「アルが私と会わないようにしてた間に、ちょっと知り合った人がいたの。その人は貴族とかじゃなかったから家にお風呂がなくて、銭湯行ってきたらって勧められただけ」
実際には銭湯にも行っていないし、不都合なことは何もない。葵はそう強調したのだが、彼女の話を聞いたアルヴァは難しい表情をして空を仰いだ。
「つまり、もう手遅れということだね?」
「何が?」
「ミヤジマがこんなにも早く
「何の話よ!!」
アルヴァがまたしてもメチャクチャなことを言い出したので、ムキになった葵は声を荒らげた。アルヴァも冗談で言ったわけではなかったらしく、彼は葵の剣幕に目を瞬かせる。
「違うのか。本当に? その状況で?」
「ああ、もう! 分かった!」
一部を伏せたまま話をしていてもどんどん脱線していくだけだと察した葵はパンテノンの街で知り合ったザックという少年について、その出会いから破局に至るまでの出来事を洗いざらいアルヴァに打ち明けた。葵とザックはお互いに好意を持っていたものの、結局のところは恋人という関係にまでは発展しなかった。だからアルヴァが気にかけているようなことなどなかったのだが、それでも話を聞き終えたアルヴァはまだ眉根を寄せたままでいる。
「キリル=エクランドは何故、ミヤジマが自分のものだなんていう宣言をしに行ったんだろう」
「イヤガラセじゃないの? それしか考えられないでしょ」
キリル=エクランドという少年はトリニスタン魔法学園アステルダム分校のエリート、マジスターの一員である。原因は未だ不明だがある時を境にキリルは葵に頭が上がらなくなってしまい、気位の高い彼はそれを屈辱に感じているようなのだ。顔を合わせるたびに敵意を剥き出しにしてくる彼がそんな宣言をした裏には悪意しか見えてこない。葵はそう思っていたのだが、アルヴァは葵と同じようには考えていないようだった。
「もしかして彼は、ミヤジマを気に入っているんじゃないか?」
「それはない。絶対に」
アルヴァの考えをすぐさま否定した葵は、むしろ自分的に『有り得ない』のだと胸中で呟きを零した。嫌悪感は顕著な変化となって表情に表れていたようで、アルヴァは苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「まあ、ミヤジマがそういった心持ちでいてくれるなら僕も安心していられるよ。同じマジスターでも相手がキリル=エクランドでは、僕も認めるわけにはいかないからね」
「同じマジスターって、どういう意味?」
「結果的にはフラれてしまったわけだけど、僕はミヤジマの相手がハル=ヒューイットなら彼の家柄には目をつぶろうと思っていた。ミヤジマの好きになった相手がウィル=ヴィンスなら、どんな手を使ってでも諦めさせようとしていただろうね。オリヴァー=バベッジは……どうかな」
ハル=ヒューイットという少年は葵の初恋の相手で、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターの一人だった。彼は王都にあるトリニスタン魔法学園の本校へ行ってしまったためもうアステルダム分校にはいないが、ウィル=ヴィンスやオリヴァー=バベッジはキリルと同じくアステルダム分校のマジスターである。何故、同じエリートでも個々によって可否があるのか。アルヴァの判断基準が分からなかった葵は眉根を寄せながら問いを口にした。
「その違いは何?」
「ウィル=ヴィンスは魔法を学ぶことに熱意を持っている。知識を得ることに貪欲な彼は人情と好奇心を天秤にかけたりはしない。たとえ一時は恋仲になったとしても、ミヤジマの正体を知った時には自分の欲を優先するだろうね」
それは相手が葵に限ったことではなく、ウィルは根っからの探求者気質なのだとアルヴァは語った。分かるような、分からないような。その程度にしか納得出来なかった葵は何となく気分が晴れないまま、アルヴァに先を促した。
「その点、ハル=ヒューイットは安心だったんだ。彼は生まれながらに才を有した人物だったけど、魔法に対する熱意がなかったからね」
「……それは、分かる気がする」
オリヴァーやウィルは交わす言葉の端々から好奇心が強いことが感じ取れるが、いつも気怠そうな表情をしていたハルからはそういった貪欲さを感じたことがない。あまり興味や関心を示さない、無気力な少年。後にそれだけではないことが分かったが、葵も初めはハルにそういった印象を抱いていたのだ。
「熱意がないという点ではキリル=エクランドも同じだけど、彼は家柄が悪すぎる。オリヴァー=バベッジは好奇心は強いが、彼はどうやらお人よしみたいだからね。人情を優先してくれるならミヤジマの相手としては悪くないけど、今はまだ何とも言えないところかな。そのへんはミヤジマ次第だよ」
「ちょっと待ってよ」
いつの間にか話の論点がズレてきていると感じた葵は慌てて口を挟んだ。しかしアルヴァは、言いたいことは分かっていると言わんばかりに言葉一つで葵を制する。
「今までのはあくまでも僕の考えだ。ここまで話した以上、もうミヤジマに強要する気はないよ」
