綻び

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「キリル様やハーヴェイ様のなさることを批判しようだなんて、いいご身分ですわね」

 教室で会話を続けていると不意に敵意を孕んだ声が上がったので、話を中断させた葵は窓際の席から教室の方を振り返った。するといつの間にか教室中の視線がこちらに集っていて、冷めた目が葵とクレアを注視している。その中でも一際馬鹿にするような表情でこちらを見ている少女がいて、彼女に目を留めた葵は顔をしかめた。

 吊り目がきつい印象を抱かせる少女は名をココといい、彼女はクレアが編入してくる前まではクラスのリーダー的な存在だった。だが彼女は公衆の面前でクレアに恥をかかされて以来、その地位を追われているのである。つい先日まではそのはずだったのだが今はまた、ココの周囲に人が集まっていた。

「貴族のわたくし達でさえ憚られますのに、公爵家の、それもエクランド様のなさることに意見しようだなんて、大した度胸だと思いませんこと?」

 ココが嫌みったらしく周囲に同意を促すと、他の生徒達からは口々に「何様だ」というような声が上がった。どうやらクラス対抗戦でクレアが敗北して以来、二年A一組の勢力図は再び書き換えられてしまったようである。失望がそれを助長させているのか、クラスメート達の非難は葵よりもむしろクレアに対して集中していた。

「誰かさんが無様に負けてくださったせいでわたくし達は最後列になってしまいましたわ」

「あれだけみっともない負け方をされた後で、よくもまあぬけぬけと顔を出せるものですわね」

「もともと低俗な庶民の出ですもの。初めからあの方には失うものなど何もないのですわ」

 クレアを罵られたことにカッとなった葵は、気がつけば拳を握っていた。しかし次なる行動は、クレアに腕を引かれたことによって制される。彼女はこういったことを黙って言わせておく性質タチではなく、葵は『止められた』ことに驚きを隠せなかった。だがクレアの方は冷静なもので、目が合うと涼しい表情のまま首を振って見せる。無抵抗と見るや罵詈雑言がさらにエスカレートしたので、耐えられなくなった葵はクレアの腕を引いて教室を飛び出した。

「何で言い返さないの? 前みたいに、ココを黙らせてやればいいじゃん」

「言わせといたらええねん」

「だって、マトをあんな目に遭わせたのもココ達なんだよ!?」

「分かっとる。せやから、マトを同じ目に遭わせたくないんよ」

 闘わないのはマトを危険に晒さないため。クレアの考えがあまりに清廉なものだったため、毒気を抜かれた葵はポカンと口を開けた。間抜け面になった葵を見て、クレアはニヤリと笑う。

「せやけどなぁ、好き勝手言ってられんのも今のうちだけや。泣き寝入りなんてうちの性に合わんさかい」

「あ、はは……」

 転んでも、ただでは起きない。不屈の精神がとてもクレアらしく、葵は笑うより他に術がなかった。どうやら彼女には自分の助けなど必要がなさそうだ。葵がそんなことを考えていると、不敵に笑っていたクレアはフッと表情を緩めた。

「代わりに怒ってくれて、ありがとうな」

 クレアの微笑みが友人に向けるものだと感じられた時、葵は嬉しい気持ちと同量の照れくささを抱いた。友達がいるということは無敵だ。幸福な発見をした葵が照れ笑いをしていると、クレアが不意に真顔に戻る。彼女の視線が廊下の窓の方へと向かったため、何事かと思った葵もクレアの見つめている先へ視線を傾けた。

「ハーヴェイ様がいらっしゃったようや」

 クレアが言うにはハーヴェイの魔力はすさまじく、彼が学園内にいるのであれば、どこにいてもその気配を感じることが出来るらしい。しかし魔力を感じる能力のない葵には、そのような変化はさっぱり分からない。それでも何かを感じようと葵が感覚を研ぎ澄ませていると、クレアが顔を傾けてきた。

「うちはハーヴェイ様の所へ行くわ。お嬢は、どないする?」

「……私も行くよ」

 呼び出しを無視して、無理矢理に召喚させられたら堪らない。以前、マジスターにそういったことをされた経験のある葵は腹を決めて、クレアと共にハーヴェイがいるという大空の庭シエル・ガーデンに向かった。






