「そもそも『召喚獣』という言葉は遥か昔に初めてこの世界に召喚された異世界のものが獣に近しい姿をしていたからという理由で生み出された単語で、多種多様な召喚獣が混在する現代ではその呼び方自体がナンセンスだ。ミヤジマほど『人間』に近い召喚獣は聞いたことがないが半人の召喚獣はけっこう種類がいるみたいだし、
葵が無言でいる間、アルヴァはつらつらと召喚獣に対する私見を語っていた。聞くともなくアルヴァの独り言に耳を傾けながら考えをまとめていた葵は、やがてある結論に達して腰を落ち着けていたベッドから立ち上がる。彼女はそのまま、一直線にアルヴァの元へと歩み寄った。
「私、帰りたい」
「……一応、聞いておこうか。ミヤジマが帰りたい場所って?」
「決まってんでしょ! 元いた世界に、だよ!!」
自分の意思とは無関係に連れてこられて、さらには
「
「今はまだ、って話でしょ!」
「ユアンがそう言ったのか?」
小さく眉をひそめたアルヴァに頷くだけで返事とし、余裕のない葵は矢継ぎ早に言葉を重ねた。
「帰れる方法がないわけじゃないなら私も探す! だからアルも協力してよ」
「協力と言っても、具体的には?」
「魔法のこと、教えて」
葵の答えが意外だったのか、アルヴァはしきりに目を瞬かせた。真剣に協力を依頼している葵は口をつぐみ、アルヴァの出方を窺う。やがて驚きを消し去ったアルヴァは口元を歪め、皮肉に近い笑みを葵に向けてきた。
「いいよ。助言は惜しまない約束だからね」
あっさりと葵の希望を受け入れたアルヴァは「ただ」と、後に言葉を付け加えた。
「対人の召喚魔法は失われて久しい太古の魔法なんだ。生まれた時から魔法に親しんでいる僕らにさえ、未だミヤジマが帰れる方法は分からない。魔法を教えるのは構わないが、ミヤジマがそのことを念頭に置いてくれるなら、という条件を付けさせてもらいたい」
「……気長に構えろ、ってことね?」
「熱意は必要だが気負いはいらない、ということだよ。大丈夫、ミヤジマくらいになると見た目でバレることはまずないから。
アルヴァとの初対面を思い返した葵は「とても驚いていたようには見えなかった」と胸中でぼやきを零した。しかしそれはそれとして、アルヴァの態度が軟化したことは歓迎すべき事柄である。これからは少し仲良く出来るかななどと考えたのも束の間のことで、葵はすぐアルヴァの発言に眉をひそめる羽目になった。
「ところでミヤジマ、僕と顔を合わせていない間に外で男を作ったりしていないだろうね?」
またしても恋愛関係の話かと、この話題にうんざりしている葵は嫌な表情を作る。
「してないよ」
より正確に言うならば、学園の外で恋人を作る一歩手前の状態で破局したのだ。しかしアルヴァにそこまで話す気のなかった葵は単に事実だけを口にした。アルヴァにとっても大切なのは事実だけだったらしく、彼は葵の変化には言及せずに話を続ける。
「誰と恋愛しようがミヤジマの自由だけど深い関係になる前に、僕に相手を教えてくれ」
アルヴァの言っていることが無茶苦茶だったので葵は憤っていいのかどうかすら分からなくなるくらい呆れてしまった。これまでのアルヴァの言動がどうこうという以前に、自由恋愛を容認しながらも報告を強要している発言自体がすでに矛盾しているからだ。
「アル……自分が何言ってるか分かってる?」
「僕の発言が矛盾しているように思えるのは、まだミヤジマが知らない情報を僕が握っているからだよ。勝手に判断して呆れる前に、もう少し真剣に僕の話を聞いてもらいたいものだね」
「だったらもったいぶってないで早く説明してよ!」
「別にもったいぶってるわけじゃないよ。話には順序というものがあるだろう?」
葵が理解しやすいように順を追って説明しているのだと、アルヴァは淡白に言ってのける。これ以上の口論で話の腰を折ってしまうのもバカらしいと思った葵は大人しく口をつぐみ、再びベッドに腰を落ち着けた。悠然とした態度を崩さないアルヴァは葵が話を聞く体勢に入ったのを見届けてから淡々と言葉を次ぐ。
「ここからは抽象的な話になるから、解らなければ解らないと言ってくれ」
