Practise

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 グラウンドでの実習は、ロバートが大掛かりな魔法陣を敷くことから始まった。すでにグラウンドは魔法陣に呑みこまれていて、魔法陣が放つほのかな光が足下から立ち上っている。魔法陣の中心部ではロバートに指名された生徒が大掛かりな魔法を披露していて、隅の方でひっそりと佇んでいる葵は見学もそこそこに忙しなくローブの胸元をはためかせていた。

(あっつ……)

 魔法陣の中心部では火柱が立ち上っていて、不安定な炎はうねりながら晴れ渡った夏空へ上っている。火柱が蛇行するたびに火の粉が舞ううえ外気は夏の盛りのものなので、距離をとっていてもかなり熱い。しかし同じ服装をしてはいても葵の他は、一様に涼しい表情で他人が魔法を使う様子を見学していた。

(何かの魔法を使ってるのかな)

 前に着膨れたせいでシルヴィアが倒れた時、生徒達は嘲りを込めながら冷却の魔法がどうのという話をしていた。そのことから察するに、一年中同じ格好をしている生徒達は各々で温度調節をしているのだ。そうでなければ葵のように、汗だくになっていなければおかしい。

(それにしても、あっついなぁ……)

 授業が始まる前に一悶着あっただけに、授業が始まってすぐの頃は余計な緊張を強いられていた。しかしあまりの熱さの前に、今はそれだけしか考えることが出来ない。ついには気分が悪くなってしまったので、葵はその場にしゃがみこんで額に手を当てた。刹那、滴るほどだった汗が一瞬にして引いていく。何事かと顔を上げた葵が見たものは、地中から突き出ている巨大な氷柱の群れだった。

(うわぁ、ぜったいカゼひく)

 つい先程まで息をすることさえ苦しいような熱風が吹き寄せてきていたのに、今は真冬の寒さに逆戻りである。氷柱はすぐに姿を消したものの、また真夏の暑さが戻って来たため、眩暈を覚えた葵は小さく頭を振りながら立ち上がった。

「では、次は……」

 そこで言葉を切ったロバートが、反射的な様子で葵の方を振り返った。ロバートの視線につられてなのか、授業に集中していた生徒達も一様に中心部から少し離れた場所にいる葵を振り返る。きっかけが分からないまま突如として針の筵に晒された葵は瞬きを繰り返した後、困惑して顔を歪めた。

「ミヤジマ=アオイ」

 それまで魔法陣の中心部にいたロバートが、声をかけながら歩み寄って来る。彼の端整な顔はわずかにしかめられていて、何か良くないことが起こったのだと示唆していた。しかしロバートが本題を口にする前に、横から誰かが口を挟んでくる。

「ロバート先生、次はアオイさんがよろしいのではございませんか?」

 横槍を入れてきた声には聞き覚えがあったので、葵はさらに渋い表情になりながらクラスメート達の方を見た。案の定、クラスを代表するように意見を述べているのはココである。ココが周囲にいるクラスメート達に同意を求めたため、二年A一組の生徒からは「葵の魔法が見たい」という声が次々と上がった。しかし葵と向き合っていたロバートは、至って冷静に教え子達を振り返る。

「今日、私が指名している生徒は成績優秀者だ。指されなかった者は技術・知識共に劣っているので、そのつもりでいるように」

 ロバートの一言には絶大な効力があり、それまでどこか間延びしていた生徒達は一斉に顔色を変えた。魔力や魔法が全ての基準であるトリニスタン魔法学園では落ち零れは容赦のない侮蔑に晒される。クラス内だけの格付けとはいえ、それは今後の立場を微妙に左右する代物なのだ。そのためロバートに進言したココを初め、まだ指名されていない生徒達は一様に緊張感を漲らせている。もう誰からも魔法を使えとは言われない雰囲気だったので、葵はホッとしてロバートを仰いだ。

(ありがとうございます)

 衆人環視の中では声に出すことは出来ないが、せめてもと思った葵は胸中でロバートにお礼を言った。葵的にはそれで全てが解決したように思われたのだが、葵に視線を戻したロバートは未だに難しい表情をしている。ロバートがまだ渋い表情をしていることを不思議に思った葵は首を傾げたのだが、その直後に異変は起きた。

