ワケアリ荘では朝から雨が降っていたが、トリニスタン魔法学園アステルダム分校では平素の通り、夏の青空が広がっていた。雲一つない青空は夏期の象徴で、これが冬期になると空は厚い雪雲で覆われる。大陸ではそういった季節の移ろいが一般的だが、世界には例外的に一年を通して季節が変わらない場所というものが存在していた。クレアの出身地である
「朝は色々と忙しいんや。今度は夜に降らしてくれるよう、レインに頼んどきぃ」
夏期に限らずこの世界では、自然に雨が降ることはない。ワケアリ荘の周囲に広がっている青草の海を潤しているのは204号室の住人であるレインの成せる業なのだ。実はこの『雨を降らせる』という行為はかなり稀有で特異なものなのだが、魔法文化とは異なった生活様式の中で生きてきたクレアは、まだそのことを知らなかった。
「おはようございます、クレアさん」
不意に背後から声をかけられたため、クレアはマトとの会話を中断して振り返った。そこにはクラスメートの女子が数名いて、彼女達は歩みを止めたクレアの元に小走りで寄って来る。クレアに追いついたクラスメート達は彼女を取り巻くようにして足を止め、口々に朝のアイサツを寄越してきた。彼女達がクレアに媚びてくるのは、クレアが二年A一組の女子を仕切っていたココという少女を打ち負かしてしまったからである。それ以来、クレアは望む望まないに関わらず、自身が所属するクラスの女子を周囲にはべらせていた。
「クレアさん。今度のクラス対抗戦、頑張ってくださいね」
クラスメートの一人が話題に上らせたクラス対抗戦とは、トリニスタン魔法学園アステルダム分校にいつしか根付いた女の闘いである。この対抗戦はトーナメント形式のバトルマッチで、各クラスの代表によって優勝が争われる。こうして闘いが生じているからには闘わなければならない理由が存在するのだが、その理由というのがクレアには理解不能な代物だった。それというのもクラス対抗戦が、学園のアイドルであるマジスターを巡る闘いだからだ。
「二年A一組の命運がかかっているのですもの。わたくし達も応援していますわ」
「特に二年B二組には負けられませんわ。頑張ってください、クレアさん」
クラスメート達は熱っぽく試合への意気込みを語っているが、当事者であるクレアはマジスターになど興味がない。喉元まで出かかった「くだらない」という科白を何とか呑み込んだクレアは肩口のマトと目を合わせて密かにため息をついた。
(程度が低いなぁ。授業もそないに高度なことやっとるわけやなし、失敗したかもしれん)
実際、トリニスタン魔法学園で授業を受けているよりも主人であるユアンや、彼の家庭教師であるレイチェルの傍にいる方が学ぶことは多い。王立の名門校というあおり文句に少々高望みをしすぎたのかもしれないと、編入初日から心のどこかで思っていたことを認めてしまったクレアはやる気を無くしてしまった。
「あら、あそこにいるのはココさんではなくて?」
クラス対抗戦で盛り上がっていたクラスメートの一人が不意にそんなことを言い出したので、あらぬ方向を見つめながら歩いていたクレアは視線を傾けてみた。正門から校舎へと続く生徒の流れの中に、確かにクラスメートであるココの姿がある。ココもこちらに気付いたようで顔を傾けてきたが、クレア達の姿を目にするとすぐに視線を外し、足早に校舎の方へと歩き去って行った。
「敗北者は惨めなものですわね」
「わたくし、以前からあの方のやり方にはついていけないところがありましたの」
「わたくしもですわ。もうココさんの言いなりにならなくて済むと思うとせいせいします」
「そういうことは本人に言うたらどうや」
それまで黙していたクレアが口を挟むと、楽しそうにココを非難していたクラスメート達は一様に口をつぐんだ。彼女達の表情は驚きと戸惑いが入り混じったもので、敗者や弱者に対する蔑みが日常的なものとして存在していたことを実感したクレアは嫌な表情のまま言葉を次ぐ。
「うちは湿っぽいのと得体が知れないのは大嫌いなんや。おたくらが陰口叩きたいなら好きにすればええけど、うちの前で言うんやない」
声を荒らげたりはしなかったものの、クレアの語気は厳しかった。叱責された形のクラスメート達はあ然としていたが、クレアは彼女達には構わずに歩き出す。
(お嬢が来たがらない気持ち、よう解ったわ)
まだメイドとして葵の元で働いていた頃、トリニスタン魔法学園で学びたいと思っていたクレアには彼女が学園へ行きたがらないのが不思議で仕方がなかった。しかし実際に生徒として身を置いてみると、名門校の長所よりも悪しき面ばかりが目についてしまう。それは集団になるとより顕著になる類のもので、もともと個人主義が強いクレアにはトリニスタン魔法学園の体質そのものが肌に合わなかった。
「貴族ってケッタイやなぁ」
登校する生徒の流れを外れて人気のない場所に来たクレアは、おもむろに嘆息してからマトに話しかけた。マトは返事らしい返事を返してこなかったが、それでも学園の風潮を良くは思っていない気配が感じ取れる。集団を好まないのはクレアだけでなく、マトも同じなのだ。
クレアやマトが個人主義なのは、その出自に最大の要因があった。彼らの出身地である坩堝島ではトリニスタン魔法学園よりも様々な人種がいるが、それらが集団としてまとまることはまずない。様々な人間や動物がひしめきあうように暮らしていても、慣習的に他に干渉しないのだ。見方を変えればそんな坩堝島こそが『けったい』なのだが、クレアにはまだそこまで考えを及ばせるだけの知識はなかった。
「マジスター、なぁ……」
独白を零して晴れ渡った夏空を仰いだクレアは、先日雇い主から言われたことを思い返していた。貴族というものが存在しない坩堝島で育った彼女は、貴族が体面を大切にするということを本当の意味では理解していなかった。そのため、ロードでないのなら大丈夫だろうと、マジスターの一人にケンカを売ってしまったのである。その軽はずみな行為が雇い主に迷惑をかけることになってしまったのだ。失態は償わなければならないと思ったクレアは日陰になっている校舎の影から抜け出し、東に向かって歩き出す。どこへ行くのかとマトが問いかけてきたので、クレアは仕方がなさそうな表情を作ってから答えた。
「マジスターのところや。ユアン様のお手をわずらわせんよう、自分の失態は自分で尻拭いせなあかんからな。それに、あいつらアホやけど、よく考えたらこの学園ではマシな方や。公爵家のお坊ちゃんやし、友好的な関係を築いておいて損はないで」
転んでも、ただでは起き上がらない。そして必要ならば、自分のちっぽけなプライドはいつでも捨てる。それが出来てこそのプロだと、クレアは足早に『
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