七番目の月

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 夏を終わらせる儀式が無事に終わり、空には紅の月が昇った。つい先刻まで留まっていた夏の空気もすっかり入れ替わり、薄着では肌寒く感じられる風が吹いている。儀式の最中には目深に被っていたフードを首の後ろへと退けると、ハーヴェイは口元に微かな笑みを浮かべてこちらへやって来る少年達を迎えた。

「すごくやり易かったです」

 開口一番にそう言ったのはオリヴァーであり、ハーヴェイは悠然と頷くだけで「当然だ」ということを伝えた。ハーヴェイは王都にあるトリニスタン魔法学園の本校で教鞭を振るう身であり、自身が魔法を使うことにだけでなく他者に教授することにも秀でているのだ。そんな人物が、実弟やその友人のサポートを完璧にこなせないはずがない。だが今回に限って言えば、ハーヴェイが自信満々に頷いて見せたのには別の意味も含まれていた。

「さすがはハーヴェイさんですね。あなたもそう思いませんか?」

 ウィルが不意に顔を傾けたため、ハーヴェイに向いていたその場の視線は一気にそちらへと集中した。魔法陣内の視線を一手に集めているのは、ハーヴェイと同じく黒いローブを纏った人物。未だフードを目深に被っているせいで顔の見えないその人物は、この儀式においては完全なる部外者だった。

「誰だ、こいつ?」

「さあ?」

 キリルとオリヴァーが訝しげな声で会話をした刹那、役目を終えて沈黙していたはずの魔法陣が唐突に光を帯び始めた。外円から立ち上った光は円柱形に展開し、魔法陣の内部と外部を遮断する。さらには魔法陣の内側で五芒星が内包する正五角形だけが光を放ち、その部分だけが二重に外部から隔離された。特殊な防御魔法プロテクトで護られたその空間に、白いローブを纏っていた少年達の姿はない。彼らはプロテクトが完成する前にこの空間から押し出されてしまったため、魔法の空白地帯となっている正五角形の内部では黒いローブを纏った二人が対峙していた。

「望みどおり、邪魔者は消えたようだ。そろそろ顔を見せてもいいのではないか?」

 不意の出来事にも動じた様子のないハーヴェイが挑発的に口を開けば、黒いローブの人物も素直にフードへと手を伸ばす。首の後ろへと退けられたフードから露わになったのは鮮やかな金髪にブルーの瞳といった容貌をしている青年の素顔。とある人物を思い出せる彼の美貌を目にした時、ハーヴェイは少年達に向けるものとは類の違う笑みを浮かべた。






「久しぶりだな、アル」

 旧知の人物に呼びかけるようにハーヴェイが名を呼んだ時、アルヴァはため息をつきたいのを堪えて首を上下させた。

「そうですね。あなたに騙されて、二度と踏むことがないと思っていた本校の土を踏んだとき以来ですか」

 アルヴァとハーヴェイの関係を一言で言えば、トリニスタン魔法学園の本校に通っていたときの同窓生、である。現在はアステルダム分校の理事長をしているロバート=エーメリーという青年も含め、学生時代は親しくしていた仲なのだ。しかし彼らの関係は、アルヴァが学園を中途退学すると同時にいったんは終わりを迎えた。

 本校を中退した後、アルヴァはそれまでの交友関係を全て断ち切って表舞台から完全に姿を消した。旧知の者とは特に会いたくなかったのだが、それから数年後、アルヴァはハーヴェイやロバートと再会することになった。偶然ではない。レイチェルとも知己である彼らが、そうなるように仕向けたのだ。そしてその再会の時、ハーヴェイはアルヴァにとって最悪な事態を引き起こしてくれた。それが、トリニスタン魔法学園本校への不法侵入なのである。

「次期公爵であるあなたが、まさかあんな大胆なことをしでかしてくださるとは思いも寄りませんでしたよ」

「なんだ、まだ怒っていたのか」

 ハーヴェイは何でもないことのように言うが、中途退学者が本校に足を踏み入れるのは重罪だ。下手をすればレイチェルにまで咎が及んでいたかもしれないことを思えば、到底許す気にはなれない。しかし今日は、過去の過失を責めるために危険を冒したわけではないのだ。目隠しの魔法も長くは続かないため、アルヴァはさっさと本題を切り出した。

