Love is Game

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 昼休憩の鐘が学園内に鳴り響くと葵はすぐさま教室を抜け出し、人気のない場所を求めてエントランスホールに足を向けた。昼休みの校内はどこへ行っても生徒がいるので、炎天の下に出た葵は分厚い魔法書で日陰を作りながら大股で歩を進める。向かう先は一般の生徒が近寄らない、マジスター専用の特別区域だ。

 重ね着のせいで授業中に倒れてしまったシルヴィアはウサギの手によって保健室へと運ばれ、彼女はしばらくそこで休養することになった。本当はそのまま帰宅させる話運びになっていたらしいのだが目を覚ました彼女が帰らないと言い張ったため、その後、シルヴィアはけっきょく授業に復帰したのである。授業を中断させてしまったシルヴィアに注がれる視線は前にも増して冷たいものになった。それでも彼女が帰らなかったのはまず間違いなく、ウィルから声をかけられるのを待っているからだ。そのことが解ってしまうだけに教室になどいられず、葵は怒りを撒き散らしながら校舎を後にしてきたのだった。

(もうたくさんだよ)

 嫉妬や裏切りに満ちた上辺だけの付き合いも、決して好きではない相手の胸中を察して痛ましい気持ちになってしまうのも、エリート達の傲慢も。名門と言われるトリニスタン魔法学園にはびこっている悪しき風習に腹を立てながら、怒れる葵は徒歩で大空の庭シエル・ガーデンへと足を踏み入れた。しかし花園へ降り立った刹那、流れてきた管楽器の音色にビクリとして足を止める。

(バイオリンの音……)

 花園の中で聞くバイオリンの音色はとある人物を彷彿とさせる。だがその人物は、もうこの場所にはいないのだ。そのことを理解していながらも葵の足は勝手に音源を探し始めた。

「なんだ、オリヴァーか」

 花園の中央に作られた花を愛でるための場所で、茶髪の少年がバイオリンを弾いている姿を見つけた葵はがっくりと肩を落とした。がっちりとしたスポーツマンタイプの体躯をしている少年はオリヴァー=バベッジといい、彼はアステルダム分校のマジスターの一員である。葵の独白は演奏に紛れて聞こえなかったようだったが、葵の姿を目に留めたオリヴァーはビクリとして数歩後ずさった。

「なんだ、アオイか」

「そんなに驚いて、どうしたの?」

「そりゃ驚くって」

 驚愕の理由を語りだしたオリヴァーの話によると、魔法が使える者の間では使用者の発している魔力で様々なことを識別しているらしい。例えば誰かが背後から迫って来ていたとしても、ある程度の距離まで近付かれれば背後に誰かがいることが魔力の気配で分かるのである。さらにそれが親しい相手なら、振り返る前に相手を特定することも出来る。だが今の葵にはまったく魔力がないため接近されていることが分からず、オリヴァーはそのことに驚いたのだった。

「なんか、魔力を察知する前に顔を見るって妙な感じだ」

 幽霊でも見るような目つきで葵を一瞥した後、オリヴァーは苦笑しながらバイオリンを異次元にしまった。手の先だけがすっぽりと消えてしまう光景を見るのも久しぶりで、葵は妙な感じを覚えながらオリヴァーの手元を注視する。バイオリンを消し去ったオリヴァーがお茶でも飲んでいけばと言うので、葵はシミ一つない真っ白なイスに腰かけることにした。

「ウィルは?」

 シエル・ガーデンにはオリヴァーの姿しかなかったので、葵はこの場所を訪れた目的を思い出して尋ねてみた。紅茶を淹れる魔法を茶器にかけながら、オリヴァーは首を傾げる。

「さあ? 何で?」

「ちょっとね、話があったの」

「何? 伝えておこうか?」

「……やっぱいい」

 冷静になって考えてみれば、自分の口から『シルヴィアと早くデートをしろ』と言うのもおかしな話である。そう思った葵はウィルの話題を離れ、もう一つの気がかりを尋ねてみることにした。

「ねえ、キリルってどういう奴なの?」

「キル? 何で?」

 ウィルの所在を尋ねた時よりもオリヴァーが不可解そうな表情をしたので、自分でもそう思った葵は苦笑いを浮かべた。殴られた経験が一度や二度ではないだけに、葵はキリル=エクランドという少年が嫌いである。そしてキリルもまた葵のことを嫌っているはずであり、彼らは犬猿の間柄なのだ。オリヴァーもそのことを知っているだけに、葵の口からキリルの話題が出るとは思わなかったのだろう。

「だってアイツ、わけ分かんないんだもん」

「またキルに殴られたのか?」

「殴られるよりタチ悪いよ」

「今度は何されたんだよ」

 オリヴァーが心配そうな表情で問い詰めてきたので葵は簡単に答えようとしたのだが、意思とは裏腹に閉口してしまった。いざ口にするとなると、それが何とも思っていない相手でも『キスされた』と言うのは恥ずかしい。

「何だよ、はっきり言ってくれよ」

 即答することを躊躇してしまったことが不安を煽ってしまったらしく、オリヴァーは恐ろしいものでも見る目つきで葵を見ている。そういった反応をされるとますます言い辛くなってしまい、葵はさっさと口にしてしまえばよかったと後悔した。

「……された」

「え? 何をされたって?」

「だから、キスされたって言ったの!」

 葵の返答を聞くなり、オリヴァーは口を開けたまま動かなくなった。妙な照れくささを感じた葵は矢継ぎ早にキリルへの文句を口にする。しかし葵が何を言っても、オリヴァーはポカンと口を開けたままだった。

「……オリヴァー?」

 オリヴァーの驚きが尋常でないほど長引いていたので、異変を察知した葵はオリヴァーの顔の前で手を上下させた。それでようやく我に返ったらしく、オリヴァーは焦点を定めて葵を見る。だがその表情は、意外なほどに真剣そのものだった。

「今の話、本当なのか?」

「こんなウソついて何の得があるのよ」

 むしろデメリットしかないと葵が断言すると、オリヴァーはしみじみと頷いた。それでもまだ信じられない様子で、オリヴァーは独白を零し出す。

「あのキルが女の子にキスした、ねぇ……」

 オリヴァーの反応からするに、葵がキリルにされたことは相当に珍しい出来事だったようだ。その相手が何故よりにもよって自分だったのかと思うと謎は深まるばかりである。ただ一つだけ分かっていることは、キリルが葵を好きだからという理由でキスしたのではないということだけだ。

(ほんと、冗談じゃないよ)

 追い回された挙句に好きでもない相手からキスされたのでは、葵ではなくともそう思うだろう。ウィルの一件もあったため、もうマジスターに振り回されるのはたくさんだと思った葵は紅茶を一口だけ飲んでから席を立った。

「もうあんなことしないでって、あいつに言っておいてよ。じゃ」

 あまりアテにはならなさそうだったがオリヴァーに伝言を頼み、葵は元来た道を引き返した。ドームの外へ出るとどっと暑さが押し寄せて来て、教室に戻る気も失せてしまった葵はスカートのポケットから呼び鈴ベルを取り出す。音の鳴らないベルを振ってクレアに迎えに来てもらい、葵はそのまま帰宅の途に着いた。






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