月夜の集い

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 ワケアリ荘で朝食を済ませた後、葵はクレアと共にトリニスタン魔法学園に登校した。生徒の証を持っているらしいクレアの元に届けられた予鈴に従った登校だったので、周囲にはちらほらと校舎へ向かう生徒の姿がある。その流れに沿って校舎へ辿り着くと、葵はエントランスホールでクレアに声をかけた。

「ちょっと用があるから」

「保健室やな?」

 葵の言葉が終わるか終わらないかのうちに、クレアは彼女の用事を言い当てた。そういった反応をされることはすでに分かっていたので、葵は短く息を吐いてから頷いて見せる。すると案の定、クレアは一緒に行くと言い出したのだった。

「クレアって、ほんとアルのこと好きだよね」

 アルヴァに対するクレアの執念には並々ならぬものを感じる。それはもうミーハーという次元を超えているような気がして、葵はしみじみとした呟きを零してしまったのだった。すると何故か、クレアは嫌そうな表情になって口火を切る。

「アルヴァ様しか好みのタイプがおらんからや」

 クレアはそう言ったついでに、この学園にはガキが多すぎると愚痴を付け加えた。苦笑を返すことしか出来ない葵が黙っていると、クレアはさらにアステルダム分校に対する不満を重ねていく。

「ロバート様の授業を楽しみにしとったのに、来てみればもうおらんてどういうことや。あれが一番ガッカリしたわ」

 クレアが話題に上らせたロバート=エーメリーという人物は、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の若き理事長である。彼はその身分を隠し、しばらくアステルダム分校で教鞭を執っていたのだ。どうやら彼もクレアのストライクゾーンだったようなのだが、ロバートという青年に嫌な思い出のある葵はふと苦笑いを消し去った。

(嫌なこと思い出させるなぁ)

 ロバートはいつの間にか学園から姿を消していたため、クレアがその名を口にするまでは忘却の彼方に消し去っていることが出来た。しかし一度胸に広がってしまった嫌な思いは、そう簡単に消えてくれそうもない。ロバートに対する嫌悪とアルヴァは密接に関わっているため、葵は彼に会いに行く気さえも殺がれてしまった。

「……これ、アルに渡しといて」

 制服のポケットから例の『メザマシドケイ』を取り出した葵は、それをクレアに渡すと元来た道を引き返した。そのまま教室へ向かう気にもなれなかったため、夏空の下へ出た葵は校舎の東へと歩を進める。特に意識してその方角へ向かったわけではなかったのだが気がつけば、久しぶりに『時計塔』の足下に佇んでいた。

(バイオリン、聴きたいな)

 そんなことを考えてしまうと無性に、生まれ育った世界を偲ぶことが出来るバイオリンの音色が胸に迫ってきた。だがこの塔でバイオリンを弾いていた少年は、もういない。いっそ自分で演奏してみようかなどと考えた葵はすぐに実現不可能なことを悟り、苦笑いを零した。

(ちょっとだけ、中にいようかな)

 バイオリンを聴くことは出来なくとも、思い出深い場所にいれば少しは気が紛れるかもしれない。そう思った葵は塔の内部へと進入したのだが、扉を閉ざしてしまうとその場は闇に支配されてしまった。魔法を使うのは久しぶりだなと思いながら、葵は「アン・リュミエール」の呪文を唱える。小さな明りが闇を切り開いたので、葵はそれを頼りに螺旋階段を上り始めた。塔の内部は一階部分が空白の造りになっていて、そこにあるのは二階へと通じる螺旋階段だけだ。階段を上りきると、そこは広々とした空間になっていて、何故か壁の一部に大穴が開いている。円形に開いている穴は時計が嵌まりそうに思えるため、葵はこの塔を『時計塔』と呼んでいるのだった。

「あ、」

 時計塔の二階部分へと出た葵は、そこで見知った姿を見つけて小さく声を発した。その声に引きつけられたように、室内に佇んでいた少年がこちらを振り返る。葵の姿を認めると、彼もまた「あ、」という声を上げた。

「こんな所で何してるんだ?」

 声をかけてきたのはアステルダム分校のマジスターであるオリヴァー=バベッジだった。答えに困る質問をされたため、葵はオリヴァーに同じ質問を投げかける。

「オリヴァーこそ、何してんの?」

「俺は練習」

 そう答えたオリヴァーの手には、確かに楽器らしきものがある。それは以前に創立祭で彼が弾いていたバイオリンではなく、サックスのような木管楽器だった。楽器を手にしているオリヴァーの姿を見て、不意にある人物の言葉を思い出した葵は納得して頷いた。

