Practise

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 橙黄とうこうの月の八日。丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した葵は朝の日課を済ませるため、校舎一階の北辺にある保健室を訪れた。そこでアルヴァの不在を確認した後、葵はため息をつきながら踵を返す。この後、いつもなら校舎二階にある教室へと向かうところなのだが、葵の足は通過してきたばかりのエントランスホールへと向いていた。その理由は本日、二年A一組がグラウンドで実習を行うからである。

 葵が外へ出ると、広大なグラウンドにはすでに白いローブを纏った生徒が集っていた。いつもの高等学校の制服ではなく、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを着用して登校した葵は、目立たないよう努めながら集団の中に紛れ込む。グラウンドに集まっている二年A一組の生徒達は思い思いに歓談しているため、葵が潜り込んだことには気付かなかったようだった。

(同じ格好してるだけで気付かれないもんなんだなぁ)

 炎天の下に集っている生徒達は一様にフードをかぶっているので、気付かれなかったのはそのせいもあるのかもしれない。葵がそんなことを考えていると、誰かがさっそく声をかけてきた。やっぱりそううまくは隠れられないかと、嘆息した葵は嫌々ながら顔を傾ける。すると視線の先にいたのは、クラスメートのシルヴィアだった。

「おはようございます、ミヤジマさん。あら、本日はいつものお洋服ではないのね」

 不躾に葵を見回したシルヴィアは後に「お似合いになっていますわよ」と付け加えた。その一言がお世辞にも聞こえなかった葵は無言のまま顔をしかめる。

 葵がいつもは着用しないローブを身につけて登校したのは、昨日の夕食時に実習の話をした時、メイドのクレア=ブルームフィールドにそうした方がいいと勧められたからである。クレア曰く、トリニスタン魔法学園の制服には魔法から身を守るための呪文が刻まれているというのだ。自身が魔法を使えないために魔法への耐性がない葵は、そういうことならばと暑さを我慢してローブを着用したのだった。しかしさっそく槍玉に挙げられてしまったため、葵はローブで登校したことを少し後悔していた。

(うっとうしいなぁ、もう)

 自らが孤立したことによって葵への仲間意識を芽生えさせたシルヴィアは、近頃やたらと話しかけてくるようになった。そして大抵、シルヴィアが葵に話しかけてくると、クラスメート達が好奇の目を向けてくるのだ。それは今現在にも言えることで、先程まで思い思いに盛り上がっていた二年A一組の生徒達は一様に口を閉ざしてこちらに視線を傾けている。針の筵に晒されている状態から早く脱したいと思った葵はロバートの姿が見えないかと視線を泳がせたのだが、そこでまずい人物と目が合ってしまった。

「お二人とも、ずいぶんと楽しそうですわね」

 慌てて目を逸らしたものの時すでに遅く、吊り目の少女が葵達に声をかけてきた。彼女の名はココといい、ココと一緒にいるツインテールの少女は名をサリーという。ココは二年A一組の女子のボス的存在で、サリーは彼女の腰巾着だ。つい先日まではシルヴィアもサリーと同じ立場にいたのだが、マジスターの一人であるウィルとのデートを勝ち得た今は違う。優越感に浸っているシルヴィアは気まずさをまったく見せず、彼女は余裕たっぷりの笑みでもってココを迎えた。

「あら、ココさん。おはようございます」

「おはようございます、シルヴィアさん。お二人で何のお話をなさっていたの?」

「アオイさんが制服を着ていらっしゃるので、そのことについてお話ししていただけですわ」

「そういえば本日は珍しく、制服を着ていらっしゃるのね」

 シルヴィアの話に乗って葵に視線を傾けてきたココは、口元は笑みを形づくっているものの目が笑っていない。表面上は平穏を装っていてもココもシルヴィアも口調が刺々しく、ギスギスした空気に嫌気が差した葵は「勘弁してよ」と胸中で呟きを零した。

(巻き込まないで欲しい)

 そんな葵の願いも虚しく、ココとの話を中断させたシルヴィアが話を振ってきた。彼女がまたしてもピジョン・ブラッドのことに触れたため、その話題に食いついたココが問いを投げかける。するとシルヴィアはいとも簡単に、ピジョン・ブラッドがキリルからのプレゼントであったことを明かしてしまった。ココはマジスターの中でも特にキリルに傾倒しているため、鋭いまなざしが葵の方へ向く。ココに睨まれた葵は憤りを露わにしながらシルヴィアに視線を移した。

(絶対わざとだ)

 以前は仲が良かったため、シルヴィアもココがキリルを気に入っていることを知っている。だからこそ彼女は、ココに嫌がらせをするためにピジョン・ブラッドを話題に上らせたのだ。利用された形の葵は怒りを隠しきれなかったが、葵の視線を受け止めたシルヴィアは何事もなかったかのように微笑んでいる。もうたくさんだと思った葵が口火を切ろうとすると、それより先にココが口を開いた。

