しかし問いかけてきたウィルに大意はなかったらしい。ウィルやオリヴァーは雪合戦という遊びを葵から教えられたので、他にも自分達が知らない遊びを葵が知っているのではないかと思っただけのようだ。
「夏といえば海じゃない?」
プールという考えも浮かんでいたのだが、この世界にそれが存在するかどうか分からなかったので、葵はとりあえず無難な答えを口にした。だがそれでも、葵の返答を聞いたウィルとオリヴァーは顔を見合わせる。
「海に行って何するんだ?」
「何って……泳いだりとか、スイカ割ったりとか」
「すいか?」
オリヴァーが問い返してきたので、葵は瞬間的にまずいことを口走ったのだと察した。焦った葵はスイカというものが食べ物だということだけ簡単に説明し、そそくさと席を立つ。
「そろそろ教室に戻らないと。じゃ」
席を立つ気配のないウィルとオリヴァーに軽く手を振り、葵は花々の間に作られた通路を歩き出した。シエル・ガーデンには扉のような出入り口はなく、ドームの片隅に転移用の魔法陣が描かれているのみである。マジスター達はこの魔法陣を使ってシエル・ガーデンに出入りしているのだが、今の葵には転移魔法が使えないため、そこから外へ出ることは出来ない。しかし葵はこのドームに施された秘密を知っているため、途方に暮れることはなかった。花園の中に佇んで周囲を見回した時、全面ガラス張りの建造物であるシエル・ガーデンではどこを向いても青空が見える。そこに通路のようなものを窺うことは出来ないのだが、実はシエル・ガーデンには隠された回廊が存在するのだ。創立祭の夜にその回廊の存在を知った葵は、そこからの脱出を試みた。
(……暑いなぁ)
全面がガラス張りではあっても、シエル・ガーデンの中は適温に保たれている。それがガラスを一枚隔てただけで快適さは失われ、途端に陽炎が立ち上るような暑さに晒されるのだ。日差しの強さに怯んだ葵はいつものように日陰をつくろうとして、魔法書が手元にないことに気がついた。
(あ、あれ?)
とりあえず周囲を窺った後、葵はどこで魔法書を落としたのかと記憶の糸を辿ることにした。登校して、保健室を訪れた時までは持っていたような気がするので、落としたとすればココ達に連行された頃だろう。
(保健室の辺りかな)
あの魔法書をなくしたとなれば、アルヴァに何を言われるか分からない。そう思った葵は炎天の下を歩き出し、早足で校舎の方へと向かった。
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