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 トリニスタン魔法学園アステルダム分校では敷地の一部分がマジスター専用の領域とされていて、彼らの空間には花園や塔など、幾つかの建造物が点在していた。中でも、マジスターが好んで集う場所といえば内部が美しい庭園になっているドーム状の建物である。『大空の庭シエル・ガーデン』と呼ばれているその場所で、マジスター達は花を愛でながら紅茶を飲むのが日課なのだ。そのためシエル・ガーデンは上流階級の者が使用するに相応しい雅な雰囲気を醸し出しているのだが、今はその場所に場違いな抜け殻が一体、膝を抱えて座していた。

「おーっす」

 気安い挨拶を口にしながら花園に姿を現したのは、長い茶髪を一括りにしている私服の少年。スポーツマンタイプのがっちりとした体格をしている彼の名はオリヴァー=バベッジという。言わずと知れた、アステルダム分校のマジスターの一員だ。オリヴァーはその場所に先客の姿を認めたから声をかけたのだが、それに対する反応はどこからも返ってこなかった。

「何かあったのか?」

 空いている席に腰を落ち着けながら、オリヴァーはマジスターの仲間であるウィル=ヴィンスに話しかけた。片手で頬杖をついているウィルはテーブルの上に広げている魔法書から目を上げることなく、ある方向を指差す。ウィルの指先を辿って円卓の斜め前に視線をやったオリヴァーはビクリとして上体を引いた。

「き、キル?」

 オリヴァーの視線の先では、魔力も生気も体から抜けきってしまったようなキリル=エクランドが椅子の上で膝を抱いていた。平素であれば燃え盛る炎を宿しているかのような瞳が死んだ魚のように濁っており、ぽかんと口を開けたままの彼はどこかを見つめているが明らかに何も目に入っていない。こんな放心状態の彼を見るのは初めてのことで、オリヴァーは声の調子を落としながらウィルに顔を寄せた。

「どうしたんだよ、一体」

「さあ? 僕が来た時からその調子なんだよね」

「何か、心当たりはないのか?」

「まあ、ないこともないけど」

 それまで魔法書に目を落としたまま話をしていたウィルは、そこでぱたんと本を閉ざした。魔法書を異次元へとしまいこんでから、ウィルは改めてオリヴァーを振り返る。

「実は今朝早く、キルが僕の部屋に来たんだよ。安眠妨害するからエサをやれば大人しくなるだろうと思って、アオイの家を教えてあげたんだ」

「アオイの、家? へぇ、よく分かったな」

 トリニスタン魔法学園においてマジスターの称号は特別待遇を受ける者の証である。彼らには学園内における全ての情報を知る権利があり、その気にさえなければ一生徒の住所を調べ上げることなど朝飯前なのだ。だがミヤジマ=アオイという一人の女子生徒に限り、その常識は通用しなかった。彼女については住所はおろか、試験の成績や素行についてなどの個人記録が一切存在しないのだ。自身でも調べようとした経験があるだけに、オリヴァーはウィルの発言に驚きを示したのだった。しかしウィルはそのことには触れず、さっさと話の続きを口にする。

「その後に何があったのかは知らないけど、十中八九、キルがこんなになったのはアオイ絡みだろうね」

 ウィルがチラリとキリルを見たので、オリヴァーも抜け殻のようになっている彼の方へ視線を傾けた。仲間はずれにされることを何よりも嫌うキリルは平素であれば必ず会話に参加してくるのだが、今はその気配がまったくない。膝を抱えて、相変わらずどこを見ているのか分からない瞳で一点を見据えているだけである。まるで廃人のようになってしまったキリルから視線を外し、オリヴァーはさらに声の調子を落としながらウィルに顔を寄せた。

「アオイが何したらキルがここまで我を失うんだ?」

 しつこくつきまとっていながらも実際には葵のことを何とも思っていないキリルが、彼女の些細な言動で我を失うほどのショックを受けるとは思えない。ならばよほどのことがあったのだろうが、オリヴァーにはその理由がさっぱり分からなかった。しかしウィルには半ば答えが見えているらしく、彼は片腕で頬杖をついたままキリルを指差す。

「キルの左頬、よく見てみなよ」

 ウィルから意味不明な助言を与えられたオリヴァーは、とりあえずキリルに視線を戻した。するとウィルが指摘した場所が明らかに周囲よりも赤くなっている。それはまるで殴られたような痕であり、オリヴァーはまさかと思いながらウィルを振り返った。

「殴られたんじゃない? アオイに」

 まさかと思ったことをウィルがあっさりと言葉にしたのでオリヴァーは苦笑いを浮かべる。

「いくらアオイがキルのこと嫌いでも、さすがにそれはないだろ」

「本人に聞いてみればハッキリするよ」

 そう言って、ウィルはゆっくりと腰を上げた。円卓に沿ってキリルの元へと向かうウィルの姿に嫌な予感を覚えたオリヴァーは自らも立ち上がり、少しテーブルから距離をとる。オリヴァーの予感は見事に的中し、ウィルが傷のある左頬に人差し指を突きつけた瞬間、キリルはカッと目を見開いた。

