白昼の悪夢

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「で、今の会話から何か分かったのか?」

 葵が立ち去って間もなく、シエル・ガーデンに取り残されたオリヴァーはイスの背もたれに体重を預けながらウィルを見た。ウィルはまだ葵が去って行った方向を眺めていたが、やがてオリヴァーに視線を戻してから問いの答えを口にする。

「とりあえず、アオイが歩いていった方角が気になるかな」

「方角?」

「魔法陣があるの、あっちだろう?」

 ウィルが指差した方角は葵が歩き去って行った方角とは正反対だった。転移魔法は通常魔法陣を介して行われるので、教室へ戻ると言っていた葵の発言と行動は矛盾しているのだ。さらに言えば、このシエル・ガーデンから徒歩で外へ出るという選択肢は存在しない。一般の生徒が簡単に立ち入ることが出来ないよう造られたこのドームには、扉のような出入り口は存在しないからである。

「少し散歩してから帰ろうと思った、とか?」

「教室へ戻ると言って慌しくいなくなったのに?」

「……そんな悠長なことしない、か」

「前に、ハルが言ってたよね。アオイは転移魔法を使わないで、徒歩で登下校してるみたいだって」

「そういえば、そんなこと言ってたっけか」

「そもそも僕達は、アオイが転移魔法を使ってるところを見たことがないよね」

 ウィルが何を言いたいのか察したオリヴァーはおもむろに瞠目した。しかし次の瞬間には困惑顔になり、オリヴァーは眉根を寄せながらウィルに真意を問う。

「転移魔法が使えない、なんてアリか?」

「でもそう仮定すれば、アオイの不可思議な行動にも説明がつくんじゃない?」

「……確かに」

 トリニスタン魔法学園は魔法を学ぶ者にとって聖域とも言える名門校である。アステルダムがいくら分校とはいえ、転移魔法も使えない者が入学できたとは考えにくい。葵は中途編入者だが、それでも入学するにあたって試験は行われたはずなのだから。

「ま、使えないんじゃなくて使わないっていう考え方もあるけどね」

 ウィルの言う通り、時たまではあるのだが、転移魔法を使えるにも関わらずあえて使わないという者も存在する。その理由は歩くことをやめると足腰が弱くなるからという、非常に健康的な発想からきているのだ。だが葵がそうした健康思想の持ち主とは思えず、オリヴァーは渋い顔をした。

「そういうタイプか?」

「どうだろうね。もしかしたら、彼女の持っている魔法書に秘密があるのかもしれないけど」

「魔法書?」

「円陣で囲まれた五芒星ペンタグラムが表紙の、あの魔法書だよ。どこかで見た図形だと思ってたんだけど、あれ、レイチェル=アロースミスの著書だね」

「レイチェル=アロースミスって、あのフロックハート家お抱えの魔法士か」

 レイチェル=アロースミスは、魔法を学ぶ身であれば大抵の者が知っている高名な魔法士である。彼女は爵位を持つ身ではなく、さらには貴族の家柄でもなかったが、トリニスタン魔法学園の本校を卒業するほどの実力を有していた。卒業後は古の魔法に関する研究の第一人者となり、その功績から、王家から認められた魔法使いの称号である『魔法士』を名乗ることを許されたのである。そして近年は、その実力を買われて王家に最も近しいフロックハート家に招かれ、彼の家の客員魔法士として名を馳せている。

「ステラがレイチェル=アロースミスに心酔してただろう? それで思い出したんだ」

「レイチェル=アロースミスの著書って、簡単には手に入らない代物だよな?」

「執筆数自体が少ないからね。僕はステラに貸してもらって読んだけど、複製出来ないようにコピーガードがかけられていた。あれを外すには不眠不休でやっても五年はかかりそうだよ」

「噂通りの実力者、ってわけか」

 執筆数が少なく、かつ複製不可能では、葵の持っている魔法書はそうとうなレア・アイテムである。何が記されているのか興味を持ったオリヴァーは目を輝かせながらウィルに話しかけた。

