七番目の月

BACK NEXT 目次へ



 ものすごい力で突然放り出され、光の壁に閉じ込められた。アルヴァが魔法を展開した時、魔法陣の只中にいながら部外者扱いされたアステルダム分校のマジスター達はそんな状況に陥っていた。魔法陣の外へ出ようにも、外円に光の壁が立ちはだかっているため出るに出られない。かといって五芒星の正五角形にも防御魔法プロテクトがかかっているため、中に戻ることも出来ない。そうした不条理にいち早く文句の声を上げたのは短気なキリルだった。

「何だってんだよ!!」

「キル、気持ちは分かるけど落ち着け」

 どこへ向けていいのか分からない憤りを空に向かって放ったキリルの肩にポンと手を置いた後、オリヴァーは興味深そうに光の障壁を眺めているウィルを振り返った。

「ウィルは何か知ってそうだよな?」

「そうなのか!?」

 オリヴァーとキリルから疑惑のまなざしを向けられたウィルは、少し間を置いてから笑みを浮かべた。

「そうだね。でも話せない」

「何だと!」

 あっさりと拒絶を示したウィルにキリルが噛み付いていったが、ウィルは風が流れるような動きでひらりとそれを躱した。キリルは再びウィルに掴みかかろうとしたが、それはオリヴァーが二人の間に体を割り込ませて制する。まんまとオリヴァーの影に隠れたウィルは、しかしもったいぶることはせずに発言の真意を明かした。

血の誓約サン・セルマンに縛られてるから」

「血の誓約?」

 初めて誓約のことを聞いたオリヴァーは呆気に取られたような胡散臭いような、妙な表情になった。未だ憤っているキリルは、そんなものは関係ないと言わんばかりに言葉を次ぐ。

「誰とそんなもん交わしやがったんだ!」

「それを言ったら誓約の意味がないじゃない。バカじゃないけど、キルってほんと短絡的だよね」

「てめぇ! もういっぺん言ってみろ!」

「あー、もう! やめろって!」

 殴りかかっていきそうなキリルを羽交い絞めにして黙らせた後、オリヴァーは非難のこもった目をウィルに向けた。

「その話は後だ。それより今は……」

 この場を何とかするべきだ。そう続けられるはずだったオリヴァーの科白は、何か高温の物体が目前を通過して行ったことにより遮られてしまった。その現象を見て凍りついたのはオリヴァーだけでなく、キリルとウィルもギクリとした表情で正五角形の方へ顔を傾ける。すると先程まで美しいほどの強度を保っていた光の障壁が薄れ、防御魔法プロテクトの内部から炎のようなものが噴出してきた。

 キリルが暴走した時のようにハーヴェイの発した魔力が縦横無尽に暴れまわるので、マジスター達にはもうケンカなどしている余裕はなくなってしまった。キリルが相手ならば対処の仕様もあるが、エクランド公爵家のような大貴族の次期当主に暴れられては手も足も出ない。マジスター達が炎から逃れるのに必死になっていると、やがて光の障壁が崩壊した。すると今まで以上の炎と熱波が吹き荒んだが、それは長く続かなかった。それだけで凶器となる魔力がハーヴェイの体に戻って行くと、辺りは不意の静寂に包まれる。一連の混乱を高みから見下ろしていたのは、昇ったばかりの紅い月だけだった。

「……ずるいな」

 月を仰いだハーヴェイが何か呟きを零していたが、それは誰の耳にも届かなかった。呆けていたマジスター達の中で真っ先に動き出したのはキリルで、兄に駆け寄った彼は心配そうな表情で声をかける。

「お兄様、お怪我はありませんか?」

 ハーヴェイの纏っているローブがところどころ破れていたので、キリルは兄が誰かに傷つけられたのだと思ったようだった。兄を心配する気持ちが本心から生まれ出たものなのかどうかは分からないが、キリルが反射的な行動を取ったように、ハーヴェイもごく自然な動作で弟の頭を撫でる。

「キリル、そこに立っていなさい」

 訝しがっているキリルを直立不動で置いておくと、ハーヴェイは後からやって来たオリヴァーとウィルにも下がっているよう声をかけた。自身もキリルから少し距離を取り、それからハーヴェイは呪文を唱え出す。

