広がる波紋

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「ところで、これなんだけどね」

 話を一段落させた後、アルヴァが白衣のポケットから取り出したのは目覚まし時計代わりの魔法道具マジック・アイテムだった。ビー玉のようなそれは朝の光を取り込むことで発光し、眠っている人間を自然と覚醒させる。だが葵の住んでいるワケアリ荘ではマジックアイテムが狂ってしまうため、使うことが出来なかったのだ。今の今までその存在自体を失念していた葵はアルヴァが手にしている球を指差しながら話に応じた。

「そうそう、忘れてた。私が住んでる所だと使えなかったから、返すね」

「使えなかった?」

「うん。なんか、マジックアイテムはみんな狂っちゃうんだって」

 アルヴァが手にしている球もワケアリ荘の環境のせいで狂ってしまい、危うく自室に戻れなくなるところだったのだ。葵がその時の経緯を説明すると、アルヴァは眉根を寄せながら空を仰ぐ。

「ミヤジマは一体、どこへ引っ越しをしたんだ?」

「だから、ユアンに連れて行かれたアパートだってば」

「やはり、実際にこの目で見てみないことには埒が明かないな」

 そう言うと、アルヴァは席を立った。立ち上がった彼がおもむろに白衣を脱ぎ出したので、その動作を不自然に感じた葵は首を傾げる。

「何してんの?」

「そのアパルトマンへ行くんだよ。学園の外へ出るのに白衣は不要だろう?」

「えっ。行く、の?」

「話を聞こうにも、ミヤジマ自身が分かっていないようじゃ話にならないじゃないか」

「でも……管理人さんに聞いてからの方がいいと思う」

 ワケアリ荘はその名の通り、何らかの事情を抱えている者ばかりが住んでいる。住人同士が本名で呼び合うことすらない場所に、いきなり赤の他人が踏み込むのはまずいだろう。葵はそう思ったのだが、アルヴァは訝しそうに眉をひそめた。

「僕が行くと困ることでもあるの?」

「そうじゃなくて……」

 アルヴァの非難するような視線から逃れた葵はワケアリ荘の管理人である青年の顔を思い浮かべていた。あのアパートの最たる秘密は、管理人が葵と同じく『召喚獣』だという点だろう。

(アルになら話しても大丈夫、なのかな?)

 迷ってしまった葵は独断することをせず、とりあえずアルヴァがどこまで知っているのかをそれとなく探ってみることにした。

「ワケアリ荘のこと、ユアンから何も聞いてないんだよね?」

「わけあり草?」

「アパートの名前だよ」

「ワケアリ荘、か……」

 アパートの名前に呆れているアルヴァは本当に何も、ユアンから聞いていないようだ。質問を重ねたことで逆に迷いが深くなってしまった葵はアルヴァに苦笑を返しながら言葉を次ぐ。

「ワケアリ荘はユアンが創った『世界』の中にあるんだって、管理人さんが言ってた」

「……なるほどね」

 葵の一言から何らかの答えを得たらしいアルヴァは納得したように独白を零すと再び椅子に腰を落ち着けた。白衣は脱いだままだったが彼には再び立ち上がろうという気配がなかったため、葵はホッとして息を吐く。それから改めて、葵はアルヴァに疑問をぶつけた。

「何が『なるほど』なの?」

「マジックアイテムが狂いだすことに納得がいったんだよ。模造世界イミテーション・ワールド魔法の卵マジック・エッグの中に創られる世界だからね。外部からの魔力を遮断しようとする力と、卵の内部を安定させようとする力が絶妙なバランスでせめぎあっているんだ。マジックアイテムみたいな異物が正常に作用しないのは当たり前だよ」

「…………」

「以前に少し『世界』の概念についての話をしたと思うけど、独立した世界と世界の間には必ず『壁』が存在する。イミテーションワールドを創るという行為は僕らが今いる『この世界』の中に小さな『異世界』を創ることなんだ。それをするにはまず、この世界からの干渉を拒絶する必要がある。そこで卵の殻コースが必要になるというわけだ。マジック・エッグの生成の仕方だけど……」