「お望みどおり、終夏しゅうかの儀式に参列しました。ミヤジマ=アオイとクレア=ブルームフィールドから手を引いてください」

「宗旨替えをしたのか? 少女に固執するなど、ロバートのようではないか」

「彼女達は実験動物モルモットです。あなたに介入されるとせっかくの実験がふいになってしまう」

「今度はどのような実験だ?」

「あなたに明かす義理はありません。それと、悪趣味な冗談に付き合っている暇もないことをご理解下さい」

「昔のように話してくれたのなら、彼女達を諦めてやってもいい」

 それまでアルヴァは頑なにハーヴェイへの拒絶を示してきたが、彼は打算より感情を優先させるほど直情型の人間ではない。嘆息することで気持ちを切り替えたアルヴァは、学生の頃の口調に戻ってハーヴェイに語りかけた。

「いい加減、諦めてくれ。僕はもう表に立つ気はない」

「償いのためか?」

「…………」

「レイチェルを見てみろ。あの事故の後も彼女は何のハンディも感じさせず成り上がっている」

「レイチェルは関係ない。ただ僕が、隠れていた方が性に合ってるというだけのことだよ」

「君やレイチェルの才は光の中でこそ輝けるものだ。私はそれを、実際に目の当たりにしている。マジスターという称号が、そのいい例ではないか」

 現在、各地にあるトリニスタン魔法学園で使われている『マジスター』という称号は、実は数年前に王都の本校で生まれた造語である。魔法界の新星という意味を持つこの言葉は、新たな血族が誕生するかもしれないという尊敬と畏怖の念を秘めていて、本校に通っていたある生徒達がそう呼ばれていたのだ。将来は爵位を継ぐことが決まっている者達に『貴族になるかもしれない』と囁かせていたのは、庶民の出ながらも破格の才能を有していた姉弟。今でも本校に数々の伝説が残る、レイチェル=アロースミスとアルヴァ=アロースミスだ。

「君はレイチェルの隣に並び立つべきだ」

 共に来いと、ハーヴェイが手を差し伸べてくる。しばらく無言でハーヴェイの手を見つめていたアルヴァは、ふっと冷笑的な笑みを浮かべると同時に一歩後退した。

「光の中にいるのはレイチェルだけでいい。僕は、行かないよ」

「のこのこやって来て、逃げられると思っているのか?」

 次に再会した時には意地でも引きずり出すと誓いでも立てていたのか、ハーヴェイは指先だけで光の障壁に触れた。五芒星の中心にある正五角形を覆っていた障壁はアルヴァの魔力そのもので、ハーヴェイが触れた途端に輪郭が歪む。同時に、全身が焼けるような痛みを覚えたアルヴァは体をくの字に折り曲げた。

「七番目の月がすでに昇っている。いくら君でも分が悪いな?」

 紅蓮の光を放つ七番目の月は、エクランドの特質である炎を助勢する。だから終夏の儀式に引きずり出そうとしていたのかと、今さらながらにハーヴェイの狙いに気付いたアルヴァは、それでも唇を笑みの形に歪めた。

「逃げられるよ。確実にね」

「外円の障壁が突き破られる前に、根拠を聞いておこうか?」

 ハーヴェイの体から放たれた炎に似た魔力は、すでに正五角形の障壁を粉砕して魔法陣の内部で暴れまわっている。外周の障壁が破られるのも時間の問題で、さらにハーヴェイとアルヴァの周囲には炎で形作られた檻が出来ていた。背筋を伸ばしたアルヴァは一つ息を吐き、ハーヴェイに別れの笑みを向ける。

「君は僕を殺すほど本気にはなれないけど、僕は死ぬ気になって逃げることが出来るから」

 言葉を紡ぎ終えると同時に死ぬ気の勢いで魔力を放出したアルヴァは、上方から押さえつけて来ようとする巨大な炎の手をも気合いで突き抜け、紅い月が浮かぶ空へと逃れた。上空から眺めるとグラウンドにはまだ大勢の生徒が残っていて、彼らに姿を見られることを嫌ったアルヴァは最後の力を振り絞って転移の呪文を唱える。なんとか保健室へは辿り着いたものの、力尽きたアルヴァはその場で倒れこんでしまった。重い瞼が落ちると姉の姿が浮かび上がり、荒い呼吸の合間には先程のハーヴェイの言葉が聞こえてくる。

(並び立っていたことなんて、一度もないよ)

 無理に立ち上がろうとしても体に力が入らず、喘鳴のような呼吸もなかなか治まらなかったため、諦めたアルヴァは保健室の床に自ら四肢を投げ出した。






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