卵の殻が割れるとき

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「で、ホントのとこはどうなんや?」

「どうって……何が?」

「オリヴァー様のことや」

 その話かと、クレアの興味津々な顔を目の当たりにした葵は少しうんざりした。しかしふと、質問とはまったく関係のないところで引っかかりを覚えた葵は表情を改めてクレアに向き直る。

「ところでさ、この前から気になってたんだけど、何でフツウの時でも『様』づけなの?」

 良くも悪くもストレートな性格をしているクレアは学園のアイドルであるマジスターにも容赦がなく、彼らのことを「アイツ」だの「ガキ」だのと散々な呼び方をしていた。それがいつの間にか、素の口調で話をする時ですら名前に『様』をつけるようになっていたのだ。何があったのかと問う葵に対し、クレアは達観したような笑みを浮かべて見せる。

「クセづけや。貴族のご子息に対して無礼のないようにな」

「……もう遅いと思うけど」

「そんなことないで? 人間、いくらでもやり直しはきくもんや」

 クレアは痛快に笑って見せたが、葵は「そうかなぁ」と思った。しかし半信半疑な葵には構わず、クレアはさっさと話を戻す。

「で、どうなんよ?」

「別に、何もないって」

「それにしてはやけに、オリヴァー様にだけ気を許してるように見えるけどなぁ?」

「それは、オリヴァーが『いい人』だからだよ」

 利己的なマジスター達の中にあって、オリヴァー=バベッジという人物だけは他人を顧みる優しさを持っている。そうした彼の人間味にずいぶんと助けられたことがあるため、葵は彼の力になってあげたいと思うのだ。それはクレアが勘ぐっているような恋愛とは、また別の次元の話である。葵がそう説明すると、クレアは意外なほどアッサリと頷いて見せた。

「それは分かる気がするわ」

 若年者ながら肩肘張っている他のマジスター達に比べ、オリヴァーには貴族らしさというものがない。彼が貴族の体面にこだわっていないことはハーヴェイに逆らったことからもよく分かると、クレアはオリヴァー=バベッジという人物に対する感想を述べた。しかし真面目な話をしていたのも束の間、クレアはすぐしたり顔になってニヤリと笑う。

「それ言うて、アッシュを安心させてやったらどないや? けっこうヤキモキしとったで?」

「やきもき?」

「お嬢が学園で、妙な男にちょっかい出されたりとかしてへんか」

「ちょ……! 何の話してんのよ!」

 自分が関与していないところで妙な話をされていたことを知り、顔を真っ赤にした葵はいきり立った。そしてこの場所でそういった話をするのは、非常に具合が悪い。頭の片隅にそんな考えがよぎった刹那、保健室内にある別室の扉が開いたので葵はギクリとした。

「失礼。少し、ミヤジマと話をさせていただいてもよろしいですか?」

 奥から出て来たアルヴァがクレアにそんな断りを入れているのを見て、冷や汗をかいた葵は逃げ出したい衝動に駆られた。気を遣ったらしいクレアはアルヴァに頷くと席を外そうとしたのだが、それはアルヴァが制する。結局はクレアも同席したまま、アルヴァは葵との話を始めた。

「ミヤジマはあの、アッシュという青年とお付き合いをしているのですか?」

 やはりその話題かと、葵は苦い気持ちになりながらアルヴァに頷いて見せる。クレアも同席しているのでこの場でどうこうするつもりはないらしく、彼は抑揚のない声音のまま言葉を次いだ。

「それならば一度、彼とはきちんとお話をさせていただかなくてはなりませんね」

「は、話?」

「少し、よろしいでしょうか」

 しどろもどろになってしまった葵があわあわしていると、傍で様子を見守っていたクレアが口を挟んできた。「助かった」という思いと「何を言い出すんだ」というハラハラ感を同時に抱いた葵は複雑な表情でクレアを振り返る。葵を一瞥したクレアはその後、アルヴァに視線を合わせてから言葉を重ねた。

「失礼を承知で申し上げます。例えご友人であろうと、二人の交際にアルヴァ様は無関係のはず。そのような人物が口を挟まれては、男性の方はご気分を害されるのではないでしょうか」