そう前置きをしてから、アルヴァは『世界の壁』というものについての説明を始めた。
「僕らが今存在しているこの世界と、ミヤジマが生まれ育った世界を例に挙げて説明しよう。この二つはそれぞれに独立した『世界』で、お互いから見ると『異世界』ということになる。ここまでは理解出来る?」
「私が元々いた世界からこっちの世界を見ると『異世界』になる、ってことでしょ?」
それとは逆に、二月が浮かぶこの世界から葵が生まれ育った世界を見れば、そこは『異世界』となる。葵がそう付け加えると、アルヴァは満足そうな表情で頷いて見せた。
「『世界』を行き来したことがない者にとってはまずこの観念が理解し辛いんだけど、さすがにミヤジマは理解が早いね」
アルヴァが口にした科白はどうやら褒め言葉だったようなのだが、妙なところを褒められた葵には喜んでいいのかどうか分からなかった。葵が閉口していると、アルヴァはまた真顔に戻って説明を続ける。
「独立した『世界』は、それが一つの
眉根を寄せて空を仰いだまま固まっている葵を見て、アルヴァはそこで話を中断させた。言葉を切った彼は白衣のポケットからペンを取り出し、短い呪文を口にする。呪文に反応したペンの先端が光を帯び始めたところで、アルヴァは葵に手招きをした。
「まずこれが、
葵を傍へ招き寄せると、アルヴァは空中に大きく円を描いて見せた。次に、最初に描いた円の中に小さな三角や四角を書き足していく。そして三角や四角といった円以外の図形が『世界』になるのだと、アルヴァは語った。
「分かった。 ……なるほどね」
図解されると解り易く、ようやくアルヴァの話を呑みこむことが出来た葵は嘆息しながら頷いて見せた。空中に描き出した図形はそのままに、アルヴァは話を進めていく。
「世界と世界の間には何もない
「あかし……って?」
「それがどういうものなのかは見てみないと分からないけど、おそらく見る人が見れば、一目でそれと分かってしまう。ミヤジマも体のどこかにあるはずだよ。僕の前で全裸になる勇気があるなら調べてあげてもいいけど」
「!?」
アルヴァが不穏なことを言い出したため、反射的に胸元を庇った葵は素早い動作で彼の傍を離れた。だが葵の反応など予想済みだったらしく、椅子に腰かけたままのアルヴァは涼しい表情でティーカップに手を伸ばす。
「『証』がどこにあるかは分からないから、あんまり人前で薄着にならない方がいいね」
「ちょっ……そういうことは早く言ってよ!!」
露出の少ないローブではなくチェックのミニスカートにワイシャツといった出で立ちをしている葵は慌てて自分の体を見回した。ボディチェックを始めた葵をよそに、アルヴァは平然と新しい煙草を口に運ぶ。
「その程度の露出で見えるようなら僕が指摘してるよ」
「あ、そ、そっか……」
ホッとしたのも束の間、あることを思い出してしまった葵は背筋が冷たくなる感覚を味わった。
(銭湯、行かなくてよかった)
つい先日まで親しくしていた少年に勧められ、葵はパンテノンという街の大衆浴場に行こうとしたことがある。結局は行かないままに終わってしまったのだが、それが幸運なことだったとは今の今まで思いもしなかった。後になってから肝を冷やす羽目になったのはアルヴァが重要な情報を伏せていたせいだと、葵は彼を睨みつけた。
「そんな大切なこと、何でもっと早く言ってくれなかったのよ。あやうく銭湯とか行っちゃうとこだったんだから!」
「銭湯? 誰と?」
訝しげな表情をしているアルヴァに問い返され、即答できなかった葵はまずいことを口走ったのだと気が付いた。しかし一度口に出してしまった言葉は消えて無くなってはくれず、アルヴァがさらに問い詰めてくる。
「ミヤジマ、何かを隠していることはもう分かっているから、それを正直に話してくれないか?」
それが君のためにもなるのだと、アルヴァは諭すような口調で言う。少し考えた末、葵は重いため息をついてから口火を切った。
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