和解

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 校舎一階の廊下で『保健室』の扉を閉めた葵は、そこであることを思い出してキョロキョロと周囲を窺った。

(クレア、どこ行ったんだろう)

 アルヴァにまんまと乗せられて保健室を出て行った彼女は、おそらく助言に従って職員室へと赴いただろう。今日から編入すると言っていたので、その後は自分の所属するクラスへ向かったのだと思われる。そこまで考えを進ませたところで、葵は眉根を寄せて空を仰いだ。

(別に、私が心配することもないか)

 半強制的に通わされている葵と違い、クレアは自分の意思でこの学園へとやって来たのだ。トリニスタン魔法学園へ通うことは彼女の悲願だったようなので、この学園の特殊な環境にもいずれ馴染んでいくだろう。他人の心配より自分の身を案じた方がいいと思った葵は改めて気を引き締め、久しぶりの校内を歩き出した。

 アステルダム分校の校舎は五階建てで、生徒が使用する教室は主に二階から四階にある。葵が所属している二年A一組は二階にあり、階段を上り始めた頃には生徒達の話し声が漏れ聞こえてきた。どうやらアルヴァと話をしているうちに、生徒達が登校してくる時間帯が訪れたようだ。

(今度はどういう反応だろう……)

 先月の終わり頃、葵はとある騒動に巻き込まれた。その結果、葵はフロンティエールという国からの留学生という偽の身分を確立してしまったのだ。権威にめっぽう弱いアステルダム分校の生徒達が、それに対してどういう反応を示すのか分からない。すぐに掌を返すこの学園の生徒達には散々な目に遭わされてきているだけに、葵は慎重に周囲を気にしながら教室へと向かった。

 二階へ辿り着くと廊下に生徒の姿こそなかったものの、各教室は雑談の声で賑わっていた。どうやらまだ、どこのクラスでも授業は始まっていないらしい。しかしどのクラスの扉もすでに閉ざされていたので、自分が所属する二年A一組の前に立った葵は一つ息を吐いてから教室の扉を開けた。刹那、教室中の視線が一気に集中する。針の筵に晒されるのにはもう慣れていたので、葵は誰とも目を合わせないよう努めながら窓際の自席へと向かった。

(あれ?)

 自席へ腰を落ち着けようとしていた葵は向かう先に生徒が集っているのを目にして歩みを止めた。誰かが葵の席に座っていて、その人物を中心に人だかりが出来ているようだが、葵は足下に視線を固定しながら教室を横断していたため視界には生徒達のローブの裾しか映っていない。眉根を寄せながら顔を上げた葵はそこで思わぬ人物を目にしてしまい、瞠目した。

 葵の席に座っていたのは、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブに身を包んだクレアだった。机の上にはマトがどんと居座っていて、クレアの周囲に集まっている生徒達は葵が来るまで彼女と話をしていたようだ。この構図はどう見ても、クレアが二年A一組に編入したのだということを物語っている。隣人となってしまっただけでなく学校でまで同じクラスなのかと、葵は複雑な気分でクレアを見つめた。クレアもすぐこちらに気がついたが、何故か迷惑そうな表情をしている彼女が口を開く気配はない。クラス中の注目を集めている二人が見つめ合ったまま揃って閉口していたので、やがてクレアの傍に佇んでいた生徒達が口火を切った。

「お知り合いですの?」

「いいえ。存じ上げません」

 クレアが即座に答えたため、葵もすぐに彼女の考えを理解した。トリニスタン魔法学園は王立の名門校で、そこに通えるのは爵位を持つ貴族だけである。そんな環境に適応するため、クレアはきっと猫をかぶって学園生活を送ることに決めたのだ。それならば、彼女の本性をすでに知ってしまっている自分は邪魔な存在だろう。そう思った葵は言葉を次がず、踵を返す。自席がなくなってしまったため、葵は所在無く教室の後方に身を寄せた。

(……これからどうしよう)

 クレアが窓際の席を自分のものとしてしまったのなら、葵には勉強をする机さえなくなってしまったことになる。担任教師に言えば、何とかなるだろうか。そこまで考えたところで、葵はふとあることを思い出して青褪めた。

(担任……)

 その単語から連想されたのは、明るいブラウンの髪にミッドナイトブルーの瞳を持つ青年の姿だった。その青年の名はロバート=エーメリーといい、アステルダム分校の理事長である彼は身分を隠し、少し前まで葵のクラスの担任をしていた。一時は最も信頼していた人物だったが、彼は手酷い形で葵を裏切ったのだ。

(帰ろう)

 理事長であることが公にされた今、ロバートがまだ二年A一組の担任を続けているかどうかは分からない。しかし葵にとって、彼はアルヴァ以上に顔を合わせたくない人物なのだ。ロバートのことを思い出しただけで居ても立ってもいられなくなった葵は今しがた入ってきたばかりの教室をすぐさま後にしようとした。しかし扉へと辿り着く前に、誰かが声をかけてくる。

「あら、もうお帰りになってしまいますの?」

「せっかくいらしたのですもの、ゆっくりしていったらいかがです?」

 小馬鹿にしたような笑い声と共に耳に届いたのは聞き覚えのある女子生徒の声だった。思わず足を止めてしまった葵は小さく眉根を寄せながら声のした方へ顔を傾ける。すると案の定、そこにはクラスメートであるココとサリーの姿があった。吊りあがった目が見るものにきつい印象を与えるココは、女子のリーダー的存在である。内巻きカールのサリーはココの腰巾着だ。