「コフゥ。セパレーション」

 ハーヴェイが何かの魔法を使うと、不意にキリルの体から炎が揺らめき立った。それは彼が普段発している魔力とはまた別のもので、キリルの周囲では色彩の異なる炎が二重になって漂っている。直立不動を命じられたキリルがむずむずしているのは今まさに、彼の体内で何らかの変化が起こっているからなのだろう。

「リヴィアン・ア・モン・コルプ」

 ハーヴェイが次の呪文を唱えると、今度はキリルを覆っている外側の炎がハーヴェイの方へと引き寄せられて行く。体に戻っていったところを見ると、どうやら元々はハーヴェイの魔力だったようだ。

 ハーヴェイの魔力が抜けきってしまうとキリルを取り巻く魔力に目で見える変化が起きた。不純物が取り除かれたことによって本来の色彩に戻ったらしく、目視出来るキリルの魔力からは赤味が抜けているのだ。橙黄とうこうに近い色味となった魔力はキリルがハーヴェイの支配から解放された証である。逆にハーヴェイの体から発せられている魔力は赤味を増していて、顔の前まで持ち上げた腕でそのことを確認しているらしいハーヴェイは軽く手を握ったり開いたりしていた。

「キリル」

「はい、兄さん」

「うまくいったようだな」

 キリルの反応から何かを確かめたらしいハーヴェイは独白を零していたが、キリルにはその意味が分からなかったようだ。微々たる変化だったため、傍で成り行きを見守っていたオリヴァーとウィルも首を傾げている。

「兄さん、その方が呼びやすいようだな」

 ハーヴェイが説明を加えると、ウィルとオリヴァーは同時に納得した表情をした。エクランド家には子が多く、キリルには長兄であるハーヴェイの他にも兄や姉が大勢いる。彼らを『兄さん』『姉さん』と気安く呼ぶ中で、キリルはハーヴェイのことだけを『お兄様』と畏まって呼んでいたのだ。

「呼び方は、それでいい。だが長兄である私に対する敬意は忘れるなよ?」

「はい」

 ハーヴェイがいつになく砕けた調子で話しかけてみても、背筋を伸ばして畏まるキリルの態度に変化は見られない。本当に魔法が解けているのかオリヴァーが訝っていると、それを察したらしいハーヴェイは「長年の抑圧はすぐに抜けるものではない」などと淡白なことを言ってのけた。

「じゃあ、アオイのことも本当のことは分からないかもしれないね」

「あっ!!」

 ウィルが誰にともなく独白を零すと、キリルは忘れてたと言わんばかりの大声を上げた。さっさと葵の顔を見て片をつけると息巻くキリルが白いローブの集団に向かって突っ走って行ったので、オリヴァーが慌てた様子でそれを追いかける。

「ウィルは行かないのか?」

 立ち止まったままでいるとハーヴェイが話しかけてきたので、彼を仰いだウィルは小さく肩を竦めて見せた。

「本当はキルにかけた魔法、解きたくなかったんでしょう?」

「……何故、そう思う?」

「だって子供の頃のキルって、ハーヴェイさんにべったりだったじゃないですか。末っ子はカワイイってよく聞きますし」

 子供の頃のキリルは雛が親鳥を追いかけるようにハーヴェイの後について回っていた。もともとは内向的だった性格のせいもあって、オリヴァーやウィルと遊ぶよりも兄の傍にいたいという雰囲気だったのだ。そんな時、ハーヴェイは愛しむような優しい目で歳の離れた弟を見ていた。子供心にそんな兄のいるキリルを羨ましいと思ったことがあるだけに、ハーヴェイが何故あんな魔法を弟にかけたのか、その理由もなんとなく分かるような気がしていた。おそらくハーヴェイは大貴族の子息としては内向的すぎる弟を変える必要性を感じながら、自分に特別懐いている可愛い弟を失いたくもなかったのだ。

 ハーヴェイは苦笑いを浮かべたきり、否定も肯定もしない。それは憶測が当たらずとも遠からずといった具合であることを如実に物語っていて、不器用なエクランド兄弟に対し、ウィルも苦笑いを浮かべたのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2011 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system