「あ、そう……」
アルヴァは今まで、自分に都合の悪い話は徹底してはぐらかしてきた。取引をした後とはいえ、その彼がこうまですんなりと胸の内を明かしてくれるのも気味が悪い。葵がそんなことを考えているなどと知らないアルヴァは、その後も淡々と話を続けた。
「そういうことだから、マジスターとは親しくなりすぎない方が懸命だね。ミヤジマが貧乏を気にしないのなら一般人と恋愛してみるのもいいと思うよ。金が必要なら僕が援助するし、貴族じゃないならいざって時にも黙らせやすいからね」
いざという時には無理矢理にでも黙らせる。アルヴァのそういった発言から嫌な出来事を思い出した葵は小さく顔をしかめた。
「……そろそろ帰るわ」
「じゃあ、また明日」
唐突に別れを切り出したにもかかわらず、アルヴァは平然としたまま葵の辞去を受け入れた。アルヴァと目を合わせないまま『部屋』を後にした葵は『保健室』の扉を後ろ手に閉め、小さく息を吐く。
(アルも同じ、か……)
(そんな話聞かされて、恋愛しようなんて思うわけないじゃん)
恋愛というものに対してしたり顔をしてはいるが、アルヴァには乙女心がまったく分かっていない。むしろそれ以前の問題かもしれないと呆れながら、葵は人気のない廊下を歩き出した。
「お嬢!」
背後で不意に怒鳴り声がして、驚いた葵は瞠目しながら振り返った。するとそこにはクレアの姿があって、彼女は緩やかなカーブを描いている廊下をこちらへ向かって疾走してくる。走り寄って来た彼女は勢いを緩めないまま、唐突に葵の胸倉を掴み上げた。
「こん、阿呆が!!」
ものすごい剣幕でいきなり『アホ』呼ばわりされても、葵には何を怒られているのかさっぱり分からない。茫然としている葵をよそに、クレアは興奮気味に言葉を続けた。
「アルヴァ様の所へ行くならうちにも一言言って行かんかい!」
「え……何で?」
「決まっとるやろ! うちもアルヴァ様に会いたいからや!」
クレアが堂々と理不尽なことを言ってのけるので、葵は胸倉を掴まれた格好のままポカンと口を開けてしまった。文句を言うだけ言ったら満足したのか、葵から手を離したクレアはささっと髪や服装を整える。その後、クレアが保健室へと向かったので葵は慌てて彼女を呼び止めた。
「アルなら、もういないよ」
「何でや!?」
「さっき、帰るって言ってたから……」
クレアに鋭く睨まれてしまったため、葵は少し身を引きながら嘘を口にした。アルヴァがもう帰ってしまったと聞き、クレアは悔しそうに地団駄を踏む。
「おたくを探してたせいでアルヴァ様にご挨拶できんかったやろ! どうしてくれんのや!?」
「ご、ごめんなさい……」
「とりあえず謝っとこー感がムカツクわぁ。心にもないこと言うんやない!」
「…………」
「ま、ええわ。それで、アルヴァ様とは仲直り出来たんかいな?」
葵が反応を返せずにいると、クレアはいとも簡単に話題を変えた。喜怒哀楽の激しさについていけないでいる葵は頭を抱えたい気分を隠して、とりあえず頷いて見せる。すると今度は気付かれなかったようで、クレアは怒ることのないまま話を続けた。
「おたくも分からんヤツやなぁ。あないにお優しい方とどうしたらケンカになるんや」
それはクレアがアルヴァの本性を知らないだけだからと、葵は胸中で反論をしてみた。しかし口に出せる内容ではないので、アルヴァのことを誤解しているクレアは瞳を輝かせながら彼を褒め称える。
「うちやったらケンカしようっちゅー気も起こらんわ。レイチェル様によう似とってカッコええし、物腰は穏やかやし、大人の魅力がステキやわぁ」
「……クレアって管理人さんが好きなんじゃなかったの?」
「好きに決まっとるやろ? ええ男は目の保養や」
どうやらクレアの言う『好き』は、恋愛感情がどうという話ではないらしい。メイドとしての彼女は不必要にストイックだったが、彼女の性根はずいぶんと奔放なようだ。だがミーハーなのは自分も同じであり、葵は少しクレアに親近感を抱いた。
「アルヴァ様がおらんのやったら、いつまでもここにいてもしゃーない。帰るで」
もともとはそのために葵を探していたのだと、クレアはぶっきらぼうな口調で明かした。クレアにはすでに幾度か嫌いだと言われているため、彼女が迎えに来てくれたことを不思議に思った葵は小さく首を傾げる。そんな葵の姿を見たクレアは嫌そうな表情をしながら説明を付け加えた。
「おたく、帰りかた分からんやろ?」
言われてみればその通りであり、盲点を突かれた葵は目を瞬かせた。葵が瞬きを繰り返しているのを見て、クレアはさらに嫌そうな表情になる。
「おたくはやっぱり『お嬢』やなぁ。何であないな所に引っ越して来たのか知らんけど、あそこに住む以上はルールに従ってもらうで。いつまでもお嬢気分でおったらうちが容赦せーへんからな」
そうしてしっかりと釘を刺した後、クレアは『鍵』の使い方を葵に実践して見せたのだった。
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