Practise

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「いらっしゃいませ〜」

 保健室の扉を開くなり、この部屋の主である白いウサギの間延びした声が聞こえてきた。その口調の軽さと、ふざけているように聞こえる調子に苛立ちを募らせた葵はデスクの上に陣取っているウサギからすぐに視線を外す。しかしウサギの方は葵とロバートの姿を認めるなりデスクから飛び下り、そのまま高速で走り寄って来た。

「血がー! 血が!!」

 そんな叫び声を上げたかと思うと、ウサギは慌てふためいて右往左往しだす。足下でうろちょろと動き回られては移動も出来ないため、葵はなおのことイライラした。しかし葵が声を張り上げる前に、ロバートが静かに口火を切る。

「私のクラスの生徒がグラウンドにいる。彼らに、今日はもう帰宅していいということを伝えてきてもらえないだろうか」

 ロバートが丁寧に頼みごとをすると、それまで忙しなく動き回っていたウサギはピタリと動きを止めた。その後、ウサギは例によって何かと交信でもしているかのように何もない宙を仰ぐ。そして何かに頷いて見せた後、ロバートの頼みごとを了承したウサギは四足歩行で保健室を出て行ったのだった。

「ありがとう、もう大丈夫だ」

 葵にそう言い置くとロバートは自力で歩を進め、簡易なベッドの上に腰を落ち着けた。後ろ手に保健室の扉を閉ざした後、葵は救急箱がないかと室内を物色する。しかしそれらしき物は見当たらず、棚に包帯を発見した葵はとりあえずそれだけを手に取った。

「先生、包帯……」

 ロバートに声をかけながらベッドの方を振り返った葵は、そこで目にした光景にギョッとして言葉を途切れさせてしまった。ロバートが、いつの間にか上半身裸という姿になっていたからである。だがドキッとしたのも束の間、彼の体に刻まれている傷を見た葵は顔をしかめながらロバートの傍へ寄った。

「先生……」

「怪我はなかったか?」

「あ、はい。私は大丈夫です」

「そうか。それは良かった」

 葵に微笑みを向けると、包帯を受け取ったロバートは自身で傷の手当てを始めた。しかし腕にも傷を負っているため、片手では作業がしにくそうである。見兼ねた葵はロバートの腕を取り、そのまま包帯を巻くという作業を引き受けた。

(私のせい、だよね。やっぱり……)

 ロバートがこんな怪我をする羽目になったのは偏に葵が魔法を使えないことに原因がある。同じ状況下にあってもトリニスタン魔法学園に通う一般的な生徒なら、おそらく自分の身は自分で守ることが出来ただろう。しかし葵が魔法を使えないのは、仕方のないことである。そのため謝っていいものなのか判断がつかず、葵は重苦しい感情を抱えながら黙々と作業を続けた。

「ミヤジマ=アオイ」

「はい」

「私は謝られるよりも礼を言われる方が好きだ」

「……はい?」

 言葉の意味を捉えそこなった葵が訝しい思いで目を上げると、ロバートは穏やかに微笑んでいた。優しさを内包させたロバートの笑みに、知らずのうちに強張らせていた体から力が抜けていく。少し気が楽になった葵は遅ればせながらロバートが言っていることの意味に気がつき、小さく吹き出してしまった。

「助けてくれてありがとうございました」

「君を護ることが出来て私も嬉しいよ」

「先生、それじゃ口説き文句ですよ」

 葵が気軽に笑い飛ばしたのに対し、ロバートは少し寂しそうな笑みを浮かべた。予想外の反応が返ってきてしまったため、違和感を覚えた葵は徐々に笑いを治める。

(あ、あれ? 何、この雰囲気)

 いつの間にか、ロバートが教師ではなくなっている・・・・・・・・・・・。葵がそう感じたのは、彼のミッドナイトブルーの瞳が何らかの感情を示していたからだ。しかしそれが何か解らなかったため、葵は困惑してしまったのだった。

「ミヤジマ=アオイ」

「うっ、は、はい」

 急にロバートのことを異性として意識してしまったため、葵は及び腰になって呼びかけに応えた。すると葵が逃げるのを阻止するかのように、ロバートが腕を伸ばしてくる。男の手にがっちりと腕を掴まれた時、こういったことに免疫のない葵は悲鳴を上げそうになってしまった。

「このブレスレットは捨てた方がいい」

「へ……? ブレス、レット?」

 至って平静なロバートの態度に虚を衝かれた葵は、呆けたまま自分の手元に視線を移した。ロバートに掴まれている方の手には、確かにブレスレットが嵌められている。それは葵がこの世界に来てから手に入れたもので、ある時を境に常用品となっていた代物だった。

