綻び

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 夜空に伽羅茶きゃらちゃ色の二月が浮かぶ夜、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎はくすんだ月明かりに照らされて静かに色彩を変えていた。夜の静謐に包まれている校舎には人っ子一人いない姿が平常である。だがアステルダム分校に内包されている保健室に酷似した部屋にはこの夜も、一人の青年の姿があった。鮮やかな金髪にブルーの瞳が印象的な彼の名は、アルヴァ=アロースミス。アステルダム分校の校医をしている彼は校内らしく白衣を身につけていたが、その下の服装は非常にだらしのないものだった。彼がそうしてリラックスしているのは窓のないこの場所が、自宅に等しいプライベートな空間だからである。

「それで、綻びは見つけられたのか?」

 長い脚を組んで椅子に腰かけているアルヴァは、デスクに片肘を突きながら壁に向かって話しかけていた。彼が対している壁際にはレリエという魔法道具マジック・アイテムが置かれていて、その道具は空間の一部分にとある人物の顔を映し出している。金髪に紫色の瞳といった容貌をしている少年の名は、ユアン=S=フロックハート。年齢は十以上離れているが、彼らは悪友の関係であり、ユアンは臆することなくアルヴァの問いかけに答えた。

『うん。ちょっと、気になる感じの傷つき方だったんだよね』

 ユアンとアルヴァが話題に上らせているのは魔法の卵マジック・エッグというもののことである。魔法の卵と言うと通常は魔法道具マジック・アイテムを指すのだが、彼らの会話に出て来る『卵』はそれとはかなり趣が異なっていた。マジック・アイテムである卵が殻の内部に魔法や道具を閉じ込めるのに対し、ユアンの持つ『卵』は殻の内側に『世界』を閉じ込めているのだ。模造世界イミテーション・ワールドは実在する場所を世界から無理矢理切り離して創るため、様々な問題が起こり易い。以前にアルヴァが一つの問題提起をしたため、ユアンはその原因を調べてアルヴァに連絡をしてきたのだった。

「気になる、というと?」

『傷自体は卵の中に無理に入ろうとして失敗したものだったんだけど、それを何回も繰り返してる人がいるみたいなんだ』

狩猟人ハンター、ということか……」

 ユアンの言わんとしていることを汲んだアルヴァは、眉をひそめながら空を仰いだ。ハンターとはその名の通り狩りをすることを本職とする者で、世界には様々な狩猟人が存在している。植物採取人プラントハンター鉱物採掘人ストーンハンターが有名どころだが、中には人材確保ヘッドハンティングや珍獣だけを狙う者などもいる。時には精霊や英霊なども彼らの餌食になることを思えば、ワケアリ荘などは絶好の猟場だと言えるだろう。

『アオイは大丈夫だと思うんだけど、他の人がね』

 異世界からの来訪者である召喚獣も人気はあるのだが、一目でそれと分からない葵よりも狙われるとしたら雨の精霊だ。ユアンがそう言いたいことを察したアルヴァはある疑問を抱き、レリエの前で首を傾げた。

「雨の精霊は還りたがっているんだろう? だったらハンターなんかに捕まる前に還ってしまえばいいじゃないか」

 粒子となって世界に溶けてしまえば、ハンターも手の出しようがない。それが一番安全であることに間違いはないのだが、ユアンは少し悲しそうに微笑んだだけだった。

『もう少し時間のある時に卵の殻コースを厚くするつもり。たぶん何もないとは思うけど、アオイのこと見ててあげてね』

 じゃあ、と言って手を振るとユアンは通信を終わらせた。反応を失ったレリエをデスクの引き出しにしまったアルヴァは少し迷った末、目についた煙草を取り出す。だが口にくわえた煙草に火をつけようとしたところで『保健室』のウサギから交信を求められたため、アルヴァは空を仰いだ。

「来客、か」

 こんな夜分に保健室を訪れるのは葵か、ウィル=ヴィンスという少年だけである。葵ならば直接この部屋へ来ることが多いため、十中八九ウィルだろうと思ったアルヴァは煙草を元の場所に戻してから席を立った。

 保健室の方へ移動してみると、来客は予想通りの人物だった。校舎側の廊下から扉を開けて進入してきたアルヴァに、ウィルは胡散臭そうな表情を向けてくる。いくら人気のない場所とはいえ彼とこのまま話をするわけにはいかなかったので、アルヴァは保健室全体を自身の魔力で覆ってしまってから簡易ベッドに腰を落ち着けた。