 それまで死んだ魚の目をしていたキリルが開眼した刹那、彼から発せられた怒りがシエル・ガーデンを炎に染めた。ウィルは炎の魔手がその身を焦がす前に上空へと逃げ出し、テーブルから距離を置いていたオリヴァーは水の薄膜でつくった球体で自身の周囲を保護する。美しく咲き乱れていた花々は灰となり、円卓は炎の柱と化していたが、ウィルとオリヴァーは傷一つ負わずに荒れ狂う炎の只中にいた。

「オリヴァー、出番だよ」

 自在に空中を泳いで水球の中へ入ってきたウィルがそんなことを言ってのけたのでオリヴァーは大きなため息を吐いた。

「復元はお前がやれよ? 俺は鎮火するところまでだからな」

「いいから、早く」

「ったく、俺はお前らの専属執事バトラーじゃないんだぜ」

 日頃から尻拭いばかりさせられているオリヴァーはぐちぐちと不満を零しつつも異次元から魔法書を召喚した。手にした魔法書の背を片手で支え、オリヴァーは素早くページをめくる。高速でページをめくる手が静止した時、彼は呪文を唱え始めた。

「我が血肉に刻まれし古の盟約よ。契約を交わせし英霊を我が前に召喚し、我が意に従わせよ。英霊フィオレンティーナ=アヴォガドロ、オリヴァー=バベッジの名において汝に命ずる。まずは消火だ!」

 呪文を終えたところで即座に命令を下し、オリヴァーはシエル・ガーデンの天頂を指差した。するとオリヴァーの指先から放たれた光が薄膜で出来た水の球体を貫いていき、ドームの天頂付近に上がったと同時に四散する。初め放射状に放たれた光は瞬く間にその形状を変え、局地的な激しい雨がシエル・ガーデン内に降り注いだ。

「雨が降るなんて迎夏げいかの儀式以来だね」

「黙ってろ!」

 何もしていないウィルが悠長なことを言ってのけたので、オリヴァーは彼を一喝した後すぐに魔法へと意識を戻した。英霊の召喚は精霊よりも扱いが難しく、通常の魔法より何倍もの集中力を要するため、本来であれば会話をしている余裕などないほどの代物なのだ。

 大雨が降り注いだおかげでシエル・ガーデンを焼き尽くした炎は鎮火されたが、無残な様相を呈している元花園の中には未だ消えぬ熱がある。紅蓮の炎をその身から迸らせている人影がゆっくりとこちらへ近付いて来ていたのでオリヴァーは熱源となっている黒髪の少年を真っ直ぐに見据え、次なる魔法を発動させた。

氷縛ひょうばく!」

 オリヴァーの言霊に従い、シエル・ガーデンに激しく降り注いでいた雨が液体から固体へと変化を遂げる。一点集中で降り注いだツララは砕けると同時に寄り集まって巨大な氷柱となり、あっという間に熱源を呑み込んだ。炎を撒き散らしていたキリルが氷柱の中で動きを止めたため、オリヴァーはそこでやっと息をつく。その頃には大気中の水分までもが氷結してしまったため、シエル・ガーデンは氷の園と化していた。

「あ〜、疲れた」

 周囲を保護していた水球を消した後、オリヴァーは魔法書を閉ざしてそれを異次元へとしまいこんだ。魔法書を閉ざしたことが魔法終了の合図となり、シエル・ガーデン内から英霊が姿を消す。それは目に見える変化ではなかったが英霊の放つ気配は実在する人間に匹敵するため、消え去ったこともはっきりと分かるのだ。

「お見事」

 ウィルが気楽な拍手を送ってきたので一息ついていたオリヴァーはけっきょく何もしなかった彼を横目で睨みつけた。

「氷が溶けたらちゃんと復元しとけよな」

「分かってるよ。いつ溶けるの?」

「それはキル次第……」

 オリヴァーの言葉が終わらぬうちに、静かなシエル・ガーデンに何かが砕けるような音が響き渡った。とっさに顔を傾けたオリヴァーとウィルはキリルを捕縛していた氷柱が消え去っているのを目にし、彼の元へと歩み寄る。そこにいたのは抜け殻ではなく、いつものキリル=エクランドだった。

「何だこれ。何がどうしてこうなった」

 周囲を見回しながら眉根を寄せているキリルには自分がシエル・ガーデンを焼き払ったという記憶はないようである。だが暴走後の彼はいつもこんなものであり、オリヴァーとウィルは特に気にすることもなく本題を口にした。






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