「も、もういいよ」

「そうだね。ミヤジマに話したところで解らないよね」

 あたかも葵が音を上げるのを待っていたように、それまで滔々とうとうと語っていたアルヴァはあっさりと擬似世界の話を切り上げた。見下されたような気がした葵は不愉快に顔をしかめたのだが、アルヴァは悪びれもせず淡々と言葉を続ける。

「イミテーションワールドで暮らすなんて僕だったら死んでも嫌だけど、ミヤジマは嫌じゃないの?」

「何で?」

「イミテーションワールドは卵の創造者に監視されているからだよ。まあ、卵はデリケートなものだから仕方がないんだけどね。それでも僕は、ユアンに日常を覗かれるなんてまっぴらだ」

 アルヴァはさも不愉快そうに語ったが、当事者である葵には日常を覗かれているなどという実感がなかった。それに、そのくらいの『監視』であれば、アルヴァも同じようなことを葵にやっている。今さらだと思った葵は監視云々のことには言及せず、代わりに気になったことをアルヴァに尋ねてみた。

「この世界にはカミサマっているの?」

「かみさま?」

「私達が今いる、この『世界』を創った人」

「イミテーションじゃない『世界』の監視者、ということか……」

 魔法の登場するファンタジー小説などでは往々にして、魔法を司る神のような存在が描かれていたりする。それならばこの世界にも『カミサマ』のような者がいるのではないだろうか。葵はただ単にそう考えてみただけなのだが、アルヴァにとってその問いは寝耳に水だったらしい。難しい表情をして考えこんでいた彼は、しばらく間を置いてから唇を開いた。

「考えたこともなかったけど、いるのかもしれないね。探してみたら?」

「何でそこで私が探すことになるの?」

「それを期待しての問いかけじゃなかったのか?」

「それって何?」

「……こういう瞬間、世界の壁を実感するね」

 話が通じ合わないことに深々と嘆息した後、アルヴァはデスクの引き出しから煙草を取り出して火をつけた。紫煙をゆっくりとくゆらせてから、アルヴァは真意を語りだす。

「ミヤジマの言うような『世界の創始者』がいるのなら、その存在はおそらくすべての魔法に通じているはずだろう? だったら、ミヤジマが元の世界に帰れる方法も知っているんじゃないか?」

「あ! そうか!」

「僕はてっきり、ミヤジマがそれを期待してそんな話を持ちかけてきたんだと思ったんだけど」

「どうやって探したらいい!?」

 世界の創造者のことで頭がいっぱいになってしまった葵は、もうアルヴァの話を聞いていなかった。だがアルヴァにも気分を害されたような雰囲気はなく、彼は淡々と葵の疑問に応じる。

「まず、ミヤジマの言う『かみさま』ってやつが実在しているかどうか確かめることから始めたらいいんじゃない?」

「それって、どうやって確かめたらいいの?」

「僕に訊かれてもね」

「……そうだよね」

 アルヴァは今の今まで『カミサマ』という存在を考えたこともなかったのである。そのような人物にこれ以上の助言を乞うのは無理だろう。アルヴァの言い分に納得した葵は素直に引き下がり、苦笑いを浮かべた。

「やっぱ、そうカンタンにはいかないね」

「ミヤジマも我慢することを覚えたか」

「まあ、気長に構えるって約束したし?」

「約束まで守ってくれるようになれば、大した進歩だよ」

 デスクの上の灰皿で煙草を揉み消したアルヴァは、そう言うと柔らかな笑みを浮かべた。アルヴァのそんな表情を見たのは初めてのような気がして、葵は思わず彼の顔に見入ってしまう。

(こういう風にやればケンカにならないんだ)

 ようやくアルヴァとの正しい接し方を見出した葵は、そうした打算を働かせている自分に少し複雑な思いを抱いて視線を逸らした。だが視界の隅でアルヴァが立ち上がったのが見えたため、葵はすぐに視線を戻す。

「アン・ターブルセット、イシィ。ソマシィオン、コンバーツセット」

 アルヴァが呪文を唱えると、隅に置いてあったらしいテーブルセットが室内の中央へと移動してきた。一本足の丸いテーブルの上にはさらに、どこかから召喚されたらしい箱が姿を現す。何事かとテーブルの傍へ寄った葵は、そこで見知ったボードを目にして眉根を寄せた。






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