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 泣きながら教室を飛び出した後、葵はそのままの勢いで裏門から丘を下り、気がつけば徒歩で家路を辿っていた。夏の日差しが容赦なく照りつける中を走ってきたために汗だくで、思いきり泣いたせいで頭も痛い。目は腫れぼったく気分も最悪だったが、それでも葵は黙々と足を動かしていた。

(あ、鞄……教室に忘れてきちゃった)

 鞄だけでなく魔法書やノートまで、壊れた携帯電話以外のものは全て置き去りにしてきてしまった。それなのに、他の全てを失念してまで持ち帰ってきた携帯電話は役に立たないガラクタと化している。もうこれで生まれ育った世界と連絡をとることも、加藤大輝の顔をみることすら出来ないのだ。世界を隔てていても連絡がとれるのだと判明した後だけに、悔やんでも悔やみきれなかった。

 渇いたはずの涙がまた零れそうになってしまい、葵は慌てて顔を拭った。しかし泣かないよう努めていても絶望感が胸に広がっていく。ついこの間、この携帯電話のおかげで懐かしい友人の声を聞くことが出来た。携帯電話に保存されている加藤大輝の顔を見るだけで、頑張ろうという気にもなれたのだ。それらを失ってしまった傷は、簡単には癒えそうもない。

(直せないかな……)

 ひとしきり泣いた後に浮かんできた考えを実現する方法はないかと、葵は必死で頭を働かせた。幸い、壊れた破片は手元にある。自分で直すことは不可能だとしても、誰か機械に強い人の力を借りることが出来れば直るかもしれない。そこまで考えたところで葵は再び絶望した。

(この世界のどこに機械があるっていうのよ)

 魔法というものが存在している世界では機械などなくとも物が自動的に仕事をしてくれるのだ。そのためこの世界に存在する『物』は非常に古めかしいものが多く、葵の想像する『機械』とは似ても似つかなかった。

 どうしようもない絶望感と闘いながら帰路を辿っていた葵は妙案を生み出せないまま屋敷へ帰り着いてしまった。嘆息しながら玄関口へ向かおうとした葵はふと、異変に気がついて伏せていた目を上げる。すると見慣れたはずの屋敷は出掛けに見た姿とはまったく違う様相を呈していた。

(な、なにこれ……)

 前庭にある噴水は枯れ、美しく咲き誇っていたはずの花は灰になり、屋敷も一部が破壊されている。大惨事だと思った葵は居ても立ってもいられなくなり、慌てて屋敷へと向かった。すると玄関先でクレアの姿を見つけたので、葵は勢いを緩めることなく彼女の傍へ寄る。

「お嬢様」

 驚いたように目を瞠りながら振り向いたクレアは、葵の姿を見るなりさらなる驚きを露わにした。また葵も、クレアの姿を見て目を丸くする。

「お嬢様、そのお姿はどうされたのです?」

「クレア、一体どうしたの?」

 相手を気遣う発言がかぶってしまい、葵とクレアは同時に口をつぐんだ。一呼吸置いて同じ科白を繰り返そうとしたところまで考えが同じだったようで、またしても相手の言葉を聞き取れなかった二人は黙りこくる。三度目はアイコンタクトをして、結局はクレアが先に口火を切った。

「そのお姿はどうされたのですか?」

 クレアに言われて自分の体を改めて見下ろした葵は、あちこちに痣があることに気がついて愕然とした。どうも教室で机の下敷きになった時、しこたま体をぶつけたらしい。

「大丈夫、痛くないから。それより、クレアこそどうしたの?」

 自身にふりかかった災難を説明するよりも、葵はクレアの身を案じた。何故ならクレアは真新しい包帯を巻いていたり、髪や衣服が焼け焦げていたりと、葵よりも凄まじい様相を呈していたからだ。

「実は、お嬢様がお出掛けになられてから一悶着ありまして」

 苦い表情をしながらも口調は平然と、クレアはそんな風に屋敷が破壊された経緯を明かした。揉め事があったのは見れば分かることであり、その先を聞きたかった葵は急いて言葉を重ねる。