「中身、見たいな」

「同感。でも急かすのは良くないよ」

 がっついて行動を起こすと、いつかのように失敗する。ウィルがそう言うので、ハリセンで思いきり叩かれた痛みを思い出したオリヴァーは無意識のうちに後頭部をさすった。

「あの手のタイプはその気にさせて、本人が気付かないよう情報を引き出すのが得策だよ」

 葵が去ってから淹れなおした紅茶を口に運びながら、ウィルが涼しい表情で言う。なるほどと頷いたオリヴァーも紅茶を口に運んだので、シエル・ガーデンには一時の沈黙が訪れた。

 しばらく淹れたての紅茶を愉しんでいたオリヴァーとウィルは、誰かが魔法を使った気配を感じて同時に顔を傾けた。ドームの片隅にある魔法陣に転移してきた者の姿はまだ見えないが、遠方に立ち上っている陽炎のような魔力から誰が侵入してきたのか窺い知ることが出来る。付き合いが長いと魔力からその日の気分まで分かってしまうようになり、怒りのオーラを感じ取ったウィルとオリヴァーは仕方がないといった様子で顔を見合わせた。

「今日も何かに怒ってるみたいだな」

「いつものことじゃない。どうせくだらない理由だよ」

 二人がそんな会話をしていると、背中に燃え盛る炎のような魔力を纏いながら黒髪の少年が姿を現した。世界でも珍しい漆黒の瞳は怒りにギラついていて、鋭い眼差しには他を圧する迫力がある。しかしオリヴァーやウィルにとっては気心の知れた仲間であり、彼らは何ら気にすることなくキリルを迎え入れた。

「どこ行きやがった、あの女」

 キリルが大きすぎる独り言を吐き捨てながらどっかりとイスに腰を落ち着けたので、ウィルとオリヴァーは再び顔を見合わせた。独白の内容から察するに、本日の怒りの原因は女性問題のようである。

「ステラならもうここにはいないよ」

「誰がステラのことだって言ったんだよ」

「だって昔は、ステラも『あの女』呼ばわりだったじゃない」

 昔のことを掘り返されるのを嫌ったのか、キリルは乱暴にテーブルを叩いた。ウィルの発言はキリルのそうした性格を踏まえたうえのものであり、からかっただけのウィルはくすくすと笑っている。テーブルが叩かれた拍子に零れてしまった紅茶の片付けは、オリヴァーが仕方なさそうに行った。

「で、誰を探してるんだ?」

 オリヴァーが新しい紅茶を淹れ直しながら問いかけると、キリルはむっつりとしたまま答えを口にした。

「私服でうろちょろしてる、あの女だよ」

「私服の女って……もしかして、アオイのこと?」

「キル、アオイを探してたのか?」

 名前は覚えてねーよと、キリルはぶっきらぼうに言い放つ。しかしそれが葵であることはまず間違いなく、ウィルとオリヴァーはまたしても顔を見合わせた。

「アオイなら、ついさっきまでここにいたけど?」

「……何だって?」

 さらなる不機嫌顔になったキリルは静かな怒りを漲らせながらオリヴァーを睨みつけた。嫌な予感を覚えたオリヴァーが身を引くより先に、立ち上がったキリルが彼の胸倉を掴み上げる。どうして引き止めておかなかったんだと理不尽なことを言われたオリヴァーは為す術なくキリルに揺さぶられた。

「教室に戻るって言ってたから、今行けば会えるんじゃない?」

 オリヴァーが揺さぶられるのを冷静に眺めていたウィルがぽつりと助言を零すと、キリルはすぐに手を離して魔法陣へ向かって歩き出した。息苦しさから解放されたオリヴァーが咳き込んでいるのを横目に、ウィルは涼しい表情で紅茶を口に運ぶ。

「何なんだよ」

 嵐のように過ぎ去ったキリルに振り回された形のオリヴァーはイスに座りなおしながら悪態をついた。我関せずの態度を貫き通したウィルも、オリヴァーが会話出来る状態になったのを見て口を開く。

「キルが女の尻を追いかけるなんて、ステラ以来だね」

「まさかまた、殴りに行ったんじゃないだろうな」

「もしそうなら明日、アオイを慰めてあげればいいよ」

 そのついでに情報を引き出そうと、ウィルは言う。今日はいつになく人でなしの発言を連発するとオリヴァーは思ったが、彼も異論は唱えずに紅茶を口に運んだのだった。






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