綻び

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 夏月かげつ期最後の月である伽羅茶きゃらちゃの月の二十一日。その日も夏の夜は穏やかに明け、東の空に昇っている太陽が丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎を照らしていた。アステルダム分校の敷地内では正門から校舎へと向かう白い流れが出来ている。その正体はトリニスタン魔法学園の制服である白いローブをまとった生徒達で、彼らが一様に校舎を目指しているため、そうした風景が出来上がっているのだった。

 白い流れの中に、周囲と同じ服装をしているにもかかわらず、やけに浮いている少女達の姿がある。一人は世界でも珍しい黒髪に同色の瞳といった容貌が目を引く少女で、もう一人の少女は普遍的な容貌をしているものの肩口に見慣れない生物を乗せていることで人目を引いていた。人混みの中にあっても自然と注目されてしまっているのだが、少女達の方にはあまり周囲を気にしている様子はない。それはすでに彼女達が周囲の視線を集めることに慣れてしまっているのと、尽きない話が盛り上がっているからだった。

「へ〜、坩堝るつぼ島って雨も雪も降らないんだ?」

 旅行を計画するような浮かれた気分で、まだ見ぬ土地に思いを馳せるように空を仰いだ黒髪の少女の名は宮島葵という。葵の隣を歩いている赤茶色の髪をした少女は名をクレア=ブルームフィールドといい、話題に上っている坩堝島は彼女の出身地だ。

「せや。暑いところやからもともと雪は降らんのやけど、どうしても雨が必要な時は儀式をするんや」

「あ、もしかして雨乞いの儀式?」

「よう知っとるなぁ。ババが雲を呼ぶと雨が降る。雨が降るとマトが喜ぶんや」

 マトというのはクレアのパートナーである魔法生物の名である。ワニに似た外見をしている彼が水を好むのは当然のことのような気がして、葵はクレアに頷いて見せた。

「マトは水が好きなんだよね? レインがそう言ってた」

「レインには感謝せなあかんな」

 レインは葵やクレアと同じく、ワケアリ荘というアパートに住んでいる少女の名である。だが何故、クレアが彼女に感謝をするのか。話の流れを汲むことが出来なかった葵は首を傾げながらクレアに問いかけた。するとクレアは、ワケアリ荘の雨はレインが降らしているのだと言う。自然現象だとばかり思っていた葵はクレアの明かした事実に目を瞠った。

「そうだったんだ?」

「なんや、その驚いた顔」

 一瞬だけ気味の悪いものを見るような目つきで葵を見たクレアはすぐに表情を改め、やっぱりお嬢は分からんなぁと独白を零した。いつもならここで会話が終わってしまうところなのだが、クレアは言葉を重ねる。

「ええか、お嬢。よく考えてみぃ。卵には殻が付き物やろ?」

「え? うん。そう、だね?」

「その殻は卵の内側を護っとる。つまり、内側と外側は完全に別物になるってことや」

「そっか。例えば今ここで雨が降ってたとしても、殻があるから卵の中には届かないってことだね?」

 説明を理解した葵は我ながら解りやすい例えを持ち出せたと自画自賛していたのだが、クレアはさらに奇妙そうな顔つきになる。

「何言うとるんや。ここで雨が降るわけないやろ?」

「そうなの?」

「お嬢……もしかして、雨の精霊の伝説を知らんのかいな?」

 葵が頷くとクレアは大袈裟なまでに深く長いため息を吐いた。

「マト、後は任せたで」

 自身で説明を続けるのが面倒になったらしく、クレアは肩口にいたマトを抱き上げると彼の体を葵の肩の上へと移動させた。見た目よりは軽かったもののずっしりとした重みが肩に加わったので、葵は少しよろけながらマトの体を支える。肌が触れ合うと、マトの意思が直接頭に流れ込んできた。雨の精霊に対する情報をもらった葵は納得したような少し物悲しいような思いでクレアを振り向く。

「そっか、だから雨が降らないんだね」

 葵がこの世界へやって来てから見た雨は、儀式による副産物のような土砂降りとワケアリ荘に降る雨だけである。言われてみれば確かに雨に出会う確率が低すぎるが、それも自然に雨が降らないのだとすれば納得がいく。しかしそれは大分以前からこの世界の常識であるようで、クレアはまた深いため息をついた。