「そういえばわたくし達、まだミヤジマさんに魔法を見せていただいたことがないですわね」

 ココが不意に話題を変えたので、葵はシルヴィアへの怒りも忘れるほどギョッとした。何故ならその話題は、葵が一番触れて欲しくないと思っていることだからだ。そんな葵の胸中を察しているかのように、不敵な笑みを浮かべたココはこちらに注目しているクラスメート達を振り返る。

「皆さんも興味が有りますわよね? ミヤジマさんがどのような魔法を使われるのか」

 ココの呼びかけに、女子生徒は漏れなく全員が賛同を示した。男子生徒達は顔を見合わせているものの、興味は抱いている様子である。そうしてクラスメートを煽って逃げられないよう周囲を固めてしまってから、ココは改めて葵を振り返った。

「楽しみにしていますわ」

 勝ち誇った笑みを浮かべているココは、それだけを言い置くと葵から離れて行く。その後、間もなくロバートがグラウンドに姿を現したため、葵が呆然としているうちに実習は始まってしまったのだった。






 その日、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のグラウンドでは生徒が実際に大掛かりな魔法を使う実習が行われていた。実習は各クラスごとに行われるもので、今日グラウンドに集まっているのは二年A一組の生徒である。実習を行っていない生徒は通常どおり教室で授業を受けているのだが、この日、アステルダム分校の屋上には二年A一組が実習を行っている様子を傍観している者の姿があった。炎天の下、屋上で風に吹かれているのは私服の少年が二人。この学園のエリート集団、マジスターの一員である彼らはグラウンドに描かれた巨大な魔法陣の内部にいる白いローブの集団を見据えている。やがて不安定に揺らぐ火柱が立ち上ったのを機に、オリヴァーがグランドから目を上げた。

「なあ、本当にやるのか?」

 オリヴァーに話しかけられたウィルは口を開くことをせず、ただ横目で隣に佇んでいる彼を見た。しかしすぐに視線を外し、ウィルは再びグラウンドの魔法陣を注視する。いつになく真剣な表情で彼が何を見ているのか、理解しているオリヴァーはため息をつきつつその話題に言及した。

「あの魔法陣を崩すのは大変だろ?」

 実習を行う際には、そのクラスの担任教師が大掛かりな魔法陣を敷く決まりになっている。その目的は主に二つ。一つは、未熟な生徒が魔法を暴発させた場合に被害を最小限に留めるためである。そしてもう一つの目的は、外部からの干渉を避けることにある。大掛かりな魔法を使うには長い呪文の詠唱が必要となるため、術者が外部からの影響を受けないよう配慮が施されているのだ。

 内側にも外側にも魔的作用を及ぼす魔法陣の内部は、その魔法陣を敷いた教師の領域と言える状態になっている。真剣なまなざしで魔法陣の構造を調べているウィルはある計画のため、今からその魔法陣を崩そうとしているのである。だが二年A一組の教師が敷いた魔法陣は案外に頑丈な代物で、マジスターといえどもそう簡単には崩せそうもない。それに……と、オリヴァーは再びグラウンドの白い集団を見やった。

「アオイ、いないみたいだぜ」

 本日の計画は、二年A一組の実習にミヤジマ=アオイという生徒が参加していないと何も始まらない。葵はいつもトリニスタン魔法学園の制服である白いローブではなくワイシャツにチェックのスカートという目立つ出で立ちをしているのだが、グラウンドの集団の中にはそれらしき生徒の姿は見当たらなかった。仮に実習に参加しているのだとしても、周囲と同じ服装をしていては見つけるのが困難である。だがグラウンドの魔法陣から目を上げたウィルは、そのようなことにはお構いなしに淡々と口火を切った。

「アン・ムーヴマン、シェルシュ・1953。これで問題ないよ」

 呪文の詠唱が終わると同時にウィルがグランドを指したので、オリヴァーもそちらに顔を傾ける。するとグラウンドにいる一人の生徒から、目印となるような魔法の光が発せられていた。探察の光を目にしたオリヴァーは訝しげな表情でウィルに視線を移す。オリヴァーの視線を受け止めたウィルは意味ありげな表情で笑って見せた。

「魔法陣の綻びも見つけたし、あとはキルだけだね。オリヴァー、呼んで来てよ」

「……そんなことしなくても、来たみたいだぜ」

 視界の片隅で転移魔法に伴う光を捉えたオリヴァーはウィルの言い草に呆れながら顔を傾けた。ウィルももう察知していたようで、背後を振り返った二人はアクビをしながら歩み寄って来るキリルを迎える。

「あちぃ。ねみー」

「じゃあ、始めようか」

 顔を合わせるなり不平不満を並べ立てたキリルの言葉をきれいに無視したウィルは、そう宣言すると共に巨大な魔法陣が描かれているグラウンドへと視線を傾けた。






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