七番目の月

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 アステルダム分校の教師による魔法陣の除去作業が始まると、儀式を見学するために集っていた生徒達は一様に帰宅の途につきはじめた。生徒達は正門に描かれている魔法陣を登下校に使用しているため、グラウンドから正門へと向かう道には白い河のような流れが出来ている。それは途中まで滞りなく流れていたが、ある人物の出現によって調和は不意に乱された。

「キルー、この状態でどうやってアオイを探すんだよ」

 群がってくる女子生徒を掻き分けるようにして前進しているキリルの背中に向かって、オリヴァーは投げやりな声をかけた。オリヴァーとキリルの周囲では女子生徒が黄色い声を発していて、二人の会話すらも掻き消してしまいそうな勢いである。少し離れた場所からかけた声はやはり届かなかったらしく、キリルは振り返りもせずに前進を続けている。どこへ向かうのかと見守っていれば、辿り着いた場所は正門だった。生徒達が最終的に行き着く場所で張り込みをするという考えはキリルにしては合理的で、オリヴァーは少し感心してしまった。しかしキリルとオリヴァーに着いて来た女子生徒達がいつまで経っても帰らないので、正門前は依然として賑わっている。こんな状態では人探しをすることは難しいため、ギャラリーを無視しきっていたキリルがついに吼えた。

「見てんじゃねぇ! てめーら、散れ!!」

 一喝と同時にキリルの体から魔力が立ち上ったので、危険を察した生徒達は波が引くように遠ざかって行った。しかしキリルが魔法陣の前に陣取っているため、帰るに帰れない風の生徒達は遠巻きにキリルとオリヴァーの様子を窺っている。多少の哀れみを誘われないでもない姿に、オリヴァーは苦笑を浮かべた。

「アオイ、まだ残ってるといいな」

 儀式には全生徒が強制参加のため、葵もいるにはいただろう。だが儀式が終わってすぐに帰ってしまったのであれば、次に顔を合わせるのは休み明けだ。性格的に一ヶ月も待てないだろうと思ったオリヴァーは葵がまだ学園にいることを願いつつ、ピリピリしているキリルと共に彼女が姿を現すのを待った。

 しばらく正門で待っていると、キリルが恐ろしくて近付く者のなかった魔法陣に一人の少女が歩み寄って来た。トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏っている少女は葵ではなかったが、肩にワニのような魔法生物を乗せている彼女は葵の友人ではある。キリルが発する殺気めいた魔力にも動じることなく歩み寄って来たクレアは、こちらに目を向けると一瞬だけ眉根を寄せた。

「どうかなさったのですか?」

 真顔に戻って口火を切ったクレアの口調は、律儀にも使用人のものになっていた。無礼を働いたキリルから許しを得られるまで、彼女はその調子でいくつもりなのだろう。オリヴァーは苦笑いを浮かべたがキリルは構わず、不躾な質問をクレアにぶつけた。

「あの女はどこだ」

「あの女、と仰られますと?」

「てめぇといつも一緒にいる、あの女だよ!」

 なめているのかと言わんばかりの勢いでキリルがクレアに迫るので、慌てて仲裁に入ったオリヴァーはキリルを宥めてからクレアを振り返った。

「その喋り方だとまどろっこしいから、いつも通りに喋ってくれよ。キルも、その方が話が早いだろ?」

 オリヴァーが絶妙なタイミングでキリルを説得したため、それまでクレアについてはうんともすんとも言わなかったキリルも簡単に頷いてみせる。素に戻っていいのかどうかをもう一度だけキリルに確認した後、クレアは使用人の仮面を脱ぎ捨てた。

「あの女っちゅーのはお嬢のことやろ? お嬢やったらもうここにはおらんで」

「もう帰ったのか?」

「だったら、あの女の家まで案内しろ!」

 オリヴァーを押し退けたキリルが傍若無人なことを言い出したがクレアはけろりとして、そんなことをしても意味がないことを告げた。

「家に行ってもおらんで? 今頃はもう旅に出とるはずやから」

「旅?」

 予想外の展開に、キリルとオリヴァーは同時に問い返した。するとまたしても事も無げに、クレアは葵が一ヶ月ほど帰らない旨を明かす。しばらく沈黙が流れた後、ふざけるなというキリルの怒声が紅の夜空に響き渡った。






