七番目の月

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 夏月かげつ期最後の月である伽羅茶きゃらちゃの月の三十日。夏が終わりを迎えるこの日の夜、夜空には平素と変わりなくくすんだ色彩の二月が浮かんでいた。灼熱の太陽が残した熱は夜になっても地表から逃れて行かず、夏の夜らしく空気は温んでいる。だがそんな夏の風情も今宵のうちに跡形もなくなり、明日からは終月しゅうげつ期へと突入するのだ。

 丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では広大なグラウンドに巨大な魔法陣が描かれていて、グラウンドを取り巻くように集っている生徒達が今や遅しと儀式が始まるのを待ち侘びていた。季節を巡らせる儀式は大掛かりなもので、トリニスタン魔法学園の総力をあげて執り行われる。そのためアステルダム分校だけでなく、今宵は各地の分校で同じ光景が見られるはずだったのだが、アステルダムの様子は他の分校とは少しばかり勝手が違っていた。本来ならば各分校のエリートが五人で臨むはずの儀式に、彼らはたったの三人で臨まなければならないのだ。

「欠員が出た時の補充って、いつもどうしていたんだろうね?」

 月の光を浴びて、すでに出力を高めている魔法陣を前に呑気な科白を吐いてみせたのは真っ赤な髪が印象的な細身の少年。おそろしく女顔をしている彼の名はウィル=ヴィンスといい、彼はアステルダムのエリート集団であるマジスターの一員だった。平素は私服で校内をうろついている彼も今宵は白いローブを纏っていて、それがさらに彼の線の細さを際立たせている。

「さあなあ? とりあえず、今回は俺達だけでやるしかないみたいだぜ」

 補充要員も見当たらないしなと、ウィルの発言に答えたのはがっしりとした体躯をしている茶髪の少年。見るからにスポーツマンといった体つきをしている彼の名はオリヴァー=バベッジといい、彼もウィルと同じくアステルダム分校のマジスターの一員だ。長い髪を無造作に束ねているオリヴァーも今夜はローブ姿で、彼は刻々と輝きを増している魔法陣に目を注いだまま会話を続けた。

「こういう儀式は跳ね返りが怖いし、下手なヤツ入れられて調和が狂うよりも、俺達だけで頑張った方がいいんじゃねぇ?」

「かもね。僕達はともかく、キルに合わせられる人なんて滅多にいないだろうから」

 ウィルの一言で、彼らの視線はやや下方へと向かった。立ち話をしているウィルとオリヴァーの足元にはもう一人、白いローブ姿の少年がいる。世界でも珍しい黒髪に同色の瞳といった容貌をしている彼の名は、キリル=エクランド。端整な顔立ちをしている彼は明らかにふてくされた表情をしていて、しゃがみこんだままむっつりと押し黙っていた。

「キールー、そろそろ機嫌直せって」

 オリヴァーが間延びした声を発すると、不機嫌なキリルは鋭い視線を彼へと向かわせた。謂れのない圧力を受けたオリヴァーは苦笑いを浮かべながらキリルの肩を叩く。

「アルヴァって人を捉まえられなかったのは残念だったけどさ、ハーヴェイさんだってそのうち分かってくれるって」

 話題に上ったハーヴェイ=エクランドという人物はキリルの兄で、彼は実の弟を実験台に新しい魔法の研究をしていた。その魔法というのが人格を歪ませるような代物で、オリヴァーはハーヴェイにキリルの魔法を解いてやってくれないかと申し出たのである。その願いは一筋縄では聞き入れてもらえなかったのだが紆余曲折の末、ハーヴェイは交換条件を呑むことでキリルの魔法を解いてくれると約束してくれた。その際にハーヴェイが出してきた条件というのが『アルヴァ=アロースミスという人物を終夏しゅうかの儀式に参列させろ』というものだったのだ。それ以来、オリヴァーとキリルはこの学園のどこかにいるというアルヴァなる人物を探すことに時間を費やした。しかし結局のところ彼は見付からず、こうして儀式の日を迎えてしまったというわけだった。

「ウィルもそう思うだろ?」

 キリルの昂っている気分を鎮めようと、オリヴァーはウィルにも同意を求めた。しかしキリルをからかうことを常としている彼は、頷くどころか思いきりオリヴァーの考えを否定してみせる。

