「あの女、オレに黙って引っ越しやがった」
苛立ちを隠そうともせず不満を口にした少年の名は、キリル=エクランドという。彼のこの発言に、同席していた茶髪の少年が微かに眉根を寄せた。スポーツマンタイプのがっちりとした体躯をしている彼の名は、オリヴァー=バベッジ。キリルと同じく、彼もまたアステルダム分校のマジスターである。そしてもう一人、円卓には真っ赤な髪をした細身の少年が座っていた。恐ろしいまでの女顔をしている彼の名はウィル=ヴィンスといい、彼ら三人がアステルダム分校の現在のマジスターである。
「あの女って、アオイでしょ? キル、またアオイの家に行ったの?」
無表情を保ったままのウィルが、何をしに行ったのだとキリルに問いかける。ウィルに疑問を投げかけられたキリルは腹立たしそうにテーブルに拳を叩き付けた。
「決まってんだろ! 殴りに行ったんだよ!」
傍若無人を絵に画いたようなキリルは、相手が女の子であろうと手を上げることにためらったりはしない。だがしかし、彼は何故かミヤジマ=アオイという少女にだけは手を出せなくなってしまったのだ。ただでさえ短気なキリルは思い通りにならない葵に苛立ちを募らせている。彼女を殴りたいという衝動は学園内で葵を追い回すだけでは飽き足らず、ついには家にまで押しかけるという暴挙となってしまったらしい。だが赴いてみると、葵の家は屋敷ごと消失していたのだとキリルは語った。
「屋敷ごと?」
それまで渋い表情で黙り込んでいたオリヴァーがふと、驚きの声を発した。オリヴァーに忌々しげな表情を向けた後、キリルはウィルの方を振り向く。
「また調べろ」
「僕が? 何で?」
「何ででもだ!」
キリルに一喝されたウィルはニヒルな笑みを口元に浮かべ、オリヴァーに向かって小さく肩を竦めて見せた。キリルが言っているのはただのワガママであり、オリヴァーも苦笑いを浮かべる。
「学園には来てるみたいだし、それでいいじゃねーか。大体、アオイの家って調べるのに苦労するんだろ?」
「というか、そんなことに労力を使う必要性を感じないよね。本人が学園に来てるんだから直接訊けばいいじゃない」
キリルが尋ねたところで教えてはもらえないだろうが。ウィルとオリヴァーはその一言を発さず、キリルの反応を窺った。しかし葵の都合など眼中にないキリルは、ウィルの言葉に納得したように頷いている。
「締め上げて吐かせりゃいいのか」
それが出来るなら、キリルの目的はとっくに達成されているはずである。そう思いはしても、オリヴァーもウィルも余計な突っ込みは入れなかった。一人でその気になってしまったキリルは意気揚々と立ち上がる。だが次の瞬間、異変を察知した彼らは一斉に真顔に戻って同じ方角へ視線を傾けた。
「……誰か入って来たな」
「魔法を使ったような気配はなかったみたいだけど」
シエル・ガーデンに進入するには園内に描かれている魔法陣に転移してくるしか術がない。そして誰かが魔法を使ったのであれば、ここにいる者達は誰もがその魔法を察知できる。にもかかわらず侵入者は、唐突に気配を生じさせたのだ。オリヴァーとウィルはそれを奇妙に思ったのだが、理屈よりも感情が先立つ性分をしているキリルは部外者が侵入してきたことに怒り出してしまった。
「焼きコロス」
「落ち着きなよ、キル。焼きコロス前に誰がそんなことをしたのかくらい確かめないと」
焼きコロスことに異論はないようで、ウィルは牽制になっていない発言でキリルの行動を遮った。唐突に生じた気配はこちらに向かって来ているようだったので、いったん怒りを治めたキリルもウィルの言葉に従う。平素であればここでオリヴァーが呆れた顔をするところだが、あいにく今は彼も不可解な侵入者に釘付けだった。
