Love is Game

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 オレンジの色味が強い二月が虚空に浮かぶ夜、転移魔法で他人の屋敷の玄関口に出現したオリヴァーは豪奢な作りの二枚扉を荒々しく開いた。ここはエクランド家が所有する別邸の一つで、広大な屋敷自体がキリルの寝所である。防犯上の理由から使用人も数名雇われているのだが、彼らはオリヴァーが主人の友人であることを知っているため、オリヴァーは特に咎められることもなく屋敷の中を闊歩した。

 シエル・ガーデンで葵と別れた後、オリヴァーはキリルの所在を突き止めようと奔走した。だが運の悪いことにキリルは学園に来ておらず、そのため彼が立ち寄りそうな場所をしらみつぶしに当たる羽目になったのだ。何事にも飽きっぽいキリルは普段からあまり一つの所に留まることがないため、これがなかなかに骨の折れる作業だった。しかし消費した魔力も虚しく、結局は夜になるまでキリルの居場所を突き止めることが出来なかったのである。夜になればキリルは大抵この邸宅に帰るので、オリヴァーは最後の望みとして彼の寝所を訪れたのだった。

 内部の情報を外に漏らさないようにするため屋敷には防御魔法プロテクトがかけられているのだが、一度内部に入ってしまえば目的の人物を探し出すのは容易い。キリルが垂れ流しにしている紅蓮の炎に似た魔力を頼りに廊下を歩いていたオリヴァーは、やがて彼がいる一室に辿り着いて歩みを止めた。そのまま休むことなく、オリヴァーはすぐに扉を開く。

「キル! やっと見つけた」

 オリヴァーが室内に入ると、そこにはキリルの他にウィルの姿もあった。彼らもすでにオリヴァーが来ることは承知していたため、別段驚いた様子もなく彼を迎える。

「オリヴァーも一杯やりにきたのか?」

 耳の早い連中だと、キリルは上機嫌な笑みを見せた。彼の手にはグラスが握られていて、その中には何やら濃赤色の液体が注がれている。どうやらキリルとウィルはもぎたての果実から作った飲み物で渇いた喉を潤していたらしい。しかしそれどころではないオリヴァーは、問いには答えずにキリルに詰め寄った。

「キル、聞きたいことがあるんだ」

「何かあったの?」

 オリヴァーに応えたのはキリルではなく、静かにグラスを置いたウィルだった。ウィルから投げかけられた質問の答えはキリルから聞き出した答えと同じになるはずなので、オリヴァーは構わずにキリルとの話を続ける。

「アオイにキスしたって本当なのか?」

「それがどうした」

 問い詰められるのが煩わしかったのか、キリルはムッとした表情になりながら答えた。キリルがあまりにも簡単に認めたので、オリヴァーは改めて驚きを露わにする。

「本当のこと、だったのか」

「へぇ。キル、何でアオイにキスしたの?」

 ウィルが口を挟むと、二人から質問攻めにされたキリルはむっつりとしたまま閉口した。キリルに答える様子がなかったので、ウィルがさらに言葉を重ねる。

「ああいう女は嫌いだって言ってたじゃない」

「嫌いに決まってんだろ。図々しいし、やかましいし、うぜぇ」

「じゃあ、何でキスしたの?」

「それは、ハルが……」

 後半はごにょごにょと囁かれたので、ウィルにもオリヴァーにもキリルの言葉を聞き取ることは出来なかった。オリヴァーは首を傾げたが、ウィルはキリルの思考を推察し始める。

「もしかして、ハルがアオイにキスしたから?」

「ああ、そうだよ! 何なんだよ、お前ら。うぜぇなぁ」

 ウィルにあっさりと真意を言い当てられてしまったキリルはヘソを曲げてそっぽを向いた。バツが悪そうな態度でグラスを傾けているキリルの姿に、ウィルとオリヴァーは顔を見合わせてから呆れた息をつく。

「なんだ、そういうことか」

 その理由を知りたくて奔走していたオリヴァーは意外と単純だった答えに拍子抜けしてしまい、ソファーに腰を下ろしながらグラスを引き寄せた。ウィルもまた、ボトルに新たな液体を注がせながら小さく笑いを漏らす。

 基本的にキリルは他人を徹底的に排除する性質だが、その反動のように、仲間と認めた者のことは具に知りたがる。彼はハルが、葵のような女にキスをしたことがどうしても理解出来なかったのだ。だが理解の出来ないままに終わらせることは出来なくて、ハルと同じことをすれば彼の気持ちが理解出来るのではないかと考え、自分の思いつきを実行した。オリヴァーの口を塞がらなくさせた出来事の真相は、どうもそういうことのようである。

「最近やたらとアオイを気にしてたのも、それか」

 一つの疑問が紐解けると、それまで不可解に感じていたことが一気に解決してしまい、オリヴァーは色々なことに一人で納得しながらグラスを口元へと運んだ。まだ閉口したままでいるキリルの表情は不機嫌そのもので、これ以上この話題を続けると苛立ちが爆発してしまいそうである。不穏な空気を感じ取ったオリヴァーはそこで葵の話を終わらせようとしたのだが、ウィルはまだ彼女の話を続けたがった。

「ダメだよ、キル。それじゃ分かるはずもない」

 ウィルが暗に「提案がある」と言っていたため、キリルとオリヴァーは眉をひそめながら彼の方に視線を傾けた。その場の視線を一手に集めたウィルはキリルを見据え、諭すように優しく語りかける。