「甘すぎるよ。条件を果たせなかったなら諦めるべきだと思うけど?」

「てめっ、ウィル!」

 ウィルの物言いに刺激されてしまったキリルが「どっちの味方なんだ」と叫び声を上げる。何も儀式の前に無駄な諍いを誘発せずともいいだろうとオリヴァーが呆れていると、不意に出現した第三者の声がキリルとウィルの間に割って入った。

「誰の味方でもない。そうだろう、ウィル?」

 突然の兄の登場によってキリルは凍りつき、ハーヴェイを振り返ったウィルも驚いたような表情になる。口論の様子を傍から見守っていたオリヴァーもハーヴェイの出で立ちには目を丸くした。

「どうしたんですか、その格好」

 ハーヴェイはいつもの洋装ではなく、生徒達と同じくトリニスタン魔法学園のローブを纏っていた。彼は本校で教鞭を振るう身だが、アステルダム分校においては教師でも何でもない。その彼が正装している理由が儀式に臨むためなのだと聞き、アステルダム分校の現行のマジスターである三人はさらに驚きの度合いを深めた。

「もしかして、アステルダムに来たのは最初からそれが目的だったんですか?」

「目的、と言うよりは指令だな。そのついでの羽伸ばしだ」

 多忙なはずのハーヴェイがやたらとアステルダム分校でまったりしていた理由に納得がいき、質問を投げかけたウィルは頷いて見せた。だが儀式の応援要員は、彼の目的の全てではないだろう。そう思ったウィルは問いを重ねようとしたのだが、彼が口を開くより先にハーヴェイがオリヴァーに向き直った。

「言っておくが交換条件を満たさない限り、私が動くことはないぞ」

「ああ……聞かれてました?」

「ウィルの言う通り、私は甘くないのでな」

 オリヴァーに対するハーヴェイの態度はすっかり元に戻っていて、オリヴァーが排斥されていた事実さえも忘れてしまうほど自然だ。またオリヴァーの方にも禍根はないようで、彼もいつもと同じように苦笑いを浮かべている。

「だけど、まだ分からないじゃないですか」

「そうだな。まだ、分からない」

 オリヴァーの発言に口の端だけで笑って見せたハーヴェイは、意地の悪い笑みをそのままウィルへと向けた。唐突に微笑みかけられたウィルが呆気に取られていると、ハーヴェイは貝のように口を閉ざしている弟へも声をかける。

「キリル、お前も魔法を解きたいと思っているのか?」

 一度は魔法に打ち勝って兄に反抗して見せたキリルは、今度も自分の意思を伝えようと口を開いた。しかし唇から漏れるのは息ばかりで、なかなか思いが言葉となって出てこない。キリルが最終的に俯くことでなんとか肯定を示したことからも分かるように、ハーヴェイのかけた魔法は強力だ。だからこそ魔法が解けた時のキリルがどういった反応をするか見てみたいと、ウィルは悪戯心にそう思ってしまった。

「ハーヴェイさん、キルは自分の気持ちを確かめようとしているんですよ」

「気持ち?」

 ハーヴェイが不可解そうな顔を傾けてきたが、葵について箝口かんこう令を敷かれているウィルは後の説明をオリヴァーへと委ねる。唐突に話し手を任されたオリヴァーも困惑を見せながら言葉を紡いだ。

「気持ちって、アオイへのってことか?」

「ミヤジマ=アオイ? 何故、そこで彼女の名前が出て来る?」

「何故って……キルがまだ、アオイのことを気にしているからです」

「ああ、それは仕方がない。私が修正したのはキリルにとっての『優先順位』だけだからな」

「でもそれ、魔法が解けたらどうなるんでしょうね」

 ウィルが口を挟んだところで、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。鐘の番人クローシュ・ガルデが届ける鐘の音は始業や終業、予鈴などを意味するが、今夜の鐘は儀式が始まる合図である。会話を切り上げた執行人達はフードを目深にかぶり、光を立ち上らせている魔法陣の中へと足を踏み入れる。その後は魔法陣の中心に描かれている五芒星の頂点へ、それぞれが散って行った。






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