「気にしたら負けやな」

「うん、気にしない方がいいと思うよ」

「おたくが言うなや!」

 怒ったように顔を赤くしたクレアは葵の肩からマトを奪い取ると、彼を指定席である自分の肩口へと落ち着かせた。憎まれ口を叩いてはいてもそれ以上の追及をしてこようとはしないクレアに優しさに、葵はほんのりと口元をほころばせる。しかし微笑んだのをクレアに見咎められてしまい、睨まれてしまった。

「なに笑っとんのや」

「何でもない。それより、今日はあの人の所へ行かなくていいの?」

 エントランスホールに辿り着いたので、葵は怒られるのを避けるためにも話題を変えた。葵の言う『あの人』とはハーヴェイ=エクランドという青年のことで、クレアは彼が学園にいる時はハーヴェイのメイドとして振る舞っているのだ。しかし今日はまだハーヴェイが来ていないらしく、クレアは葵と共に教室へと向かった。

「そういえば、お嬢を連れて来るようハーヴェイ様に言われとったんやった」

 クレアがふと思い出したといった風に持ち出してきた話に、不穏な気配を感じた葵はピクリと頬を動かした。

「何で?」

「さあなぁ? クラス対抗戦の後、急にそう仰られたんや」

 クラス対抗戦の後にハーヴェイが行動を起こしたと聞き、ますます不安を募らせた葵は顔をしかめる。ふと視線を傾けてきたクレアがそれを見て、弱ったように苦笑いを浮かべた。

「そないに警戒せんでもええやろ」

「私、あの人苦手」

「まあお嬢は、ハーヴェイ様に引っぱたかれてるからなぁ」

 苦手に思うのは無理もないかもしれないとクレアは付け加えたが、それは葵の心情から少しズレた意見だった。引っぱたかれたのは、実は葵にとっては大した問題ではない。それよりも実の弟を実験道具にするようなハーヴェイの非情さと、弟を所有物扱いすることで人格を認めないかのような彼の傲慢さが気に入らないのだ。葵がそうした胸中を包み隠さず明かすと、クレアは意外だと言いたげな顔つきになった。

「お嬢はてっきり、弟の方も嫌いやと思うとった」

 ハーヴェイの弟はキリル=エクランドという名で、この学園のエリート集団マジスターの一員である。過去に散々な目に遭わされた経験があるだけに、葵はキリルにも好印象は持っていない。それは周知の事実であり、だからこそクレアには葵がキリルを擁護するような発言をしたことが意外だったのだろう。だが葵はキリルの肩を持つためにハーヴェイを非難したわけでもなかったので、すんなりとクレアの発言を肯定した。

「好きじゃないよ? 傲慢だし、卑怯だし、意気地なしだし」

「えらい言われようやな。せやったら何で、弟のことでお嬢がハーヴェイ様を嫌うんや?」

「だってオリヴァーが、それでもキリルのこと友達だって言うんだもん」

 葵が話題に上らせたオリヴァー=バベッジという少年はキリルと同じくマジスターの一員で、彼の友人である。だがオリヴァーはキリルの兄であるハーヴェイに逆らったことにより、強制的にキリルとの縁を切られてしまった。葵はそうした不条理に憤りを感じていて、それがそのままハーヴェイやキリルを非難する気持ちにも繋がっているのだ。

「お嬢ってオリヴァー様と仲良かったん?」

「仲がいいって言うか……なんていうか」

 自分でも曖昧なことを言っていると分かってはいたが、葵にはオリヴァーとの関係をうまく説明することが出来なかった。友人と言ってしまうにはまだ油断のならないところもあるが、オリヴァーとは何かしら通じ合うものがある。特に友達を大切にする姿勢には共感と尊敬の念を抱いているだけに、簡単に彼を切り捨てたハーヴェイと、それに従っているキリルが許せないのかもしれない。葵が独白のように胸の内を言葉にすると、クレアはふと真顔に戻って口を開いた。

「お嬢の気持ちも分からんでもないけどなぁ。それはちと、キリル様が可哀想やと思う」

 今度はクレアがキリルを擁護したため、それこそ意外に感じた葵は目を瞬かせた。

「クレアってあいつのこと嫌いじゃなかったっけ?」

「うちの感情的なことは置いといて、ハーヴェイ様はすごいお人や。ましてやキリル様は魔法にかけられているんやで? そないな状態でハーヴェイ様に逆らえ言うんは酷や」

 ハーヴェイがかけた魔法の凄まじさは葵も知っているだろうと、クレアは真顔のまま言う。彼女の言う通り、何度もキリルが感情のままに行動出来ない場面を目にしてきている葵には口をつぐむより他なかった。それでも気合いで兄に逆らえと言うのは、やはり酷な話なのだろうか。






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