Love is Game

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「こんにちは〜」

 郊外にある屋敷からパンテノン市街へと移動した葵はフィフスストリートにある、とある工房の扉を開けながら中に向かって声をかけた。扉を開いてすぐの部屋にはガラス細工の工芸品が並んでいて、販売店のような民家のような微妙な雰囲気を醸し出している。扉を開くなりこちらを向いた少年と目が合ったので、葵は笑みを浮かべながら彼の傍へと寄った。

「いらっしゃい」

 葵の笑みに笑顔で応えてくれた少年の名はザック。葵と同い年の彼はこの工房の主である。

「リズは?」

 部屋の中にはザックの姿しかなかったので、葵は周囲を見回しながら彼の妹の所在を尋ねた。初めて会った時と同じように地味な色合いのズボンとベストといった出で立ちをしているザックは読んでいた冊子を閉ざしながら答えを口にする。

「学校」

「へ〜、リズって学校に行ってるんだ?」

 学校といえばトリニスタン魔法学園のイメージしかなかった葵は、もしや同じ学園に通っているのではという期待を抱いた。リズが同じ学園に通っているとなれば、毎日が楽しいものに変わりそうである。

「リズの通ってる学校ってどこにあるの?」

「市街の外れ。ジャンクストリートの辺りだよ」

「ふうん?」

 パンテノン市街に詳しくない葵にはジャンクストリートというのが何なのかさえ分からなかったが、どうやらリズの通っている『学校』はトリニスタン魔法学園とは別物のようである。がっかりした葵は、ザックの向かいの席に勝手に腰を落ち着けながら残念さを口にした。

「トリニスタン魔法学園じゃないんだね」

「あそこは爵位を持つ貴族じゃないと入学すら出来ない名門校だよ? 僕らみたいな庶民が通えるわけないじゃないか」

「あ、そうなんだ」

「アオイはトリニスタン魔法学園に通っているの?」

「えっ、うん。まあ、一応……」

 通っているというよりは通わされているといった方が正しいのだが、葵の煮え切らない返事にもザックは驚いた顔をした。

「貴族なのは知ってたけど、アオイって爵位を持つ家の令嬢なんだ?」

「……そんなんじゃないよ」

 貴族という言葉も令嬢も、葵の現実からはかけ離れたものである。自分ですら把握していない肩書きが一人歩きしていくことに疲れを覚えた葵は笑って誤魔化そうとしたのだが、ザックが不信そうな目をしていたので真顔に戻ってから言葉を重ねた。

「ザック、私の言ったこと信じてないでしょ?」

「え? 何のこと?」

「私は貴族じゃないし、シャクイなんてのも関係ないの」

 だから普通に接して欲しいのだと、葵は切に訴えた。ザックはしきりに瞬きをくり返し、それから首を傾げて眉根を寄せる。

「よく分からないけど、何か事情がありそうだね」

「うん、事情があるの。私にもよく分かんないんだけど」

 葵が真顔のまま肯定すると、ザックは何故か吹き出した。おかしそうに笑っている彼はくり返し葵のことを『妙なお嬢様だ』と言っていたが、笑い飛ばしてくれるなら気楽でいいと思い、葵も笑っておいた。

「ザックは? 学校行ってないの?」

「経済的に余裕がないんだ。リズをハイスクールへ行かせるだけで精一杯だよ。それに僕は学校へ行くより、職人としての仕事をしたいからね」

「そっか……」

 思いがけず身の上話を聞いた葵はザックのことを偉いなと思った。同じ年にもかかわらず彼はちゃんと自立していて、しっかりと妹を養っているのだ。

「ところで、それは何?」

 話が途切れたのを機にザックが話題を変えたので、葵は目前に置いた白い小箱に視線を落とした。それから含みを持たせた視線をザックに向け、葵はニヤリと笑う。

「知りたい?」

「えっ? なに、その含み笑いは」

「大したものじゃないんだけど、はい」

 笑いをおさめた葵はテーブルの上に置かれている箱をザックの方へ押し出した。箱を受け取ったザックは葵が意地悪をしたこともあって、なかなか中身を見ようとしない。そんなに警戒しなくてもと呆れながら、葵は箱を開けるようザックを促した。恐る恐る箱を開けたザックは、その中身を見るなり目を瞬かせる。葵はサプライズをしようと思っていたわけではないので、今度はさっさと贈物の意図を明かした。

「この前、夕食をごちそうになったじゃない? そのお礼」

「これ、もしかしてアオイが作ったの?」

「そうだよ。一人で作ったわけじゃなくて、手伝ってもらっちゃったけど」

 だから味の方は絶対に大丈夫だと、毎日クレアの手料理を食べている葵は自信を持って言い切った。

「ありがとう。すごく、嬉しいよ」

 箱の中に納まっているホールケーキから顔を上げたザックは、本当に嬉しそうな微笑みを葵に向けた。他人が心の底から笑っている姿を見るのが久しぶりのような気がした葵は、作って良かったと思いながら感慨に浸る。

