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 クレアに転移魔法で送ってもらってパンテノン市街にやって来た葵は街の中心部にある魔法陣に出現するとすぐ、フィフスストリートを目指した。多くの人で賑わうアベニューを横切り、迷路のようになっている脇道を抜けていくと、そのうちに物が人の手を介さず自在に動き回っている光景が目に飛び込んでくる。魔法が息衝く職人街で葵は脇目も振らずに進み、やがて一軒の工房の前で歩みを止めた。

「こんにちは〜」

 通いなれた場所の扉を少しだけ開き、そこから顔を覗かせた葵は店内に向かって挨拶を口にした。その扉の奥は工芸品を扱う店舗になっており、店内には少女の姿がある。彼女が葵の顔を見るなり軽く手を振ってきたので、葵も扉を開ききって店内に進入した。

「あ、アオイ? 一体どうしたの?」

 驚きを露わにしながら葵を指差している少女の名はリズ。彼女はこの工房の主であるザックという少年の妹である。リズが何に驚いているのか分からなかった葵は改めて自分の出で立ちを確認し、ああ……と苦笑いを浮かべた。

「ちょっと、ハデに転んじゃって」

 葵はワイシャツにチェックのミニスカートという格好をしているため、露出されている手足に手当ての跡が目立つのだ。腕にも足にも真新しい包帯を巻いている葵をぶしつけに見回し、リズは眉をひそめながら言葉を次いだ。

「ずいぶんハデに転んだのね。大丈夫?」

「うん、痛くはないから。それより、ザックは?」

「お兄ちゃんなら作業場。最近こもりっぱなしなのよね」

「仕事中かぁ……行ったらジャマになるかな?」

「へーきだよ。行こ?」

 席を立ったリズがさっさと歩き出したので、葵も彼女の後に続いて奥へと向かった。作業場には確かにザックの姿があったが、まだ作業前の段階のようで溶鉱炉に火が入れられていない。魔法を使っていなかったので、彼はすぐ葵と妹の存在に気がついた。

「いらっしゃい」

 ザックに笑みで迎えられた葵は穏やかな気持ちになり、自然と口元を緩ませながら彼に応えた。しかしすぐに笑みを消し、真顔に戻った葵は作業場の隅に置いてあるテーブルにザックとリズを招き寄せる。そこで携帯電話の残骸を広げた葵は藁にも縋りたい気持ちでザックを仰いだ。

「これ、直せないかな?」

「これは何?」

 残骸を見たザックから返ってきたのは、至極当然の疑問だった。だが何と問われてもどう答えていいのか分からず、葵は難しい顔をして空を仰ぐ。

(携帯電話って言っても通じないし……どう説明したらいいんだろう)

 そもそもこの世界には電話というものが存在しない。存在しないものを説明するのは至難の業で、葵は長いあいだ考えこんだ末『近くにいない相手と話が出来るもの』ということだけを伝えた。それだけの説明でザックとリズが理解を示してくれるか不安だったのだが、彼らは意外にもあっさりと頷く。

「アン・ルコンスゥトゥルリュクスィオン」

 不意に、リズが携帯電話の残骸に指を突きつけながら呪文を唱えた。しかし残骸は何の反応も示さず、沈黙を守っている。それを見て、リズは兄を振り返った。

「これ、復元魔法がかかってないみたい」

「復元の魔法がかけられているなら、わざわざアオイが持ってくることもないだろ」

「あ、そっか」

「アオイ、これの元の形はどんなの?」

 ザックに目を向けられた葵はテーブルの上にあった紙とペンを手にし、魔法を使わずに絵を描き出す。しかし美術の授業でもなければ絵を描くことなどしない葵が生み出したものは、平面的な長方形でしかなかった。

(何でヘタクソなんだろう)

 自分の絵のヘタクソ加減に、葵は絶望したくなった。見かねたザックが代わりにペンを取ってくれたものの、葵がうまく説明出来ないせいで元の形を描き出せない。葵とザックが四苦八苦している様子をしばらく眺めていたリズが、やがて腰に手を当てて大きくため息をついた。