 向かい合って佇んでいる葵とロバートの間に突如として発生したつむじ風は、その凄まじい勢いでもって二人を弾き飛ばした。何が起きたか分からないまま地面に倒れこんだ葵は、反射的に上体を起こした拍子に信じられない光景を目にして瞠目する。土を巻き込みながら渦を巻いている黒い風が、すぐ目の前にあったのだ。逃げ出す時間も恐怖を感じている余裕もなかった葵は本能的に体を丸めて縮こまる。何がどうなったのかは分からなかったが、凄まじい嵐はやがて通り過ぎて行った。

 体に感じていた凄まじい強風が過ぎ去ってから、葵は呆けたまま顔を上げた。その拍子に何か生暖かいものが頬に落ちてきたので反射的に手を当てた葵は指先に付着したものを見てギョッとする。我に返って再び顔を上げると、目の前には誰かの姿があった。

「……大丈夫か?」

 太陽の光を遮るようにして微笑んでいるのは、担任教師のロバートだった。彼の端整な顔は血にまみれていて、よくよく見れば体中が切り裂かれている。傷だらけのロバートが力なく倒れこんできたので、葵は悲鳴に近い声を上げながら彼の体を抱きとめた。

「先生! ロバート先生!!」

「ああ……大丈夫だ。汚れてしまうから、離れていなさい」

「そんなこと言ってる場合ですか! 早く、保健室に!」

 ロバートの気遣いを一蹴した葵は膝をついている彼を無理矢理促して立ち上がらせた。歩き出したロバートの足元は意外にしっかりとしていたが、葵はロバートの体を支えた状態のまま一緒に歩を進める。向かう先には何故かあ然としているキリル=エクランドがあったが、ロバートの怪我で頭がいっぱいの葵はその存在の異様さを気にすることもなく保健室へと向かった。






 屋上から事の成り行きを見守っていたオリヴァーとウィルは、葵と二年A一組の担任教師が校舎の影に姿を消した後もしばらく無言のままでいた。実習を行っていたグラウンドでは教師が姿を消してしまったため、そこに集っている生徒達は誰もが呆けたように立ち尽くしている。実習の途中で乱入して行ったキリルも、まだこちらへ戻って来てはいない。おそらくはあの狐につままれたような雰囲気に包まれている場所で、まだ呆然としているのだろう。

 ウィルが立てた今回の計画は、葵のピンチにキリルが駆けつけることで彼女の意識を変えようというものだった。そのピンチを作り出したのはウィルであり、彼は外部からの干渉が出来ないようになっている魔法陣の一部を壊してまで強行に及んだのだ。そうしてウィルがつむじ風を起こした後は、キリルが「助けに来た」という顔をしてタイミング良く葵の前に現れればいい。ただそれだけの話だったのだが、キリルが演じるはずだったヒーローの役どころは二年A一組の担任教師に持っていかれてしまった。

「……無駄な労力使ったな」

 キリルがタイミング良く魔法陣の中へ入れるよう手助けをしただけのオリヴァーは、自身とは比べ物にならないほど魔力を消費したウィルに呆れながら声をかけた。しかし無駄な魔力を使ったはずのウィルは平然とした様子で「そうでもないよ」と言ってのける。その直後に風が吹いて、天から降ってきた何かがウィルの手元にストンと収まった。円陣で囲まれた五芒星ペンタグラムが表紙に描かれている魔法書がウィルの手の中にあるのを見て、オリヴァーは眉根を寄せる。

「もしかして、最初からそっちが狙いだったのか?」

「どっちも成功させるつもりだったよ、僕はね。さて、と。キルが戻って来たらうるさいから移動しようか」

「…………」

「これの中身、興味ない?」

「……行くか」

 ウィルのやり方に呆れを募らせつつも謎の魔法書が持つ魅力には勝てず、オリヴァーもまた未だ呆けているであろうキリルを捨て置いてウィルと共に姿を消した。






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