 最悪な気分なのに心が弾む。実兄のハーヴェイに連れられて半ば強制的にトリニスタン魔法学園に登校したキリル=エクランドは、いつものように大空の庭シエル・ガーデンで紅茶を飲んでいるときに、そんな複雑な気分を味わった。その原因は、ハーヴェイの私用人を気取っているクレアが連れて来た一人の少女にある。エクランドの血に連なる者と同じく、世界でも珍しい黒髪に黒い瞳といった容貌をしている彼女の名はミヤジマ=アオイ。キリルは彼女が大嫌いなのだが、それと同時に強く惹かれてもいる。キリルにとってミヤジマ=アオイという少女は、そんな複雑極まりない存在なのだ。

「この前はすまなかった」

 クレアが淹れた紅茶をゆっくりと口に運んでから、ティーカップをソーサに戻したハーヴェイが葵に向けて口火を切った。ハーヴェイの隣に腰を落ち着けている葵は胡散臭そうな表情で彼を振り向く。

「あの、用件は何ですか?」

 葵の物言いは明らかにこの召喚を迷惑がっていて、早く立ち去りたいという思いが目に見えている。公爵家の人間に対するには実に失礼な態度だが、ハーヴェイは気にした様子もなく言葉を重ねた。

「アルヴァ=アロースミスという男を知っているな?」

 ハーヴェイがその名を口にすると、ティーカップを持ち上げようとしていた葵はピタリと動きを止めた。そして彼女は答えを口にするでもなく、何故か背後にいるクレアを振り返る。クレアは無言のままだったが、葵の視線を追ったハーヴェイも彼女を振り向いた。

「クレアも彼を知っているのか?」

「はい」

「どういった知り合いだ?」

 ハーヴェイが葵を呼び出したのは、どうやらアルヴァ=アロースミスなる人物について問い質すためのようだ。クレアが葵を通じて彼と知り合ったのだと告げると、ハーヴェイの視線は再び葵へと向かう。追及から逃れるように葵がハーヴェイから目を逸らした時、キリルと彼女の視線が絡み合った。刹那、葵は嫌そうに顔をしかめながら他の場所へと視線を転じる。彼女の露骨すぎる反応に、キリルはムッとした。


『何でオリヴァーに会いに行かないの? お兄さんにそうしろって言われたから?』


 葵からあけすけにぶつけられた嫌味が、はらわたを煮えくり返らせる。ハーヴェイがこの場にいなければ今、あの嫌味の返礼をしていたことだろう。だが堪えようとすればするほど頭には葵の言葉がこびりついて、怒りに体を戦慄かせたキリルはきつく拳を握った。

(うるせぇ! オレだってなぁ!!)

 悔しいのは第三者である葵ではない。オリヴァーのことは当事者であるキリルが一番歯痒くて、一番やるせないのだ。

 オリヴァーは、友達だ。そう兄に言いたいのだが、腹の底からわきあがってくる別人のもののような感情がそれを言わせてくれない。兄に対して自分の意思を貫くことが出来ないのが魔法のせいならば、勝手にそれを施した兄を恨みたい気にもなる。だがその気概さえも、ハーヴェイに逆らうなという自分の中から生まれ来る考えが押し潰してしまうのだ。

(くそっ!)

 テーブルを叩き割ってメチャクチャに暴れたい衝動を何とか抑え込み、キリルはせめてもの抵抗として葵を睨み見た。しかし葵はハーヴェイとの話を続けていて、キリルから向けられる視線に気付いた様子はない。すると怒りとは別に、その横顔をこちらに向かせたいという衝動がこみ上げてきて、気がついた時には体が行動を起こしていた。

 ガンッ、という物を殴る音が静かなシエル・ガーデンに響き渡った。次の瞬間、その場の視線が一様にテーブルへと拳を振り下ろしたキリルに向けられる。望みどおりにこちらを向かせられたのは良かったのだが、葵の驚いた顔を見た刹那、またしても彼女の怒声が頭を貫いた。


『そんなにお兄さんが怖いわけ!? このチキン!!』


「うるせぇえええ!!」

 感情が臨界に達してしまい、怒声を放出したキリルはそのままの勢いで葵の胸倉を掴み上げた。暴走した弟を制するようにハーヴェイが口を開きかけたが、それよりも早くキリルが言葉を次ぐ。

「てめぇ、そこで待ってろ!! 逃げたら焼きコロスからな!!」

 捨て台詞を吐きながら葵を突き離すと、キリルは転移の呪文を唱え出す。彼の姿が瞬時にして消えてしまうと静けさを取り戻したシエル・ガーデンには、キリルの突然の暴走にあ然とした者達だけが残されたのだった。






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