広がる波紋

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 シエル・ガーデンの中央にある花を愛でるための空間では真っ白なテーブルの上で白磁のティーポットが二つ、直火に底を晒されて熱されていた。ポットの中では水温がぐんぐん上昇していて、やがて蓋を押し出す勢いで水泡がせり出してくる。ポットの中の水が沸騰したことを目視したクレアはティーポットを一つだけ火から外し、三つ並んだティーカップのうちの一つだけに煮立った湯を注ぎ、残りはシエル・ガーデンの水路へと捨てた。その後、再びテーブルに戻った彼女は素早い動作で空になったポットに茶葉を入れ、未だぐつぐつと煮えたぎっているティーポットの湯を茶葉の上へと降り注がせる。抽出を待つ間に簡単な後片付けとセッティングを整えたクレアは湯をポットに注いでから数分後、ポットを軽く左右に振ってから茶漉しを使ってティーカップに紅茶を注いだ。

「どうぞ」

 あらかじめ暖めておいたティーカップはキリルの前に、それ以外の二つはウィルとオリヴァーの前へと運ばれる。オリヴァーとウィルはためらいもなくティーカップを口に運んだのだが胡散臭そうな表情をしているキリルだけは、なかなかカップに手を伸ばそうとしなかった。

「冷めないうちにお召し上がりください」

 クレアが声をかけたため、キリルは疑わしい眼差しをティーカップから彼女へと移動させる。しかしクレアと目が合うと、彼は不機嫌な面持ちになってそっぽを向いてしまった。これはクレアの『謝罪』の一環なので、キリルが飲まなければ意味がない。横目でキリルの様子を窺っていたオリヴァーは彼を諭すために口を開こうとしたのだが、それよりも前にティーカップをソーサーに置いたウィルが口火を切った。

「やっぱり魔法で淹れるのとはぜんぜん違うね」

 普段は何事に対してもとりあえず憎まれ口を叩いてみるウィルが、素直にクレアの淹れた紅茶を評価した。そのことがキリルの気を引いたらしく、そっぽを向いていた彼は目前に置かれたティーカップに視線を戻す。その後も彼は警戒心の強い動物のように座したまま動こうとしなかったのだが、やがて心を決めたらしくカップに手を伸ばした。

「……うまい」

 驚いたように瞠目しているキリルが思わずといった調子で独白を零したので、ホッとしたオリヴァーも改めてクレアの淹れた紅茶を味わってみた。適度な濃さに抽出された紅茶は香り高く、ティーカップを口元に運ぶたびに鼻孔をくすぐる。人の手で淹れた紅茶が魔法とはまったく違った趣があるだけに、彼らはクレアが「使用人」なのだということを改めて実感していた。

「キルのカップだけ暖めておいたのは、キルがなかなか手をつけないことを見越してのこと?」

「いえ、エクランド公爵家の皆様は炎を得手としていらっしゃいますから。そのようなお家柄の方は熱さに強いと聞きます」

「へぇ、そんなことにまで気を回してるものなんだ?」

 個人の好みを把握し、それに見合ったものを用意する。それは予め定められたことしか実行出来ない無属性魔法では、到底真似の出来ない芸当である。だからこそ貴族は使用人を求めるのであり、そうした気配りが出来なければ使用人は務まらないのだ。クレアのことを『たかが使用人風情』と侮っていたウィルは話をするうちに少し考えを変えたらしく、棘のない素直な態度でクレアにおかわりをねだっている。冷静さを崩さないクレアもまた、使用人のプロとしてウィルの求めに応じた。

「先程の茶葉をそのままにしていますので、二杯目はミルクティーでどうぞ」

「ああ、濃くなるとミルクを入れた方が美味しいんだ?」

 ウィルとクレアが紅茶の話に花を咲かせていると不意に、茶器の置かれているテーブルが揺れた。ソーサーとティーカップの触れ合う硬質な音が鳴り響いたのは、キリルがテーブルに手を突いて立ち上がったからだ。何事かとキリルの方を向いたウィルとオリヴァーも、キリルよりワンテンポ遅れて空を仰ぐ。それよりもさらに遅れて、マジスター達の変化を察したクレアが顔を上げた時、シエル・ガーデンでは目に見える異変が起きた。

 シエル・ガーデンの空に突如として出現した火球は渦を巻きながら降下してきて、茫然と立ち尽くしているキリルの目前でピタリと動きを止めた。刹那、火球は火柱となって空に立ち上り、その中心部に黒い影を生じさせる。やがて炎は熱風を伴って散って行き、火柱が立ち上っていた場所には一人の青年が出現していた。漆黒の髪に黒い瞳といった特徴的な容貌をしている彼は、キリルと目を合わせると口元だけで薄く微笑んでみせる。

「ハーヴェイさん!」

「ハーヴェイさん!?」

 青年の登場に驚いた声を上げたのはキリルではなく、ウィルとオリヴァーだった。それぞれの反応を示した二人は急いた様子で席を立ち、ハーヴェイと呼ばれた黒髪の青年の元へ寄る。

「ウィルにオリヴァーか。久しぶりだな」

 キリルに向けていた笑みをそのままに、傍へ来たウィルとオリヴァーに視線を傾けた青年の名はハーヴェイ=エクランド。彼はキリルの実兄であり、公爵家の一員であるウィルやオリヴァーとも子供の頃からの付き合いである。特にウィルは、友人の兄という関係以上にハーヴェイのことを好いていた。