「だって、アオイはハルのことが好きだったんだから。同じキスでも状況が違いすぎるだろう?」

「……どういうことだ?」

「つまり、アオイがキルを好きにならなくちゃ同じ状況は生まれないってこと。もしアオイがキルのこと好きになれば、ステラの気持ちも分かるかもね」

「そういえばアオイ、ステラのことも好きだったよな。だからハルに自分の気持ちを伝えなかったのかもしれないな」

「伝えていたとしても、うまくはいかなかっただろうけどね」

「まあ、ハルは昔からステラ一筋だったからなぁ」

 オリヴァーとウィルが思い出話に華を咲かせても、キリルは話に乗ってこなかった。一人で難しい表情をしているキリルは空を仰いでいて、どこか一点をじっと見つめている。そんなキリルの様子に目を留めたオリヴァーは首を傾げながら彼に話しかけた。

「キル? どうした?」

「どうしたらあの女はオレを好きになるんだ?」

 キリルがポロリと零した一言にオリヴァーとウィルは絶句して、それから同じタイミングで吹き出した。

「は、腹いてぇ」

「キル、それ本気?」

 ウィルが茶化した口調で尋ねると、我慢の限界を超えた様子のキリルはすっくと立ち上がった。そのまま前触れもなく、キリルは早口で呪文を唱え出す。彼の唇が動いた瞬間に身の危険を察知したウィルとオリヴァーは瞬時にして笑いを収め、これから起こるであろう事態に備えた。

「灰になりやがれ!!」

 キリルが怒りの咆哮を放つと同時に彼らがいた部屋は炎に包まれ、扉や窓が破裂音と共に吹き飛んでいった。室外へと噴き出した炎はすぐに大気に溶けていったものの、室内にはまだ紅蓮の炎が燃え盛っている。しかしそんな惨状の中に身を置いていても、オリヴァーとウィルは無事だった。

「また派手にやったね」

 炎の中でウィルが平然とそんなことを言っていられるのは、彼らの周囲を水の膜が覆っているからである。それを作り出すために魔力を消費しているオリヴァーもまた、この事態がいつものことと言わんばかりに小さく首を振った。

「お前がたきつけたんだから何とかしろよな」

「オリヴァーだって笑ってたじゃない」

「だって、お前、あんなこと言われて笑わずにいられるかよ」

「僕もまさかね、キルがあんなこと言い出すとは思わなかったけど」

 熱風が吹き荒ぶ室内でも余裕の表情で会話をしていたオリヴァーとウィルは、炎の柱と化している背の高い植物の影から現れた姿に目を留めて一様に口をつぐんだ。周囲よりも純度の高い炎をその身に纏わせているキリルは怒りにぎらついた瞳をオリヴァーとウィルに据えながら、ゆっくりと歩み寄って来る。キリルが迸らせているのは具現化した魔力であり、彼が本気で怒るとこういうことになってしまうのだった。

「悪かったよ、キル。謝るから、その物騒な魔力をちゃんと体に収めてよ」

 怒髪天を衝くといった様相のキリルに、ウィルは至って平静に声をかける。だが謝り方が悪かったため、キリルは聞く耳を持たなかった。彼が再び魔法を使うような素振りを見せたので、オリヴァーは慌てて周囲に巡らせている水膜を強化しようとした。しかしそんな切迫した状況下でも、ウィルは平然と言葉を重ねる。

「どうすればアオイがキルのことを好きになるか、って言ってたね。許してくれるならいいことを教えてあげるよ」

 一度暴走を始めてしまったキリルは説得が通じるような相手ではない。ましてやそんな胡散臭い誘いでキリルの怒りが治まるわけがないとオリヴァーは思ったのだが、眉一つ動かさずにキリルを見据えているウィルは、どうやら本気でキリルと駆け引きをするつもりのようだ。動きを止めているキリルもまた、ウィルをじっと見据えている。しばらくするとキリルの体から迸っていた炎が目に見えてその威力を減退させていったので、傍から様子を見守っていたオリヴァーは「そんなバカな」と呟かずにはいられなかった。

「……そこまで言うなら許してやる」

 意外にもあっさりと怒りを治めたキリルは室内に渦巻く炎を気にするでもなく、炎上しているソファーに悠然と腰を落ち着けた。キリル以外の者がそんなことをすればたちまち火だるまとなるが、彼は大丈夫なのである。しかしオリヴァーやウィルにとっては、この炎が支配する空間は危険地帯のままだ。そこでオリヴァーは、キリルの怒りが鎮まったのを機に消火活動を開始した。だが対峙したままのキリルとウィルは、オリヴァーの動きなどそっちのけで話を進める。

「で、その『いいこと』っていうのは何だ」

「女の子の口説き方」

「口説く? オレが?」

 それじゃ立場が逆だろうと、キリルは不服そうに唇を尖らせる。しかしウィルは、キリルの異議をあっさりと棄却した。

「そんなのどっちでもいいんだよ。要はその気にさせればいいんだから」

「ふうん。お前、そういうの詳しかったのか」

「……何でもいいから、とりあえず部屋を移そうぜ」

 瓦礫の山と化した室内の惨状など目もくれず、さっそく話に華を咲かせているキリルとウィルに、一人で労力を消費したオリヴァーは疲れたため息を零しながらそう提案したのだった。






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