「誤解をなさらないで下さい。僕は彼とミヤジマの交際に口を出すつもりはありませんよ。ただ、一月ほどミヤジマをお借りしたいので、そのご報告をさせていただきたいだけです」

「借りるとは、どういった意味合いで仰られているのですか?」

終月しゅうげつ期に入りましたら、彼女と旅行に行きます。戻りは年明けになるでしょう」

「はあ?」

 それまで猫をかぶりながら異議を唱えていたクレアが、ふと素の表情に戻って素っ頓狂な声を上げた。彼女はアルヴァが明かした事実に明らかな動揺を見せていて、そのまま素の調子で葵を振り返る。

「お嬢、旅行ってどういうことや! まさか二人きりで行くんと違うやろな?」

「えっと……」

 アルヴァとの旅は、むしろ余人がいてはならない代物だ。そのことを承知している葵は二人で旅をすることをすでに受け入れていたが、クレアは信じられないといった様子で目を見開く。

「アホか! そんなん、アッシュが許すはずないやろ!?」

「今後はどうぞ、僕ともその調子で話をして下さい」

 作為的な笑みを顔に貼り付けたアルヴァが容喙すると、クレアは「しまった!」と言う顔をした。だがこれだけ怒鳴り散らした後ではどう取り繕っても後の祭りなので、彼女はわしゃわしゃと髪を掻いた後で素の表情をアルヴァに向ける。

「お言葉に甘えさせていただくわ。恋人ができたばかりの女を二人きりの旅行に誘うなんて、おたく何考えてるん?」

「僕が旅行を提案したのはミヤジマに恋人が出来るよりも前の話ですよ。それに、ミヤジマも納得していることです」

「そうなんか!?」

 クレアの鋭い視線がこちらを向いたので、葵はギクリとして数歩後ずさった。しかし言い逃れが出来る場面でもないので、葵は仕方なくアルヴァの発言に同意を示す。するとクレアは、ますますヒートアップしてしまった。

「おたくらなぁ、若い男女が二人っきりで旅なんて、何もなしに帰って来られると思っとるんかい!」

「ええ。少なくとも僕は、そう思っています」

 クレアが熱くなっても微動だにしないアルヴァの冷静さは、発言に妙な説得力を付加していた。動揺するような素振りが微塵も見られないアルヴァに、別の意味で眉をひそめたらしいクレアは少し心配そうな表情になって言葉を重ねる。

「おたく……大丈夫か?」

「僕は良識のある大人です。子供に手出しはしない、それだけのことですよ」

 アルヴァの毅然とした態度に悩殺されてしまったらしいクレアは「紳士や」と呟いたきり閉口してしまった。

(騙されてるなぁ……)

 もともとアルヴァが好みだと言っていたクレアは先程までの気概を失っていて、もうすっかり瞳を輝かせてしまっている。二人のやり取りを第三者の立場で眺めていた葵はアルヴァの板についた猫かぶりっぷりに妙な感心をしてしまった。

「せやけど、アルヴァ様……」

「アル、と呼んで下さい」

「は、はい! あ、アルは……ホンマにお嬢と二人で夜を過ごしても何も思わんの?」

 前半は顔を寄せてきたアルヴァの魅力にやられながら、後半は何とか持ち直して、クレアは先程の話を蒸し返した。これが葵と二人きりの場面でなら暴言を吐くところだが、あくまでも紳士を装っているアルヴァは平然と心にもないことを言ってのける。

「彼女は僕の、娘みたいなものですから」

「妹通り越して娘、かいな……」

 それは何も出来んわと付け足したクレアは渇いた笑みを浮かべている。クレアを完全にやりこめたアルヴァは余裕の表情で葵に視線を傾けてきた。

「とはいえ、あなたを黙って連れ出してしまっては彼も心配するでしょう」

 ここはやはり自分が話を通しておくべきだとアルヴァが言い出したので、葵は慌てて首を振った。

「自分で話すから。アルは余計なことしないで」

「そうですか? ミヤジマがそこまで言うのでしたら、お任せしますが」

 そんな二人の会話は意図せずとも父娘のようで、葵を娘のようだと言うアルヴァの言葉にさらなる説得力を上乗せしていた。






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