Love is Game

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 夏月かげつ期中盤の月である橙黄とうこうの月の五日、一日自主休暇を挟んで心身ともにリフレッシュした葵は朝からトリニスタン魔法学園に登校した。校舎に入るとすぐ、彼女は橙黄の月に入ってから日課となってしまった所用を済ませるために一階の北辺にある保健室へと向かう。しかしこの日も目当ての人物には会うことが出来ず、葵はため息をつきながら二階にある自分の教室へと足を向けた。

(一体いつになったら帰って来るんだろう)

 登校後と下校前には必ず保健室を覗くようにしているものの、いつの間にか行方をくらませてしまったアルヴァが戻って来ている様子はない。アルヴァと何らかの繋がりがあると思われるウサギに尋ねてみても、見当違いな答えが返ってくるだけで詳しい情報は何も得られないのだ。初めはクレアの素性を尋ねることばかり考えてアルヴァを探していたのだが、不在が長引くと別な思いも浮かんでくる。

(私、実はアルのこと何も知らないんだ)

 アルヴァ=アロースミスという人物はトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校医を名乗っているが、それが真実なのかどうかは分からない。それはアルヴァが保健室に酷似した部屋に閉じこもったきりで、生徒の前に姿を見せることがないからである。そのためアステルダム分校の生徒はウサギの方を保健の先生だと思っている様子で、誰もアルヴァのことを知らないのだ。

(先生に聞けば分かるのかな?)

 職員の事情は職員に訊いた方が早いのかもしれない。そう思い始めた葵は誰か質問の出来る人物はいないかと考え、新任の担任教師を脳裏に浮かばせた。ロバートはまだこの学園へ来て日が浅いため、もしかしたら何も知らないかもしれない。それでも他に頼れる者のいなかった葵は聞くだけ聞いてみようという結論に達し、そこで思考を切り替えて教室の扉を開けた。

 まだ授業が始まる前の教室は生徒達の歓談の声に溢れていたのだが、それは葵が姿を見せるや否や、ピタリとやんだ。マジスターのせいで再び注目を集める羽目になった葵は心底辟易しながら無言で自席へと歩を進める。誰とも目を合わさず窓際の席に着いた後は魔法書を机の上に置き、窓の外に視線を固定した。

「おはようございます、ミヤジマさん」

 視界の外から少女の呼び声が聞こえてきたので、葵は眉根を寄せながら教室の方へ顔を傾けた。するといつの間にか吊り目の少女と内巻きカールの少女が間近に佇んでおり、彼女達の姿を認めた葵は感情を抑えようと努力しつつも少し眉根を寄せる。だが少女達は葵の変化など歯牙にもかけず、勝手に会話を開始した。

「先日はマジスターの皆様と何をお話しになっていたのです?」

 あからさまな棘を口調に含ませながら本題を口にしたのは、葵の所属するクラスのリーダー的存在であるココだった。吊り目の彼女は微笑んでいても顔つきが鋭く、何よりも印象的な目が笑っていない。迂闊なことを答えるわけにはいかなかったので葵は無言を貫いた。しかしそれでも、彼女達の一方的な非難は続く。

「ステラ様だけでなく、ミヤジマさんはマジスターの皆様と仲がよろしいのですわね。おモテになって羨ましい限りですわ」

 沈黙している葵に対してではなく、女生徒の嫉妬心を掻きたてるように内巻きカールのサリーが言う。ココもその話題に乗ったため、葵はクラス中の女生徒からあからさまな敵意を向けられる羽目になった。

(かんべんしてよ)

 葵は以前、アステルダム分校のマジスターの一人だったハル=ヒューイットという少年に関わったことで全校女子生徒の反感を買ってしまったことがある。その時は多少は自分のせいもあったのだが、今回のことは完全なるとばっちりだ。そして今は保健室にアルヴァが不在のため、学園内で揉め事が起こった時に逃げ込める場所がない。これ以上騒ぎを大きくしないで欲しいと心から願った葵はココ達に何を言われても反論せず、嵐が過ぎ去るのを静かに待った。

 やがて始業の鐘が鳴り、ロバートが教室に入ってきたのでココとサリーは自分の席へと戻って行った。同時にクラスメート達からの集中砲火からも解放されたため、ホッと息をついた葵は教壇のロバートに密やかな感謝の念を送った。

(あ〜、もう。めんどくさい)

 トリニスタン魔法学園ではどこを向いても、厄介事しか見当たらない。そんなことを考えてしまった葵は昨日会ったばかりだというのに、ザックとリズが恋しくなってしまった。

(リズと同じ学校が良かったな)

 彼女の天真爛漫さから察するに、リズが通っている学校では面倒な習わしなどはないのだろう。葵にトリニスタン魔法学園へ通うよう勧めたユアン=S=フロックハートという少年は良家の子供ばかりだから安心して通えと言っていたが、それこそが厄介事の元凶そのものである。そう思った葵は脳裏に姿を浮かばせた少年を恨みたい気分になった。

(そういえばユアンやレイ、どうしてるかな)