「何、これ?」

 眉根を寄せながら辺りを見回しているウィルは、分校のエリート集団マジスターの一員である。さすがにマジスターともなれば魔法の気配には敏感で、彼は保健室が遮蔽しゃへいされたことに気付いたようだ。ウィルはおそらくアルヴァが呪文もなしに魔法を使ったことを訝っているのだろうが、タネを明かしてやる義理もない。そのためアルヴァは、彼の疑問をサラリと流してやった。

「何の用?」

「忠告しに来てあげたのに、ずいぶんな態度だね」

「忠告?」

「ハーヴェイさんのこと。昼間、アオイが頼みに来たでしょ?」

「ああ……」

 彼のことかと、話が見えてきたアルヴァは嘆息した。

「来たよ。終夏しゅうかの儀式に参列しろとか言っていたから断った」

 秘色ひそくの月に行われた迎夏げいかの儀式のように、終夏の儀式は夏月かげつ期最後の日に各地にあるトリニスタン魔法学園の分校で一斉に執り行われる盛大な儀式だ。実際に儀式を行うのはマジスターなのだが伝統のある行事なので、これには全校生徒と教師も参加を義務付けられている。だがアステルダムの校医として参加するのは保健室のウサギであり、アルヴァには初めから儀式に参加する気などさらさらなかった。

「それで、ハーヴェイさんが諦めると思う?」

「それは……ないかもしれないね。僕がこの学園にいることを、彼はすでに知ってしまっているから」

「それが解ってるなら、読みが甘いと思うけど?」

 ウィルが勝ち誇ったように皮肉な笑みを浮かべるので、彼の意図を掴み損ねたアルヴァは眉根を寄せた。アルヴァが顔をしかめるとウィルはますます楽しそうな表情になって解説を始める。

「あなたを呼び出すのにわざわざアオイを使ったってことは、彼女とあなたが深い仲だって知られてるからだよ。そんな利用しやすい人を、ハーヴェイさんが放っておくと思う?」

「深い仲? ミヤジマがそう言ったのか?」

「あなたのことを問い質された時、彼女は何も言わなかったよ」

 どうせ僕のように誓約で縛っているんでしょうと、ウィルは嫌味ったらしく付け加える。ウィルとは違って彼女とは口約束しか結んでいないため、アルヴァは葵の堅実さに密かに感心した。

(ミヤジマにもやっと自覚が出来たようだ)

 アルヴァと葵は一蓮托生、運命共同体である。だが彼女がそれを理解するまでには、ずいぶんと時間を必要としたものだ。それでもこちらの言うことに反発ばかりしていた当初を振り返ればずいぶんな進歩で、アルヴァは今度、葵を褒めてやろうと思った。しかしウィルは、葵のその頑なさこそがハーヴェイに確信を抱かせてしまったのだと言う。

「たぶんハーヴェイさんの目には、アオイがあなたを庇っているように映ったんじゃないかな」

 だからこそ、キリルの解放を望んでいるオリヴァーではなく、わざわざ葵を動かせるような真似をしたのだ。ウィルがそこまで言い切るので考えを巡らせてみたアルヴァは、十分に有り得ることではあると思った。

「それで? 僕が従わなかったら彼がミヤジマに何をするって?」

「ハーヴェイさんは人体学の権威だよ? 人目を盗んでアオイに魔法薬を盛るくらい、平気でやる人だと思うけど?」

 毒にも薬にもなる魔法薬を、人体学に精通しているハーヴェイは自在に操ることが出来る。まだ自我の確立した他人の意識を操るような魔法は生み出せていないようだが、嫌がらせの方法など山のようにあるのだ。すでに実の弟を実験台としているような彼ならば、葵を道具のように扱うことも簡単にやってのけるだろう。ウィルの諫言がただの杞憂に終わりそうもないことを察したアルヴァは渇いた笑みを浮かべた。

「貴重な助言、感謝するよ。そんなことにならないように見張っていてくれるか?」

「どういう知り合いだか知らないけど、会いに行ってあげればいいじゃない」

 意地を張るから事態が複雑になるのだと、ウィルは呆れ顔で言う。確かにアルヴァの方からハーヴェイに会いに行けば、今回の件は全てが丸く収まるのだ。しかしハーヴェイの狙いがその先にあることを知っているだけに、アルヴァにはもっともらしいウィルの諫言にも皮肉な笑みを返すことしか出来なかった。






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