裏切り

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 保健室の扉が荒々しく開かれた後、トリニスタン魔法学園では珍しい私服姿の少女が廊下へと駆け出して行った。扉は彼女の手によって閉ざされることもなく、今もまだ開かれたままである。しばらく沈黙して考えをまとめていたアルヴァはやがてため息をつき、扉を閉ざす「アン・フルメ」という呪文を口にした。扉が固く閉ざされると同時に、保健室の内容が若干の変化を見せる。それまで夏の日差しを取り込んでいた窓が消えた室内はもう『保健室』ではなく、アルヴァが私的に使用している部屋へと姿を変えていた。

「最悪だ」

「その科白を言いたいのは私の方なのだが」

 小さく頭を振って独白を零したアルヴァに対し、胸元をはだけさせたままのロバートは反論をすると簡易ベッドに腰を落ち着けた。アルヴァが苦い表情で振り返ると、彼の視線を受け止めたロバートは淡々と言葉を次ぐ。

「説明してもらおうか、アル?」

 ロバートの表情にはもう先程までの怒りは覗いていなかったが、魔法の照明が届かない暗がりにいる彼はまだ若干不機嫌そうにしている。ミッドナイトブルーの瞳が他の対象へと動く気配もなかったので、アルヴァも嘆息しながら壁際のデスクに腰を落ち着けた。

「説明も何も、僕が訊きたいくらいだよ。部屋ここにいたはずの僕が、どうして保健室にいなければならなかったのか」

「何らかの魔法が発動した気配があったが、アルがそれを使ったわけではないのだな?」

「そんなことをして僕にどんなメリットがあるのか。是非聞かせていただきたいものだね」

「ふむ……」

 どうやら『転移魔法を使ったのは自分ではない』という部分は信じてもらえたようで、ロバートは完全に怒りを治めた。顎に手を当てたロバートが何事かを考えている様子だったので、アルヴァはアルヴァで別のことに考えを及ばせながら煙草に火をつける。

(さすがに勘付いた、だろうな)

 予想だにしない事態に陥ってしまったため、アルヴァは葵がその場にいるのを失念してロバートと普通に会話をしてしまった。本当の目的は悟られずとも、ロバートと共に何らかの計画を企てていたことは葵にも知れてしまっただろう。その証拠に彼女は、怒り狂いながら保健室を飛び出して行ったのだ。このままにしておけば、いずれこの失態がレイチェルの耳に入るかもしれない。それだけは何としてでも避けたいと思ったアルヴァは考えを巡らせていたのだが、あいにく事態を打破する妙案は浮かんでこなかった。

「アル、それは召喚されたということではないのか?」

 黙考していたロバートが不意に口を開いたので、アルヴァも考えを中断させて彼の方を見た。

「召喚というと……僕が、か?」

「自発的に転移したのでなければ、そういうことになるだろう」

 ロバートはいとも簡単に言ってのけたが、人間が召喚されるなどということは通常、有り得ない。その理由は、そもそも個人を指定して自分(術者)の元に招き寄せるなどという魔法が存在していないからだ。

「人間に対する召喚魔法は理論としても未完成だ。その可能性はゼロに等しいよ」

「では何故、件の不幸な少女マルシャンスフィーユのような『召喚獣』と呼ばれる存在が、この世界で我らと混在しているのだ?」

「それは……失われた魔法により召喚されたからだろう」

 ミヤジマの場合は別だがと付け加え、アルヴァは歯切れが悪いまま口をつぐんだ。

 召喚獣とは、この世界の生まれではない者の総称である。一番初めに異世界から召喚されたものが獣に近しい姿をしていたのでそういった呼び名がついたという話だが、召喚魔法というもの自体が失われて久しい現代では、その通説が正しいのかどうかすら定かではない。とにもかくにも、現代では対象物が生物の召喚魔法は失われているのだ。よってアルヴァが保健室へ召喚されたというロバートの考え方は突拍子がなさすぎる。しかしロバートは、そんなアルヴァの反論に微笑みを返してきた。