「サリーさん、居場所のない方に長居を勧めるのは可哀想ですわよ。授業中、ずっとお立ちになっているのは足が疲れますもの」

「あら、空席ならもう一つありましてよ。アオイさん、あそこの席に座られたらいかがです?」

 にこやかな笑みを浮かべながらサリーが勧めてきたのは、教室のど真ん中にある空席だった。その席に誰が座っていたのかを知っている葵はサリーの言葉が決して好意からきているものではないことを察し、おもむろに顔を歪める。葵が不愉快な表情をしているのを見て、サリーとココはさらなる笑顔になった。

「サリーさん、それだけでは説明不足ですわよ。アオイさんはこのところ、ずっと欠席していらしたのですから」

「そうでしたわね。では、補足をさせていただきます。エンゼルさんが学園をお辞めになりましたの。ですからアオイさん、あの席を貴方が使ったところで咎めるような人もいませんわ」

 サリーが口にしたシルヴィア=エンゼルという少女は、以前は彼女と同じくココの腰巾着的な存在だった。しかしある出来事を機に、彼女達は仲違いをしたのだ。それ以来ココとサリーはシルヴィアを目の敵にし、何かにつけて笑いものにしてきたのだった。

(……辞めたんだ)

 教室の真ん中に空いた席に視線を固定した葵は複雑な心境で独白を零した。シルヴィアとは友人という間柄でもなかったが、彼女が学園を去るに到った経緯を知っているだけに他人事でも重苦しい気分になる。だが鬱々となったのは葵だけのようで、ココとサリーは爽やかな表情のまま話を続けた。

「それにしても、貴族の娘がお辞めになって魔法に疎い人物ばかりが増えていくなんて、おかしなお話ですわね」

 ココが発したこの一言は、どうやら葵に対する嫌味だけではなかったらしい。ココの機嫌を敏感に察した女子生徒達が窓際から離れていったので、葵はそう理解した。しかし何故クレアが自分と同類のように言われているのか、その理由が分からない。不可解に思った葵が眉をひそめていると、席を立ったクレアがこちらに歩み寄って来た。

「楽しそうなお話ですね。わたくしも混ぜてくださいませんか」

「無粋な方ですわね。わたくし達は今、久しぶりに登校なさったアオイさんと楽しく語らっておりますの。新参者は新参者らしく、隅で黙っていらしたらいかがです?」

 ココが満面の笑みを浮かべながらクレアを拒絶した瞬間、二年A一組の教室には背筋が凍りつくような鋭い緊張が走った。ココの冷たい笑みにクレアも笑顔で応えたため、本能的に危険を察知した葵は教室の後方へと数歩後ずさる。

「お嬢!」

 ココと対峙しているクレアは視線を傾けることもなく、唐突に素の口調で葵を呼んだ。葵が反射的に「はい!」と応えると、クレアは彼女に目を向けないままに言葉を次ぐ。

「ネコかぶるんはもうやめや。おたく、こないに好き勝手言われて悔しくないんか! 何か言い返さんかい!」

 そんなこと言われても……と、胸中で返事をするのが葵の精一杯だった。思いきり良く言葉を口にすることが出来ない葵をよそに、ココとクレアの闘いはヒートアップしていく。

「まあ、お下品。さすがは片田舎の出身者ですわね」

「うちは激しくがっかりや。世界に名を馳せたトリニスタン魔法学園がこないにレベルの低い場所やったとはな」

「あなたのような田舎者にトリニスタン魔法学園を侮辱する権利はありませんわ。今すぐ前言を撤回なさいな」

「おたく、何様のつもりや。大した魔力もないくせに学園代表みたいな物言いしくさって、それこそトリニスタン魔法学園を侮辱しとるで」

坩堝るつぼ島なんてド田舎から出てきた人に言われたくないですわ!」

「なんやて!?」

「これ以上の話し合いは無意味ですわね。野蛮人には言葉が通じないようですから」

 表情から怒りを消し去ったココは独白を零し、静かに席を立った。彼女はすでに魔法書を開いていて、何らかの魔法を使うつもりでいることが見て取れる。しかしココが呪文を唱え出すより先に、クレアが行動を起こした。肩に乗せていたマトを一言で武器に変態させた彼女は素早い動作で、鋭い切っ先をココの喉元へと突き出す。

「何か言いよったらその喉、貫くで」

 クレアの動きにまったく対応出来なかったココは、結局何も言葉を発することがないままに閉口した。彼女が大人しく口をつぐんだのを見て、クレアはニヤリと笑う。

「魔法っちゅーもんはそれなりの準備が必要な代物や。おたくには魔法しかないみたいやけど、うちにはそれを封じる手段もある。ケンカを売るには相手が悪かったみたいやな?」

 勝ち誇った調子で嫌味を言ってのけると、クレアは静かに刃を下ろした。重圧から解放されたココが悔しそうに顔を歪めたのもまた、クレアにとっては勝利の余韻でしかない。マトを元の形態に戻したクレアは彼を再び肩口に乗せ、上機嫌に言葉を続けた。

「ま、ほんまに優れた魔法使いっちゅーもんは、そんなもん屁ともしないもんやけどな。おたくはしょせん『井の中の蛙』や。でかい口叩いて恥かく前にもっと修行した方がええで」

 これでもかというくらいに嫌味を上塗りした後、クレアは高らかに笑い声を発した。何も言い返せずにいるココは顔を真っ赤にし、体を小刻みに震わせている。激しい女の闘いと政権交代を目の当たりにしてしまった葵は言葉もなく、ただ小さく首を振ったのだった。






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