「元の形がわかんないんじゃどうしようもないよ」

「アオイ以外に、これの元の形を見たことある人っていないの?」

 ザックに問われ、葵の頭にはすぐ二人の人物の顔が浮かんできた。携帯電話を破壊した張本人はすぐさま頭から消し去り、葵はメイド服姿の少女だけを脳裏に浮かべる。そこで、あることを思い出した葵はワイシャツの胸ポケットを探った。

「あ、それ! もしかして形状記憶カプセル!?」

 葵が手にしている消しゴム大のカプセルを指差し、リズが驚いたような声を上げた。リズの声につられてスケッチから顔を上げたザックも、妹と同じものを見て目を丸くする。一人だけ話が呑みこめないでいる葵はカプセルを指で挟んだまま小首を傾げた。

「なに、それ?」

「説明する前に、試してみよう」

 ザックに「貸して」と言われたので、葵は彼にカプセルを手渡した。掌でカプセルを受け止めたザックは空いている方の人差し指をカプセルに突きつけ、短い呪文を唱え出す。「アン・フォルマスィオン」の呪文スペルに反応したカプセルは光を発しながらその形状を変えていき、やがてまったく別の形へと変化した。

「元の形って、これ?」

 ザックの手にはカプセルに代わって二つ折りタイプの携帯電話が乗っており、葵は驚きに目を見開いた。

「そう、これ!!」

「じゃあやっぱり、形状記憶カプセルだったんだね」

 驚喜する葵とは対照的に、すでに驚きをおさめているリズが平静な声音でザックに話しかけた。妹に頷いてみせたザックは携帯電話をテーブルの上に置き、葵に向き直ってから改めて口火を切る。

「形状記憶カプセルっていうのは物の形を記憶しておくものなんだ。魔法に反応するんだけど魔法道具マジックアイテムじゃなくて、魔法ともまた違うものなんだよ」

 生まれ育った世界でファンタジー小説なども愛読していた葵には魔法やマジックアイテムという単語自体はすんなりと受け入れられるものの、いかんせん、ザックの説明を理解するには絶対的に知識が足りなかった。葵が難しい表情をしながら首をひねっていると、見かねたようにリズが横から口を出す。

魔法道具マジックアイテムは人間が作り出すものだけど、形状記憶カプセルみたいなレア・アイテムは人間の手じゃ作れないものなのよ。そう考えれば解りやすいんじゃない?」

 レア・アイテムの全てがそうだというわけではないのだが形状記憶カプセルに限って言えば、それは魔法生物の体内で生成される。これは魔法生物の特性である変態メタモルフォーゼに起因する能力だと言われているが、大陸では魔法生物自体が珍しい存在であるため、まだはっきりしたことは分かっていないらしい。しかしリズからそういった話を聞いた葵は魔法生物であるマトが実際にカプセルを吐き出した現場を見ているため、納得して頷いた。

(そっか、だからクレアが持ってけって言ったんだ)

 葵の画力は未知数だったとしても、壊れた物の復元を試みるのならば実物に近い模型があった方が話が早い。そのことに思い至った葵はクレアの機転に密かな感謝を寄せた。

「で、直りそう?」

 葵が核心を口にすると、珍しい形状記憶カプセルに意識を注いでいたザックとリズは面を上げ、そのまま顔を見合わせた。どう見ても色好い反応とは思えず、葵は不安を募らせながら眉根を寄せる。

「やっぱり、ダメ?」

「専門じゃないから、僕には解らない。ジャンクストリートの知り合いに聞いてみるよ」

「私も行く!」

 なんとしてでも携帯電話を直したかった葵は少しでも可能性があるのならと、必死で声を上げた。初めは驚いていたザックもテーブルの上にある残骸が葵にとって大切なものだと分かるとすぐに頷いて見せる。

「じゃあ、行こうか。リズ、店番よろしく」

「行ってらっしゃ〜い」

 ひらひらと手を振るリズに送り出され、葵とザックはジャンクストリートに向かうべく工房を後にした。






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