マジスター達が待ち侘びていると、やがて彼らの視界に二人連れの少女が姿を現した。どちらも白いローブをまとっていることから、トリニスタン魔法学園の生徒であることが一目で分かる。さらにはその少女達が特異な見目をしていたため、彼女達の素性もすぐに知れることとなった。
「アオイ? それに……クレア?」
少女達の顔を見て一番に驚きを示したのがオリヴァーだった。ミヤジマ=アオイの姿を認めたキリルが殺気立って行動を起こそうとしたが、それはウィルによって制される。キリルを軽くいなした後、ウィルは目を丸くしているオリヴァーに疑問をぶつけた。
「知り合い?」
葵とは顔見知りであるため、ウィルが説明を求めたのは彼女の隣にいる少女のことだった。しかしオリヴァーは何故か、困惑気味にウィルを振り向いただけで問いに答えようとしない。どうやら説明をする言葉を探しているようだったが、彼が口を開くより先にクレアと呼ばれた少女自身が自己紹介を始めた。
「わたくしは先日から学園へ通わせていただいております、クレア=ブルームフィールドと申します。以後、お見知りおき下さい」
赤味の強いブラウンの髪をこざっぱりとまとめている少女はそう言って、ローブの裾を持ち上げると小さく頭を下げた。貴族式の挨拶よりも彼女の肩口にいる生物が気になったウィルはさっそく彼女に疑問を投げかける。
「その肩にいるの、魔法生物だね。君は
「左様で御座います」
「興味あるなぁ。よく見せてよ」
「失礼ながら、魔法生物は繊細にございます。この者はわたくしの大切なパートナーですので、お手を触れるのはご容赦下さいませ」
「ふうん。まあ、いいよ。それで、オリヴァーは何で彼女のこと知ってたの?」
クレアとの話を一時切り上げたウィルは再びオリヴァーに視線を向けた。未だ困惑を拭いきれないでいるオリヴァーは眉根を寄せたままウィルの問いに答える。
「何で、って……アオイの家のメイドだからな」
「メイド?」
オリヴァーの返答を得たウィルも彼と同じように眉をひそめた。その理由は、トリニスタン魔法学園は使用人ごときが入学出来るような場所ではないからである。しかしクレアは涼しい表情で、今度はオリヴァーに向かって口を開いた。
「バベッジ様、わたくしはもうこちらの方のメイドではございません」
「ああ、そういや……アオイがそんなこと言ってたな」
「何か、ワケアリみたいだね」
「使用人風情がこんな所まで入り込んで来るんじゃねーよ。図々しい」
オリヴァーとクレアの会話にウィルが介入した直後、彼らから少し離れた場所で怒気を孕んだ独白が零された。その口調はあまりにも刺々しく、会話を途切れさせた一同は独白の主を振り返る。その場の注目を一手に集めたキリルは、不機嫌そのものの表情で言葉を重ねた。
「出てけ」
キリルの冷たい瞳は会話の中心にいるクレアにのみ向けられている。しかしキリルから静かな怒りを向けられたクレアは、何故か微笑みを浮かべた。
「親のスネかじっとるだけのお坊ちゃんがエラそうなこと言いよるなぁ。出て行ってもらいたいんやったら実力で追い出したらどうや?」
キリルに応えてみせたクレアは口調も表情も先程までとはまるで別人であり、彼女の豹変に驚いたオリヴァーとウィルは目を剥いた。当のキリルも何を言われたのか分からない様子であ然としていたが、彼はやがてこめかみに青筋を浮かび上がらせる。
「てめぇ、殺す!!」
キリルが吼えると、彼の有する紅蓮の魔力が感情で増幅されて周囲に迸った。キリルを中心として方々に散って行った炎はシエル・ガーデンの花々を焼き去ったが、その場にいた人間は全員無傷である。我慢のきかないキリルはしょっちゅう魔力を暴発させているため、オリヴァーもウィルもこんな事態には慣れきっていたからだ。
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