月夜の集い

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 夜空に伽羅茶きゃらちゃ色の二月が浮かぶ夜、簡易ベッドが並ぶ保健室風の部屋で、青年は壁際に備え付けられたデスクに向かっていた。外ではすでに月が中天に昇っている時分だが、その部屋には窓がないため、魔法で生み出した光源が室内を照らしている。その明かりは主に青年を中心としたデスクの周囲を照らしていて、部屋の隅は暗い影となっていた。月夜の趣を微塵も感じさせない薄暗い部屋で、一人書物に目を落としている金髪の青年は名をアルヴァ=アロースミスという。まるでカンバスに描かれた絵図のように無音の世界で静止していた彼は、やがてブリッジを掴んで掛けていたメガネを引き抜いた。

「来たか」

「アルの方から僕を呼び出すなんて、珍しいね」

 アルヴァが振り向きもせずに零した独白に、影となっている部屋の隅から応える声が返ってきた。メガネを外したついでに読んでいた魔法書も閉ざしたアルヴァは椅子ごと回転して体の向きを変える。長い脚を横柄気味に組んだ彼は難しい表情になって、未だ暗がりに佇む来訪者を見据えた。

「君を呼び出すのは本意じゃない。不用意なことをして、余計な手間をかけさせないでくれないか」

「ひどいなぁ。僕はアルに会えて嬉しいのに」

 笑みを浮かべながら光の中に姿を現したのは、鮮やかな金髪に紫色の瞳が印象的な子供。まだ十二歳と幼年な彼は一目で身なりがいいことが分かる上質な服を纏っており、同年代の子供には決して有し得ないある種の貫禄を漂わせていた。少年の名は、ユアン=S=フロックハート。アルヴァにとって彼は雲上人であり、悪友であり、また頭痛の種でもあった。

「何故、クレア=ブルームフィールドを編入させた」

 ユアンの軽口には付き合わず、アルヴァは単刀直入に本題を口にした。その口調がやや非難めいていたのは、ユアンの勝手な行動に対しての憤りがあったのかもしれない。思ったよりも語気が険しくなってしまったものの、アルヴァは構わずに言葉を続けた。

「彼女が余計なことを喋ってくれたおかげでマジスターに興味を持たれてしまった。分校に通う子供とはいえ公爵家の人間が本気で調べようと思えば、やがてフロックハートやレイチェルに行き着くかもしれない」

「公爵って、どこの家?」

「ヴィンスだ」

「ヴィンスかぁ……。ちょっと厄介だね」

 アルヴァから外した視線を宙に泳がせたユアンは何事かを考えているような表情で腕を組んだ。ヴィンスは領地を持たない公爵で、土地を治める代わりに膨大な知識を王室に献上している。そういった家柄だからなのか、ヴィンスの者には情報に対して貪欲な人間が多い。学問の徒としては非常に優秀な一族なのだが、アルヴァやユアンにとってそれは非常に都合の悪いことだった。

「分かった、何とかするよ」

 思案を続けていたユアンは最終的にそうした答えを寄越してきたが、それでは何の解決にもならないとアルヴァは深く嘆息した。

「ヴィンス公爵に直談判にでも行くつもりか?」

「知り合いだし、僕が頼めば彼もいいようにしてくれるでしょ」

「それは話を広げることにしかならない。絶対にやるな」

「え〜? でも、アルが責任とれって……」

「そんな責任の取り方はしてくれなくて結構だ」

「それなら、どうすればいいの?」

「ヴィンスのことは僕が何とかする。その代わり、ユアンはクレア=ブルームフィールドを説得しろ」

 貴族でもないクレアは本来、トリニスタン魔法学園に通える立場ではないのだ。そのように場違いな者がいるからこそ、不審の芽は膨らんでいく。彼女が学園を去れば真実はうやむやになるとアルヴァは言ったのだが、渋い表情になったユアンは頷くことをしなかった。