「私が処分しておこう」

 そう言い置くと、ロバートは空いている方の手を葵のブレスレットへと伸ばした。とっさに「ダメ」と叫んだ葵はロバートの手から自身の腕を奪い返す。ブレスレットを守るように胸の前で手を組んだ葵は、そこで自分のとった行動の意味に気がつき、瞠目してしまった。

(私……)

 まだ、忘れられていない。改めてそう気付かされた葵は、皮肉な思いを苦笑で誤魔化してロバートに視線を戻した。

「すみません。大切な、ものなんです」

「……そうか。だがそれは、君には好ましくない魔法道具マジックアイテムだ。もう捨てろとは言わないが、外して家に置いておいた方がいい」

「……はい」

 何がどう好ましくないのかは分からなかったが、葵の意識はロバートに質問を投げかけるという方へは向かわなかった。好ましくないものをプレゼントされた理由よりも自分の心の動きが衝撃的で、動揺を収めきれない。そんな葵の胸中を察したのかどうかは定かではないが、ロバートは伏目がちに立ち尽くす葵に早々の帰宅を勧めたのだった。






「アル」

 葵が立ち去って人気のなくなった保健室で、ロバートは空を仰ぎながら呼びかける声を発した。刹那、その呼びかけに応えるかのように、室内の空気がざわざわと蠢き始める。初めは感覚として捉えた変化はやがて具現となり、保健室全体が淡い光を放つ障壁に覆われていった。この障壁は魔力そのものによって形作られたもので、魔法陣よりもさらに強力な隠匿・隔絶の効力を有する。部屋全体がこの障壁に覆われたということは、この部屋が外部から完全に隔離されたことを意味していた。

「君は馬鹿だ」

 保健室全体を魔力の障壁で覆うという荒業をやってのけた術者は、ロバートにそんな言葉を投げかけながら姿を現した。さらさらの金髪にブルーの瞳といった容貌が目を引く彼の名は、アルヴァ=アロースミス。校内らしく白衣を着用しているアルヴァをミッドナイトブルーの瞳に映したロバートは、友人に向けるような気安い笑みを浮かべて彼を迎えた。

「その口ぶりからすると、見ていたようだな」

「見せるよう仕向けておいてよく言うよ。何故、退けなかった? あれくらいの魔法、君ならどうとでも出来たはずだ」

「傷を負った方が護ってもらったという思いが増すだろう? 予想以上に愛らしい反応をされたので、危うく手をつけそうになってしまった」

「呆れた策士だな」

 利口とは言えないねと付け足したアルヴァは白衣のポケットから何かを取り出し、それをロバートの方に放った。投げ渡された小瓶をしっかりと受け取ったロバートは、さっそくその液体を傷口へと塗り始める。手当てには手を貸さず、アルヴァはデスクの椅子に腰かけて不機嫌そうに脚を組んだ。

「その薬、試作品だからもうないよ。またこんなことがあっても助けないから、そのことは心得ていてくれ」

「傷を負うと痛いからな、もうやらないさ。それよりアル、ミヤジマ=アオイの着けているブレスレットは誰からのプレゼントだ?」

「知らないよ。興味もないからね」

「監督不行届きだな。彼女のことはレイチェルから一任されているのだろう?」

「……誰にもらったのかは知らないが、心当たりならある」

 ことごとくレイチェルの名前を持ち出してくるロバートに心底辟易しながら、アルヴァは渋々推測を口にした。

「大切なものだと言っていたから、おそらくはステラ=カーティスかハル=ヒューイットにもらったものだろう」

「我がアステルダム分校から本校へ移籍したマジスターか。ミヤジマ=アオイは彼女達と親しかったのか?」

「ステラ=カーティスとは友だちだったみたいだよ。ハル=ヒューイットは初恋の相手、ってところかな」

「そうか。それなりに恋愛経験はあるようだな。それで、ハル=ヒューイットとはどこまでの関係だったのだ?」

「そんなこと知らないよ。自分で聞き出せばいいだろう?」

 本格的に嫌気が差してきたアルヴァは話を切り上げて席を立った。自分で聞き出せばいいという言葉に納得したのか、ロバートもそれ以上は質問を重ねてこない。ただ、何事かを考えているらしい彼は顎に手を当てたまま、

「昔の男か……面白い」

 などという独白を零していた。






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