「誰がそれをやったのかは敢えて問わないが、召喚魔法が失われた現代にミヤジマ=アオイという少女はやって来た。これは、通説では不可能と思われていたことが実は不可能ではないかもしれないということだ。そう考えれば私たちが知らないところで太古の魔法が息衝いていたとしても不思議ではないだろう? 実に興味深い」

 魔法が使えないということになってはいるが、ミヤジマ=アオイには未知数の可能性がある。楽しそうにそう語ったロバートはその後、ふっと表情を曇らせた。

「口惜しいな。もう少し時間があれば彼女を私のものに出来たかもしれない。せめて純潔だけはと思っていたのだが、もう諦めることにする」

 潔く身を引く宣言をしたロバートには本当に時間がないのだろう。そのことを察したアルヴァはホッとしつつも、結局は本来の目的が達せられなかったことにいくばくかの失望を感じた。

(まあ、それは仕方がない)

 不可抗力ではあるものの自分があの場に現れさえしなければ、ロバートの望みもアルヴァの望みも叶えられていたはずなのである。今後にチャンスがないこともないだろうと、アルヴァはひとまずその話を忘れることにした。

「それにしても、良かったのか? ミヤジマがフロンティエールからの留学生だなんて出まかせを公言してしまって」

 魔法とは、二月が浮かぶこの世界に生を受けた者に受け継がれる潜在的な血の力である。それは東の大陸も西の大陸も同じことであり、この世界に生きている者は誰でも魔法を使うことが出来る。しかし世界には一部だけ、その例から漏れる場所が存在しているのだ。それが西の大陸にあるフロンティエールという国なのである。この国は他国との交流が少ないことでも有名で、そんな国からの隠密の留学生ともなれば王家の関係者である可能性が高い。そのためロバートが話をでっちあげた時、アステルダム校の生徒達は驚いていたのだった。

「人間の心理というものは隠されれば隠されるほど秘密を暴きたくなるものだ。そして不確実で理解の及ばないものは大抵、虐げの対象とされてきた。例えそれが嘘であっても、生徒達には明確な『答え』が必要だったのだよ。アステルダムの生徒ごときではフロンティエールの内情に触れられる者もいない。これほど安全な処遇もないだろう?」

「隠されるほど知りたくなる、か。なるほどね」

 アルヴァは今まで、葵には素性を隠すよう命じてきた。しかしそれが逆効果になってしまい、生徒達は葵の素性に興味を引かれてしまったのだ。初めから偽りの身分を葵に与えていれば、少なくとも今回のような大事にはならなかったかもしれない。ロバートの意見を聞いて、アルヴァは自分の認識が甘かったのだと納得してしまった。

「さすがは分校の理事長を務めるお方ですね。勉強になります」

「君が私から何かを学ぶとは珍しい。ではその報酬として、一つ私の質問に答えてはくれないか?」

「質問?」

「いつまでこんな日の当たらない所にいるつもりだ、アル?」

 ロバートの発言は窓のない部屋のことを指しているのではなく、含みを持たせたものだった。彼が何を言いたいのか瞬時に理解したアルヴァは口を閉ざし、そのまま問いには応えずに黙り込む。そんなアルヴァの反応は予想の範囲内だったらしく、ロバートは朗らかに笑うと立ち上がった。

「道はいつでも、君の前に開けている。レイチェルがあの事故を乗り越えて今の成功を手にしているようにな」

 自分の言いたいことだけを一方的に告げると、手早く身支度を終えたロバートは転移の呪文を口にした。ロバートの体は淡い光に包まれ、瞬きをする間に室内から掻き消える。魔法の照明が浮かぶ薄暗い室内に一人取り残されたアルヴァはロバートが消えてしばらくの後、深く息を吐き出した。

「格が違うんだよ」

 間を置いてからのアルヴァの反応は誰に聞き咎められることもなく、静寂の中に消えていった。






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