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 大きくとられた窓から差し込む朝日が室内のいたる所に置かれている観葉植物の葉を青々と照らしていた。その部屋では風の通りを意識して窓や扉は全て開け放たれているので、一見しただけでは室内というよりも植物園の様相を呈している。早朝のため真新しい酸素にあふれたその部屋に、転移の魔法によって一人の少年が姿を現した。その少年は漆黒の髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている。切れ長の目が冷たい印象を抱かせる彼の名は、キリル=エクランド。魔法陣ではなく魔法書を介しての転移を完了したキリルは手にしていた魔法書を別次元へと収納してから改めて空を仰いだ。

「ウィル」

 キリルが口にしたのは、この部屋の主の名前である。彼が見上げた先にはハンモックがあり、そこでは誰かが眠りに就いている気配がある。呼びかけても反応がなかったため舌打ちをしたキリルは螺旋階段のように渦を巻いている飛び石を昇り始めた。

 身軽に飛び石を渡ったキリルは天井付近に吊るされているハンモックを覗きこみ、もう一度舌打ちをした。ハンモックの中ではおそろしく女顔をした赤髪の少年が微かな寝息を立てており、キリルが寝顔を覗き込んでも起きる様子はない。彼は室内を吹き抜けていく風に身を任せながら眠っていて、その幸せそうな寝顔がムカツクと思ったキリルは体を揺さぶる代わりにハンモックを焼き切った。支柱を失ったハンモックはすぐに落下を始め、その衝撃で少年の体が宙に放り出される。しかし少年は寝起きにもかかわらず機敏な反応を見せ、風をその身に纏いながらキリルの前まで浮上してきた。

「ひどいよ、キル」

 寝ぼけ眼をこすりながら平然とそんな科白を言ってのけた少年の名はウィル=ヴィンス。彼らはトリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターであり、互いにある程度の悪行をされても瞬時に対応が出来る間柄だった。

「オレが呼んでんのに起きねぇからだ」

「まだ早朝じゃない。いったい何の用?」

「イラついて眠れねーんだよ」

「ふうん?」

 アクビをしながら気のない返事を寄越したウィルはゆっくりと降下していく。その後を追って、キリルも一番上の飛び石から身を投げ出した。キリルが床に足をつく頃にはウィルがテーブルを呼び寄せていて、椅子に腰かけた彼は茶器に紅茶を淹れろと命じている。勧められはしなかったが椅子が二脚用意されていたので、キリルはどっかりと空席に腰を落ち着けた。

「イライラしてるって、何で?」

「決まってんだろ、あの女だよ!」

「あの女って……アオイ?」

 頷くのも苛立たしかったため、キリルは無言を貫くことでウィルに肯定の意を示した。キリルは現在、ミヤジマ=アオイという少女の心を操ろうと試みている。だがこれが、なかなかうまくいかないのだった。

「誰かが立てた計画はことごとく失敗するしよ」

 先日、またしてもウィルに肩透かしを食らったキリルは恨めしげな視線を彼に投げかけた。しかし当のウィルは素知らぬ顔で、ゆっくりと紅茶を口に運んでいる。ティーカップをソーサーに戻してからも明らかに面倒臭そうに、ウィルはキリルを見ることもなく口を開いた。

「僕、もう飽きちゃったんだよね」

 ウィルがため息混じりに零したこの一言が、キリルの癇に障った。一気に怒りのボルテージを上昇させたキリルの体からは紅蓮の炎に似た魔力が迸り、周囲の緑に飛び火していく。

「てめぇ、ウィル。このオレをさんざんけしかけといてオレより先に飽きてんじゃねぇ」

「キルもそろそろ飽きたらどう? 意外につまらない女だったよ?」

「知ってるわ!」

 キリルの咆哮と共に炎が勢いを増し、ウィルの部屋は本格的に炎上を始めた。しかし熱風が渦を巻くように吹き荒んでいても、ウィルの態度に変わりはない。魔法で発生させた冷風で自身の周囲を護っているウィルは、悠然と脚を組んだままふうとため息をついた。

「分かったよ。その無遠慮な魔力をさっさと体に収めてくれたら、いいこと教えてあげる」

 ウィルが折れたので、怒りに任せて魔力を放出していたキリルは周囲で踊り狂っている炎を体に引き寄せた。炎が消えると共に吹き荒んでいた熱風も止み、開け放たれたままの窓からは朝の冷涼な風が吹き込んでくる。だが植物は全て燃え尽きてしまったため、室内の眺めは随分と殺風景なものに変わってしまっていた。しかし様変わりしてしまった風景を嘆くこともなく、この部屋の主であるウィルは『アン・レトゥル』と呪文を唱え、光を宿した人差し指で空中に図形を描き始める。完成したそれは転移の魔法陣だったのだが、見覚えのない形状にキリルは眉をひそめた。

「どこの魔法陣だ?」

「アオイの家。防御魔法ガードが厳しくて、調べるのに苦労したよ」

 ウィルの意図を理解したキリルは彼の言葉が終わる前に異次元から魔法書を呼び寄せた。ページをめくったキリルはそのまま、空中に浮いている魔法陣を魔法書の中に閉じ込める。一度は閉ざした魔法書から光が零れなくなってから、キリルは改めて魔法書を開いた。