「これ、誰がやったの?」

「名前は、存じません。ですがおそらく、あの少年は爵位を持つ貴族でしょう」

 少年と聞き、葵はにわかに嫌な予感を募らせた。とある人物が頭に浮かんだので彼の容姿を説明すると、クレアは黒髪に同色の瞳というところで頷いて見せた。

「エクランド公爵のご子息でしたか。お嬢様と同じ学園に通われる方でしたら、そう仰っていただいたらよろしかったのに」

 短く嘆息したクレアは葵をトリニスタン魔法学園へ送り出した後、転移魔法を使ってやって来た見知らぬ来訪者を迎えたのだと語った。漆黒の髪に同色の瞳といった珍しい容貌をした少年は名乗りもせず、ミヤジマ=アオイという者の所在を尋ねてきたのである。失礼極まりない来訪者に対し、クレアは再三にわたって名乗るよう勧告した。だが少年はクレアの諫言を聞き入れず、あまつさえ力づくで言うことを聞かせようとしたのだ。少年を敵と認めたクレアも応戦し、その結果がこの有り様なのだった。

「申し訳ございません。お屋敷を破壊したうえ、お嬢様の居場所を明かしてしまいました」

「そんなのいいよ。それより、大丈夫?」

「傷のことでしたら問題ありません。わたくしより、お嬢様の傷を手当ていたしましょう」

 傷だらけのクレアが玄関に向かって歩き出しので、葵も手当てなどいらないとは言えずに彼女の後を追った。クレアは頭にも包帯を巻いているので、後ろ姿からでも痛々しさが伝わってくる。彼女に傷を負わせたのがキリルだと知って、葵は改めて腹を立てた。

(何なのよ、あいつ)

 もともと葵は、傍若無人ですぐに手を上げるキリルを好きではなかった。それは嫌いというよりも苦手に近い感情だったのだが今は、憎悪のような強い感情が湧き上がってくる。大切な携帯電話を壊されたからという理由だけでなく、それ以上に他人の気持ちを理解しようとすらしない横暴ぶりが嫌なのだ。自分と、自分の認めた仲間さえ良ければあとはどうでもいいというものではないだろう。

(サイっテー)

 クレアに手当てをしてもらっている間も憤っていた葵は、彼女が表の片付けに戻ろうとしたところでハッとして呼び止めた。

「ねぇ、これって直せないかな?」

 携帯電話の残骸を一つ残らずポケットから取り出した葵は、それをテーブルの上に並べてクレアの反応を窺った。大小様々の破片と化した携帯電話を見るなり、クレアは眉をひそめる。

「見たところ復元の魔法はかけられていないようですが、元はどのような物だったのですか?」

「ほら、前にベッドシーツを交換した時に拾ってくれた、アレ」

 葵がヒントを与えるとクレアは記憶の糸を辿るように空を仰いだ。どうやら元の形が頭に浮かんだらしく、クレアはさほど間を置かずに頷いて見せる。

魔法道具マジックアイテムでしたら職人に頼めば何とかなるでしょう。明日、パンテノン市街へ行って参ります」

「職人……?」

「こちらはお預かりしておきますね」

「あ、待って!」

 クレアが携帯電話の残骸を手に取ろうとしたので、葵は慌てて彼女の行動を制した。訝しそうな表情をしたクレアに、葵は拝むように手を合わせる。

「ちょっと心当たりがあるの。こっちは自分で何とかするから、パンテノン市街まで送ってくれない?」

「かしこまりました」

 葵に了承を告げたものの、クレアはすぐ行動に出ようとはしなかった。彼女は傍にいる葵にも聞き取れないほどの小声で何かを呟き、肩口にいるマトの口の下へと手を運ぶ。クレアの動作に応えるように細長い口をがばっと開けたマトは、彼女の手の上に何かを吐き出した。

「これをお持ち下さい。お役に立つはずです」

 クレアが差し出してきたのは小さなカプセル状の物だった。しかし、それがマトの口から出てきたものということもあって、葵は手を伸ばすのを躊躇してしまう。すると痺れを切らせたクレアが半ば強引にカプセルを握らせてきたが予想に反し、カプセルは汚れていなかった。

「では、参りましょう」

「あ、うん」

 クレアが先立って歩き出したので、渡されたカプセルをワイシャツの胸ポケットにしまった葵は不思議に思いながら彼女の後を追いかけた。






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