(やっぱり好きだなぁ。この雰囲気)

 トリニスタン魔法学園には欺瞞や傲慢が溢れているが、ここにはギスギスした空気が微塵もない。ザックやリズから受けるのは人の温かさや飾り気のない素朴さであり、そういった庶民的な雰囲気が疲れた葵の心を優しく癒していくのだ。

「リズが帰ってきたら三人で食べよう。まだしばらくは帰って来ないから、ゲームでもしようか?」

「コンバーツやりたい!」

「今、ボードを用意するよ」

 ザックがいそいそとゲームの準備を始めたので、葵もそれを手伝おうと立ち上がる。そうして彼らはリズを待つ間、ゲームをして過ごすことにしたのだった。






「アオイ、起きて!」

 誰かの声が降ってくると同時に体を揺り動かされて、葵はハッと目を覚ました。テーブルに突っ伏して眠っていた葵は上体を起こすと共に反射的に周囲を見回す。しかし求めていた物は発見出来ず、そのうちにそもそも時計自体がこの世界にないことを思い出した葵は苦い気持ちになりながら頭を掻いた。

「もう、アオイってばいつまで寝てるの」

 腰に手を当てて仁王立ちになりながら葵を見下ろしていたのは、ザックの妹であるリズだった。まだ頭が現実に戻りきれていなかったため、混乱した葵は眉根を寄せながらリズを見上げる。

「何でリズがいるの?」

「何で、じゃないでしょ。うちの店先で熟睡してたのはアオイじゃない」

「店……」

 リズから視線を外してよくよく周囲を見回した葵は、ようやく自分の置かれている状況を思い出した。ここは私室ではなく、ザックの工房である。

「そうだ、ザックは?」

「お兄ちゃんなら買物に行ったわよ。今夜はお兄ちゃんが夕食当番だから」

 リズの言うように、周囲に目を配ってみても室内にザックの姿はない。テーブルの上に置かれたやりかけのゲームに目を留めた葵は自己嫌悪に襲われた。昨夜は一睡もしていないのに頭を使ったため、どうやらコンバーツをやっている最中に眠りこけてしまったらしい。

「ザック、怒ってた?」

「ううん。すっごい機嫌良かった」

 恐る恐る目を上げた葵はリズの笑顔に出会い、その意味が分からなくて首を傾げた。リズはしたり顔になって葵の正面に腰かけ、両腕で頬杖をつきながら説明を加える。

「アオイ、ケーキ焼いてきてくれたんでしょう? お兄ちゃん、すっごい喜んでたよ」

「えっ、ああ……そうなの?」

「うん。貴族のお嬢様が手作りのお返しをくれるなんて誰も思わないからね。きっとすごく大変な思いして作って、それで疲れて寝ちゃったんだろうって」

 ザックの想像が現実とかけ離れていたので、まったく別件で眠れなかっただけの葵はリズに苦い笑みを返すことしか出来なかった。リズもザックの想像が正しいとは思っていなかったようだが、彼女は笑みを残したまま話を続ける。

「お兄ちゃんね、今まではあんまり貴族の人にいいイメージ持ってなかったみたいなの。でもアオイは別ね。そう言ってた」

「そうなんだ? でも、そうだと嬉しいな」

「ほんと!?」

 葵は『貴族として見られないのが嬉しい』と言っただけだったのだが、リズは大袈裟なほどに喜んで身を乗り出してきた。彼女の迫力に気圧されした葵はイスの上で身を引く。その拍子に肩口に引っかかっていた布がずり落ち、葵は慌ててそれをすくい上げた。

(あれ? これ……)

 手にした布はあまり上等な代物ではなかったものの、薄手の夏掛けだった。リズは一人で『あたしも嬉しい』などと喋っているので、おそらくこれを掛けてくれたのはザックなのだろう。そうしたさりげない優しさが徐々に沁みてきて、葵も一人で感動してしまった。

(優しいなぁ、ザック。ほんと、トリニスタン魔法学園の人たちとは大違い)

 トリニスタン魔法学園ではそもそも家柄によって優劣が決しているため、生徒同士が対等な人間関係は望めない。そのためザックのように、何の思惑もなく他人に優しくすることなど有り得ないのだ。それでも今は、理解ある担任教師がいるおかげで学園生活が少しはマシなものになった。それにザックとリズという、気を許せる相手もできたのだ。一人で悶々としていた頃に比べればだいぶ環境は良くなったのだと、改めてそう感じた葵は小さな幸せを噛みしめながらリズとの話を続けた。






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