「まだ家にいると思うけど、気をつけてね。あの家には……」

「じゃあな」

 次の行動が決まったため、キリルはひとの話をまったく聞かずに別れを切り出した。そのままの勢いで転移の呪文を唱えたキリルの姿は一瞬にして室内から失われる。室内に一人取り残されたウィルはしばらくキリルが去った後を眺めていたがやがてアクビを零し、無残な有り様になった室内を『アン・ルコンスゥトゥルリュクスィオン』の一言で復元してから再びハンモックで眠りに就いたのだった。






 夏月かげつ期中盤の月である橙黄とうこうの月の十九日、その日も夏の夜は穏やかに明けた。飾り窓から差し込む柔らかな斜光が大理石の床に影をつくっている室内にはキングサイズのベッドが中央に置かれていて、天蓋の内側ではこの部屋の主が未だ深い眠りに就いている。その部屋に、メイド服を身に纏った少女が軽いノックの音と共に姿を現した。

「お嬢様、朝です」

 いつものように主に声をかけながらカーテンを開けたクレアはその後、窓際に置かれているテーブルでアーリーモーニングティーの準備を始めた。しかしこのところ寝起きの悪い主はなかなか起き上がってこない。ついには紅茶がティーカップを満たしてしまったので、クレアはベッドに歩み寄ると勢いよく天から垂れ下がっている薄布を退けた。

「お嬢様、起きて下さい」

 クレアに体を揺さぶられた葵は朝日を嫌うように寝返りを打つと頭まで上掛けを引っ張り上げた。しかしクレアは容赦なく、夏掛けを引っぺがして葵を陽光に晒す。使用人であるクレアがここまでの荒業をやってのけるのは、そうして欲しいと葵に頼まれているからだった。

 上掛けを剥がされてからもしばらくベッドの中で呻いていた葵は、やがてぼさぼさの髪を掻き上げながら起き出してきた。それを見たクレアは一礼して朝の挨拶を述べた後、葵にティーカップを差し出す。まだ半分寝ぼけながらソーサーごとティーカップを受け取った葵は冴えない頭に強烈なハーブの香りを注ぎ込んだ。しかし喉の渇きは癒えても、頭と体の疲労は抜けない。

「……だるい……」

 アーリーモーニングティーの効果も薄く、一口含んだだけのティーカップをクレアに返した葵は重い頭を振りながらベッドを抜け出した。言葉通り怠そうにしている主人を見て、クレアは軽く眉をひそめながら言葉を紡ぐ。

「体調が優れないようでしたら学園はお休みなさいますか?」

「ううん、行く」

「では、食卓でお待ちしております」

 そう言い置くとクレアはアーリーモーニングティーに使用した茶器をワゴンに乗せ、葵の寝室を後にした。クレアの姿が消えてからもしばらくベッドの端でボーッとしていた葵はやがてのっそりと立ち上がり、顔を洗うために室内にある別室へと向かう。その後、重い体を引きずりながら身支度を整えた葵は鞄を持って寝室を後にした。

(だるいなぁ……)

 廊下の窓から差し込む光さえきつく感じるのは、単なる寝不足が原因である。それでも、いくら眠くても学園へは行かないといけないため、葵は一階の片隅にある食堂へと足を向けた。

「お嬢様、昨夜も遅くまで勉強なさっていたのですか?」

 食事中にクレアが話しかけてきたので、フォークを手にしながら半分寝ていた葵は我に返って目を開けた。

 二月が浮かぶ異世界に召喚されてからなりゆきで日々を過ごしてきた葵は、ある出来事をきっかけに魔法の勉強に打ち込むようになった。それは放課後の補習だけに留まらず、近頃は屋敷に戻ってからも常に魔法書を片手にしている。屋敷での先生はクレアであり、葵は毎日のように解らないところを彼女に教えてもらっていた。昨晩もクレアが終わりにしましょうと言うまで付き合ってもらい、その後は一人で勉強に励んでいたのだった。

「うん、まあ……」

「集中力を維持するためには適度な睡眠が不可欠です。夜はちゃんと眠って下さい」

 言葉を濁した葵が予想していた通りの科白を言ってのけたクレアは食後の紅茶をティーカップに注ぎ、葵の前に置いた。苦い気持ちでティーカップを手にした葵はマスカテルフレーバーを楽しみながら赤褐色の液体を一口含む。二、三口でカップをソーサーに戻した葵はクレアにこれ以上の苦言を呈されないうちに学園へ行こうと思い、席を立った。

「まだ予鈴が届けられておりませんが?」

 葵が早々と席を立ったのでクレアが次なる行動を問いかけてきた。葵の通うトリニスタン魔法学園では校内で鐘を鳴らすとそれが生徒の元へ届けられる仕組みになっており、それを目安に生徒達は学園へ登校するのである。まだ時間にはなっていなかったが教室で勉強しようと思った葵はクレアの転移魔法に送られてトリニスタン魔法学園に登校した。






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