「それじゃあ約束を破ることになっちゃうんだよねぇ……」

「どんな約束を交わしたのか知らないが、それは彼女とユアンの事情だ。僕には関係ない」

「うわっ、ひどい。アル、冷たい」

「冷静な判断と言って欲しいな」

「でもさぁ、やっぱり女の子を泣かせるのはよくないと思うんだ」

 唐突に脈絡のない話題を持ち出したユアンが一人で納得しているのでアルヴァは不可解に眉根を寄せた。

「どういうことだ?」

「アルって頭いいし要領もいいけど、女心が分かってないから」

「……君に女の扱い方を教えてやったのは誰だか忘れたのか」

「うん、アルなんだけどさぁ。それでもやっぱり、アルは分かってないと思うよ」

 だからクレアが必要なのだと、ユアンは持論を展開する。それが宮島葵という少女のためなのだと理解はしていたが、それでもやはりアルヴァには納得がいかなかった。

「あの二人を友人関係にさせたかったのなら、もう絶望的と見るしかないだろうね」

 相手がクレアでは、葵がステラ=カーティスと同じ関係を築くことは不可能に近いだろう。クレアの性根をすでに葵の口から聞いているアルヴァはそう思ったのだが、ユアンは大袈裟に肩を竦める仕種をして見せた。

「アオイはまだクレアのことをよく知らないんだよ。クレアもアオイのことをよく知らない。お互いをもっと知れば、きっと仲良くなれると思うな」

「……ミヤジマのことを知られすぎるのも問題なのだということを忘れてはいないだろうな?」

「ん〜、そこはまあ、今後どうなるか分からないけど」

「ずいぶんと悠長なことを考えてるみたいだけど、ミヤジマの存在が公になって一番困るのはユアンだろう」

 もっと危機感を持ってもらわなければ困ると、アルヴァは強い調子でユアンをたしなめた。当事者であるはずのユアンがこうも呑気では、いくらアルヴァが奔走してもフォローしきれるものではないからだ。諸悪の根源であるという自覚があるのかないのか、ユアンは飄々とした態度を崩さずに頷いて見せる。

「うん。だから、クレアに注意はしておくよ。彼女が何をしたから悪かったのか、詳しい話を聞かせてくれる?」

 クレアを学園から去らせろというアルヴァの提案は、どうやら聞かなかったことにされてしまったようだった。それならばユアンの意識を変えてやればいいと思ったアルヴァは少し誇張気味に、学園に編入してからのクレアの行いを話して聞かせた。公爵家の人間に自らケンカをふっかけたと聞けば、ユアンも多少は肝を冷やすだろう。アルヴァはそう踏んでいたのだが、目を丸くしながら話を聞いていたユアンはアルヴァが閉口すると同時に吹き出した。

「あははははは! それはまずいね!」

「笑って済ませられることじゃない。よりにもよって彼女は、あのエクランド家にケンカを売ったんだ」

 エクランドは貴族の中でも最上位に位置する公爵家の中で、さらに上級と分類される大貴族である。それが、爵位も持たない一般の少女に家人を軽んじられたのだ。このことが公になれば大問題にも発展しかねない。そのくらいのことは重々承知しているはずなのだが、笑いをおさめたユアンは涼しい表情で言葉を次いだ。

「大丈夫だよ。あんまりうるさいようだったら爵位を剥奪しちゃうから」

 東の大陸を治めているスレイバル王国において爵号の授与や剥奪は、この国の王にのみ許された特権である。フロックハート家はロイヤル・ファミリーの一員ですらないが、恐ろしいことにユアン=S=フロックハートという個人に限ってはそれが可能なのだ。あまりうるさく言って暴挙に出られてもかなわないと思ったアルヴァは深々と嘆息して首を振った。

「頼むから、大事にはしないでくれ」

「うん。だって、大事になる前にアルが何とかしてくれるでしょ?」

「…………」

「あ、でも、クレアには言っておくね。彼女、坩堝るつぼ島の出身だから。まだ貴族制度のこととかよく分かってないんだよ」

「……ああ。今後こういうことのないように、きちんと言い含めておいてくれ」

「うん。これで話はおしまい?」

 アルヴァが頷くと、ユアンは待ってましたと言わんばかりに破顔した。どうやら珍しい魔法書を入手したらしく、彼はそれを自慢できる相手を探していたようだ。実物を手元に出現させたユアンはしばらく楽しそうに喋っていたのだが、話の途中でふと言葉を途切れさせる。何かを感知したらしい彼は次の瞬間、途端に慌て出した。

「まずい、レイが帰ってきちゃった。僕も帰らないと」

 あからさまに狼狽えながら独白を零すユアンに、アルヴァは無言で手にしていた魔法書を差し出した。それを受け取ったユアンは魔法書を胸に抱き、アルヴァに慌しい別れを告げてから転移の呪文を唱え出す。短い呪文が終わるとすぐにユアンの姿は失われ、薄暗い部屋に一人取り残されたアルヴァはため息をつきながらデスクに向き直った。






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