 校舎の五階でクレアと別れた後、葵は一階の北辺にある保健室を目指した。これからアルヴァと合流して一ヶ月の長旅に出るわけだが、特に荷物は持っていない。携帯電話などの私物も手元に戻って来てはいたが旅先で無くすと大事なので、全てを置いて身一つで屋敷を出てきたのだ。世界を知る旅に出るからといってあまり気概も実感もなく、葵は平素と同じ心持ちで保健室を訪れた。しかし扉を開いた瞬間、目に入ってきた光景に葵は息を呑む。

「アル!!」

 保健室の床に、金髪の青年が倒れていた。彼の服装はいつもと違って見慣れないローブ姿だったが、金髪が目に入っただけでそれが誰であるのか特定するのは容易だ。慌てて駆け寄った葵は倒れている青年を助け起こし、力なく瞼を下ろしているアルヴァの顔を見ると顔面蒼白になった。

「アル! アル、どうしたの!?」

「……ミヤジマか」

 体を揺さぶられたことで目を開けたアルヴァは、一言だけ発すると疲れたようなため息をついた。反応があったことでホッとした葵は少し冷静になって言葉を次ぐ。

「なんか、ボロボロみたいに見えるんだけど。大丈夫?」

「あまり大丈夫じゃないな。ベッドへ行くから手を貸してくれ」

 よろよろと立ち上がったアルヴァの足元は見るからに心許なく、葵は彼に肩を貸しながらベッドに移動した。辿り着くと、アルヴァは倒れこむように体を横たえる。やはりアルヴァが疲労困憊しているように思えた葵は改めて眉根を寄せた。

「何かあったの?」

「話をする前に、頼みがある」

「な、何?」

 アルヴァに頼られるのなど初めての経験で、彼の怪我が思いのほか重いのではないかと思った葵は体を強張らせながら応じた。普段なら大袈裟だとバカにするのだろうが、今のアルヴァには苦笑いを浮かべる余裕もないらしい。いつになく口数が少ないことに不安を煽られながら、葵はアルヴァの頼みを実行するべく隣室へと向かった。

 保健室に併設されている小部屋には幾つかの棚と小さな机が置いてあった。傷病者を扱う部屋らしく、棚には薬と思われる瓶がぎっしりと並んでいる。アルヴァが指定した場所から一つの小瓶を抜き取った葵は、それを胸に抱いてベッドがある部屋へと戻った。

「アル、これ?」

 目を閉ざしていたアルヴァは葵の呼びかけに開眼し、小瓶を手にとってラベルの文字を眺める。どうやら間違いはなかったようで、億劫そうに上体を起こしたアルヴァは小瓶の中身を一気に干した。空になった瓶を枕元の台に置くと、彼は再び体を横たえる。その後、生気のないブルーの瞳はベッド脇に佇んでいる葵へと向けられた。

「出発を明日に延ばしてもいいか?」

「そんなの、気にしなくていいよ」

「ごめん。今日は屋敷に帰って、明日また来て」

 ふざけた様子もなく謝られたのは、これが初めてのことだった。瞼を下ろしたアルヴァはそのまま眠りに就いてしまったようで、規則正しい寝息が聞こえてくる。だが動揺を抑えきれなかった葵はアルヴァの言う通りに動くことは出来なかった。

(帰れるわけないじゃん)

 現在の住まいは学園から徒歩で行き来ができる場所にあるが、こんなに弱っているアルヴァを置いて帰れるわけがない。そう思った葵は自分に出来ることはやらなければという使命感に駆られた。

(とりあえず、布団かけて……)

 空気が入れ替わって肌寒くなったので、葵はアルヴァを起こさないようにそっと上掛けを引き上げた。その後、次に何をすればいいのか考えを巡らせる。これが病人ならば濡れタオルなどを用意するところだが、アルヴァの症状は病気というわけではなさそうだ。しかしさっそく看病に行き詰ってしまったため、葵はとりあえず水を用意してみることにした。

(あ、そっか……蛇口はないんだっけ)

 室内を見回して、またしても魔法の存在を忘れていたことに気がついた葵は意気消沈してアルヴァの元へと戻った。一度はベッド脇にある椅子に腰かけたのだが、特にやることがない。アルヴァにも起きるような気配がなかったため、葵は自分も寝ることにした。

(なんかこのベッドで寝るの、慣れてきたなぁ)

 屋敷にある寝具とは違い、保健室のベッドは硬くて粗末だ。しかしその安っぽさがまた、生まれ育った世界で世話になった『保健室のベッド』を思い出させる。懐かしさに包まれながら目を閉じた葵は、アルヴァが早く元気になるよう願っているうちに眠りへと落ちていった。






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