Practise

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 葵がキリルの手を振り払って走り去った後、二年A一組前の廊下はしばし異様な静寂に包まれていた。しかしやがて小さな囁きが生まれ、それはあっという間に大きなざわめきへと変わっていく。

「キリル様、大丈夫ですか?」

「キリル様がお声をかけてくださったというのに、あの女は何様のつもりですの」

「マジスターにあのような態度をとるなんて、制裁に値しますわ」

 あ然としているキリルを案じる声から始まったざわめきは、次第に制裁という言葉に支配されるようになった。彼を取り巻いている女子生徒達は口々に葵への罰を要求しているが、当のキリルは未だ呆けたまま葵が去った後を見つめている。だがキリルも次第に我を取り戻し、こめかみに青筋を浮き上がらせた。

「うるせえ!!」

 キリルが一喝すると廊下に渦巻いていた興奮は一瞬のうちに終息した。不機嫌を露わにしたキリルは周囲の人々に構うことなく呪文を唱え、転移魔法でもってその場を後にする。マジスターがたまり場としている大空の庭シエル・ガーデンに出現したキリルは美しく咲き誇っている花々を怒りに任せて蹴散らしながら仲間の元へと向かった。

 シエル・ガーデンの中央部には周囲より一段高くなっている場所があり、花を愛でるためのその場所には白いテーブルと椅子が置かれている。そこには先客の姿があり、赤髪の恐ろしく女顔の美少年と、長い茶髪を無造作に束ねたスポーツマンタイプの少年が向かい合ってお茶を飲んでいた。赤髪の少年は名をウィル=ヴィンスといい、茶髪の少年の名はオリヴァー=バベッジという。彼らはトリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターであり、怒り狂った紅の魔力を垂れ流しながらやって来たキリルを呆れた顔をして迎えたのだった。

「どうしたの、キル? またそんなに怒って」

「イライラするのはよくないぜ。ほら、茶」

 ティーカップをソーサーに戻しながら声をかけたウィルに続き、オリヴァーが荒々しく腰を下ろしたキリルの前に紅茶を置く。だが何もかもが気に入らない状態のキリルは紅茶に手を伸ばそうとはせず、それどころかテーブルを下から蹴り上げた。オリヴァーとウィルは自分のカップを即座に避難させたため、キリルの前に置かれていたティーカップとテーブルだけが花園の中に転がっていく。調和のとれた美しい眺めが一瞬にして破壊されてしまったわけだが、それでもウィルとオリヴァーは怯まなかった。

「まったく、ワガママもいいかげんにしなよ」

 テーブルがなくなってもソーサーを片手にしながら、ウィルは悠然と紅茶を口に運ぶ。癇癪を起こしているキリルが鋭いまなざしをウィルに向けたので、オリヴァーはため息をついてから口を挟んだ。

「アオイを口説きに行って失敗したとか?」

 図星を突かれたキリルはウィルに向けていた視線を外し、今度はオリヴァーを睨みつけた。しかしキリルに怒りをぶつけられることに慣れきっているオリヴァーは眉一つ動かさず、復元を意味する『アン・ルコンストゥリュクシィオン』の呪文を唱え出す。すると花園の中に消えて行ったテーブルは傷一つない形で彼らの前に戻り、折れ曲がった花々も再び美しい姿を取り戻した。だがキリルの怒りは治まらず、彼は目前に戻って来たテーブルに激しく拳を打ち付ける。

「あの女、このオレに恥かかせやがって」

「アオイに何かされたのか?」

「公衆の面前でシカトしやがった!」

 オリヴァーの質問に激昂しながら答えたキリルの言葉は、あの時の状況を正確に表してはいない。一応葵は『急いでいる』と断ったわけなのだが、それは彼にとっては無視も同然なのである。だが現場を見ている者がキリルしかいないため、マジスターの間では葵の態度が「感じが悪いもの」と決め付けられてしまった。

「ふうん、よっぽどキルのこと嫌いなんだね」

 さらにはウィルが、キリルを煽るような科白をポロリと零す。またオリヴァーも、ウィルの意見に同意を示した。

「まあ、あれだけ何度も殴られてりゃなぁ。普通の女の子だったら逃げ出すだろ」

「殴った? オレが?」

 キリルがキョトンした顔をして問い返したので、オリヴァーとウィルは顔を見合わせた。堂々と聞き返すキリルの態度はまったく身に覚えがないと言っているようなものである。

「もしかして、まったく覚えてないのか?」

「覚えてないも何も、殴ってねーよ」

「いや、殴ったよ。ステラの時のことくらい覚えてないの?」

 ウィルが記憶の糸を辿るヒントを与えても、キリルは思い出すような素振りさえせずに彼の意見を否定した。

「だから、殴ってねーって。あんなどーでもいい女のこと殴る理由もねぇよ」

 キリルがあくまでも『殴っていない』と主張するのでウィルとオリヴァーは同時にため息をついた。

「キル……そこまでどうでもいい存在ならアオイのことは放っておいてやれよ」

 ウィルよりも多く葵が殴られた現場を目撃しているオリヴァーが同情的な提案をしてみてもキリルは頷こうとしない。どうやら一度芽生えてしまった興味はなかなか熱を失わないようだ。キリルの意固地とも思える反応を見ていたウィルがふと、クスッと小さな笑いを零した。

「そんなにハルとステラの気持ちが知りたいの? キルってカワイイね」

「かわいいとか言ってんじゃねーよ。コロスぞ」

「はいはい。でもさ、キル。それならアオイに好かれるように頑張らないと」

「嫌だ、何であんな女のためにオレが頑張るんだよ」

 キリルが子供のようにワガママを重ねるため、話はなかなか先に進まない。だがキリルの扱い方を熟知しているウィルが言葉巧みに説得を続けたため、キリルも渋々ながらウィルの提案に頷いて見せた。キリルが納得したところで、ウィルはさらなる提案を重ねる。

「でも、そこまで嫌われてるなら何か劇的な変化が必要だね」

「例えば?」

「アオイが困ってる時に救いの手を差し伸べてあげるとか」

「そんなことくらいで心象って変わるものか? 第一、そんな都合よく困らないだろ」

「僕達の都合に合わせて、アオイに困ってもらえばいい」

 ウィルがニヤリと笑んだので、彼の提案に疑問を投げかけていたオリヴァーもそこで口をつぐんだ。何事かを企んでいるらしいウィルは楽しそうな表情をキリルに向け、微笑んだまま言葉を重ねる。

「明日、アオイのクラスは実習をやるらしいよ。その時に、アオイには困ってもらおう」

 ウィルの意図を把握出来ていないキリルは同意も否定もせず、無言のまま眉根を寄せている。それはオリヴァーも同じことであり、二人の困惑顔を見たウィルは得意げな口調で計画の詳細を明かしたのだった。






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