「そういえばここ、マジスターの練習場なんだよね。前にハルがそんなこと言ってた」

「お、ハルの名前久しぶりに聞いたな」

 ハル=ヒューイットという少年は以前アステルダム分校にいた人物で、オリヴァーと同じくマジスターの一員だった。彼らがトリニスタン魔法学園に入学する前からの友人であることを知っている葵は、オリヴァーの懐かしそうな反応を怪訝に思って眉根を寄せる。

「久しぶりにって、キリルとかウィルとかと話したりしないの?」

 今は離れた場所にいても、長年の友人であれば自然と話題に上ることもあるだろう。葵はそう思ったのだがオリヴァーはあっさりと、最近はハルの話をする頻度が低くなっていることを明かした。彼らの友情はそんなものなのかと、少し物悲しい気分になった葵は顔を曇らせる。しかし当のオリヴァーは、湿っぽい葵の反応を朗らかな笑みで払拭してみせた。

「話に出ようが出なかろうが、ハルはずっと友達だからな」

 離れていても、時間が経っても、それだけは変わらないのだと、オリヴァーは何の気負いもなく言ってのける。不確かな未来を自信満々に断言してみせる彼の態度はあまりにも清々しく、葵は自然と頬を緩めた。

「いいなぁ、そういうの」

「友情って感じだろ?」

「それ、自分で言うセリフじゃないよね」

「誰かに言ってもらうセリフだよな」

 軽口に応えてくれたオリヴァーと共に、葵は明るい笑い声を上げた。ひとしきり笑った後、葵はオリヴァーが手にしている楽器を指差す。

「それ、何て楽器?」

「これはサキソホン。終月しゅうげつ期には親族が集るからさ、こうやって密かに練習してるわけだ」

「ふーん。バイオリンじゃないんだね?」

「まあ一応、一通りの楽器は出来るように教育されてるからな」

「……なんか、大変そうだね」

「そうでもない」

 そこで話を切り上げ、オリヴァーはマウスピースに口をつけた。刹那、朝顔管ベルから深みのある低い音色が流れ出す。一分にも満たない短さで何かの曲の触りだけを演奏したオリヴァーは、マウスピースから顔を遠ざけると葵に爽やかな笑みを向けた。

「こうやって楽器を奏でるのはけっこう楽しいもんなんだぜ? アオイも今度、一緒にやらないか?」

「……私、何にも出来ないから」

 音楽の授業でリコーダーをやらされたが、今ではそれすらも吹けるか怪しいものだ。仮に体が覚えていたとしても、レベルの高いマジスターの演奏にリコーダーで混じるのは恥ずかしすぎる。そう思った葵は余計なことを言わず、ただただ苦笑でオリヴァーの誘いを躱したのだった。

「完全な聴き手、か。キルと一緒だな」

「あいつもいいとこのお坊ちゃんなんでしょ? 何であいつだけ出来ないの?」

「昔はキルもやってたんだぜ。ただ、あるとき突然ピアノを叩き壊して、それ以来楽器は壊す専門になっちまったから」

「……何で?」

「さあなぁ。何でだろうな?」

 話を聞いて葵は呆れてしまったのだが、しきりに首を傾げているオリヴァーにはそうした感情はないようだ。以前にマジスターの仲間は特別なのだと言っていたオリヴァーの言葉をふと思い出し、葵は感嘆の息を吐く。

(友達が傍にいるのって、いいなぁ)

 生まれ育った世界にいた時は、葵も普通に友達と高校生活を満喫していた。あの日常が戻って来るのは、いつになるだろう。そんな郷愁に浸りながら、葵はオリヴァーに別れを告げた。

(ケータイが直れば、また弥也ややと話が出来るかな)

 簡単には元の世界に戻れないことを、葵はもう知っている。だが世界を隔ててしまっていても、携帯電話という文明の利器は葵に友人の声を届けてくれたことがあるのだ。

(アルに言われてることもあるし、今日こそマッドを捕まえよう)

 夏の日差しを浴びながらそう決心した葵はとりあえず、もう授業が始まっているであろう校舎へ向かって歩き出した。






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