 ユアンは葵に面倒な学園へ通うよう勧めただけでなく、彼女を二月が浮かぶ異世界へと招いた諸悪の根源だ。そして葵が『レイ』と呼ぶ女性は正式名をレイチェル=アロースミスといい、彼女はユアンの家庭教師である。自分達の非を認めている彼らは葵が元の世界へ帰れる方法を探してくれているはずなのだが、三ヶ月経っても未だに、いい報告は成されていなかった。

「では、シルヴィア=エンゼル。まだ魔法士という称号が生まれる前にサングリア王家がその才能を見出し、特に夏場に重宝したと言われているアイス・アートの名匠の名は? また彼が契約を交わした水の英霊は誰だったか答えなさい」

 授業を行っているロバートが一人の少女を指名した声が聞こえたため、物思いにふけっていた葵は何となく視線を傾けてみた。シルヴィアというクラスメートの名前に反応してしまったのは、彼女とマジスターの一人であるウィル=ヴィンスがデートをするということが気になっていたからかもしれない。そうして何気なく目にしたシルヴィアの姿に、葵は眉根を寄せた。

(シルヴィアってあんなに太めだったっけ?)

 トリニスタン魔法学園の生徒は一様にゆったりとしたローブを身にまとっているので体型の善し悪しなどにあまり個人差はないのだが、シルヴィアは明らかに他の生徒達よりも膨れている。もともと目を引くような体型をしていなかった彼女が何故そこまで着ぶくれているのか、葵は疑問に思ったのだった。

「シルヴィア=エンゼル。聞いているのか」

 指されたシルヴィアがなかなか答えようとしなかったので、ロバートは焦れた様子で彼女の席へと歩み寄った。ロバートが近付いてきたことで、背中を丸めて座っていたシルヴィアがようやく顔を上げる。

「も、申し訳ございません」

 シルヴィアの答えは『話を聞いていなかった』というものだった。ロバートが呆れた顔をしながら注意を促すと、教室内には失笑が沸き起こる。それは主に女生徒から向けられた軽蔑で、その空気を作っている中心人物はココとサリーだった。

(……嫌な感じ)

 つい先日までココ達と同じく他人を嘲笑う立場だったシルヴィアが、今は嘲笑のターゲットにされている。その理由は彼女が、トリニスタン魔法学園に通う女生徒にとって高嶺の花であるマジスターに手をつけたからだ。騒動の渦中にはいないはずなのに、そうした経緯を知ってしまっている葵は不愉快さを隠しきれずに顔を歪めた。そしてすぐさま、澱みきっている教室内の空気に浸っているのが嫌で窓の外へと顔を傾ける。

「きゃあ!」

 不意に悲鳴が上がったので、顔を背けていた葵は何事かと視線を戻した。見ると、教室の中ほどで一人の生徒が机を薙ぎ倒して倒れこんでいる。魔法書を閉ざしたロバートがすぐに倒れた生徒に近寄ったので、葵は仰向けにされた少女の顔を見て再び眉をひそめた。

「誰か、保健室のウサギを呼んできなさい」

 ロバートの声に反応したのは廊下側の席にいた一人の男子生徒だった。誰かが教室を出て行く気配を察したロバートは顔を上げずに、倒れているシルヴィアのローブを胸元から裂いていく。シルヴィアがひどい汗をかいていたためにそうしたのだろうが、ローブの下から出てきたものは彼女の素肌ではなかった。

「……舞踏会にでも行くつもりか」

 シルヴィアのローブの下に隠されていたのはスカートの裾をふんわりさせたアフタヌーンドレスで、ロバートが呆れながら言うと再び失笑が沸き起こった。今度は完全に授業が中断してしまっているため、女生徒達はあからさまな悪口を言い出す。

「パーティーでもないのに学園へドレスを着ていらっしゃるなんて、何を考えているのかしら」

「冷却の魔法が不十分な安っぽいドレスのせいで倒れてしまわれるなんて、お可哀想でなんとも言えませんわ」

 方々から嘲りの声が聞こえてくる中、彼女が何故そんな格好をしていたのか察してしまった葵は何とも言えぬ複雑な気分になった。おそらくはウィルが自分の空いている時に連絡をするなどと言ったから、シルヴィアはいつ呼ばれてもいいように朝からめかしこんできたのだ。だが学園へ行くには制服を纏う必要があるので、彼女はドレスの上に通気性の悪いローブまで着用した。いくら教室が魔法で適温にされているとはいえ真夏にこの格好では倒れても仕方がない。それでも、彼女はウィルに少しでも可愛い自分を見せたかったのだ。

 シルヴィアの気持ちはウィルのことを好きというのとは少し違うかもしれない。だが相手に少しでも好印象を持って欲しいという想いは純粋なものである。その気持ちが少しは分かるだけに尚更いたたまれない気持ちになった葵は、次第に様々なことに腹が立ってきた。

(何で私がこんな気持ちにならなくちゃいけないのよ)

 考えれば考えるほどに苛立ちが増していきそうな気がした葵はそこで考えることを放棄し、騒がしくなった教室から思考を隔絶して窓の外へと視線を固定したのだった。






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