「今日はどうしたんですか? ハーヴェイさんがこんな所に来るの、珍しいですよね」

「話の前に喉が渇いた。私はアイスだ」

 喜々として尋ねるウィルを軽くいなし、椅子に腰を落ち着けたハーヴェイは唐突に紅茶をねだった。彼の口ぶりは誰かが紅茶を淹れることを前提としているもので、ウィルとオリヴァーの視線は自然とクレアに傾く。ウィルは目線だけでハーヴェイの要求を呑むようにクレアを促していたが、それを好としなかったオリヴァーは苦笑を浮かべながらクレアに話しかけた。

「淹れてくれるか?」

「喜んで」

 意外にもアッサリと頷いたクレアはさっそくアイスティーを淹れる準備に取り掛かった。彼女が手作業で紅茶を淹れているため、ハーヴェイが物珍しげな視線を傾けてくる。

 手作業で紅茶を淹れているクレアはトリニスタン魔法学園の制服である白いローブを身につけているため、彼女の素性を知らない者から見れば『貴族の令嬢』である。そして貴族の令嬢はまず間違いなく、手作業で紅茶を淹れたりなどしない。そうしたクレアのアンバランスさがハーヴェイの目を引いたようなのだが、彼の興味はすぐクレアの肩口にいる魔法生物へと移ったようだった。魔法生物を連れていることは無言で出身地を明かしているようなものであり、ここでもまたクレアの不可思議さが浮き彫りになる。微かに眉根を寄せたハーヴェイはすぐに疑問を解消することにしたらしく、クレアに向かって口火を切った。

「私はエクランド公爵家の次期当主、ハーヴェイ=エクランドだ。名は何という?」

「初めまして、エクランド様。わたくしはクレア=ブルームフィールドと申します」

「聞かない家名だな。どこに邸宅を構える貴族だ?」

「ハーヴェイさん、彼女は貴族じゃないですよ。見たまま、坩堝るつぼ島の出身者です」

 ウィルが口を挟むと、ハーヴェイはますますもって不可解そうな表情になってしまった。貴族でもない、ましてや大陸の出身者でもないクレアはその存在自体が異様なのである。だが当のクレアはウィルが口を挟んできても動じる様子もなく、作業を続けながら淡々と自らの素性を明かした。

「わたくしはとある貴人のお世話をさせていただいておりますメイドです。これ以上のことはわたくしの一存ではお話し致しかねますので、どうぞご了承下さいませ」

 ある程度は素性を明かしながらも言及される前にしっかりと釘を刺したクレアは、言葉を途切れさせると同時にオリヴァーを振り返った。

「オリヴァー様、お手伝いいただきたいのですがよろしいでしょうか?」

「俺?」

「はい。純度の高い氷をいただきたいのです。わたくしの魔法では空気中の不純物も取り込んでしまいますので」

 魔法で水を生み出す一番手っ取り早い方法は、空気中の水分を集めて液体に変えてしまうことである。これを凍らせれば氷が出来るというわけだが、同じ魔法でも使用者によって効果には差が生じる。水に属する魔法はバベッジ公爵家が得意としているため、クレアはオリヴァーを指名して頼みごとをしたのだった。不意の指名で動揺していたオリヴァーも、そんなことならばとクレアの頼みごとに応じる。

「グラスに入ればいいんだな?」

 クレアに確認を取ってから、オリヴァーは魔法で氷を生じさせた。純度の高い透明な氷はテーブルの上に置かれたグラスに落とされ、オリヴァーが魔法を使っている間にティーポットを用意しておいたクレアは熱い紅茶を氷の上に流し込む。紅茶の熱で氷はすぐに姿を消し、濁りのないアイスティーが完成した。透明度の高いアイスティーを一口含んだハーヴェイは、グラスをテーブルに戻すなりクレアに顔を傾ける。

「私は数日、この学園にいる。また紅茶を淹れに来てくれるか?」

 クレアの返事は快諾だったのだが、そのことよりも別のことが気にかかったオリヴァーは反射的にキリルを振り返る。ウィルもオリヴァーの視線を追ったため自然と、ハーヴェイとクレアもそちらに顔を傾けた。未だ立ち上がった姿勢のままで呆けていたキリルは視線が集中したことで我に返ったようだった。ばつが悪そうな表情になった弟に、ハーヴェイは薄く微笑みかける。

「キリル、いつまでそうしているつもりだ?」

 ハーヴェイが暗に座れと促したため、キリルは無言のまま席についた。弟を自分の意に従わせたハーヴェイは口元の笑みを消さないままに言葉を次ぐ。

「それと、この兄に対する挨拶がまだのようだが?」

「お、お久しぶりです、お兄様」

 キリルの声は後半へいくに従って小さくなっていったが、静かなシエル・ガーデンでは聞き取れないほどの大きさではなかった。これほど従順なキリルは他では決して見ることが出来ないのだが、付き合いが長いだけにウィルもオリヴァーも特に表情を動かしてはいない。ただ一人クレアだけが微かに眉根を寄せていたが、弟を意のままに繰ったハーヴェイはそれが当然のことのように涼しい表情で紅茶を口に運んだのだった。






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